ケビン・デ・ブライネはなぜ背番号17を選んだのか?理由と背景

マンチェスター・シティの中心選手であるケビン・デ・ブライネは、クラブで背番号「17番」を背負っています。

しかし「なぜデ・ブライネは17番なの?」と疑問に感じる方も多いのではないでしょうか。

本記事では、ケビン・デ・ブライネがなぜ背番号17を選んだのかという理由から、背番号17にまつわる背景やタイミング、さらには過去の背番号遍歴、背番号17をつけてからの成績データ、そして欧州サッカーにおける17番の意味や象徴性までを詳しく解説します。

ケビン・デ・ブライネのポジションはどこ?マンチェスター・シティでの役割とプレースタイル

デ・ブライネが背番号17を選んだ理由

結論から言えば、ケビン・デ・ブライネが17番を選んだ最大の理由は「その番号が空いていたから」に他なりません。

本人のコメントによれば、マンチェスター・シティ加入時に使用可能だった番号の中から17番を選択したとのことです。実際、デ・ブライネは「17番には何か意味があるのですか?」というインタビューに対して次のように語っています。

デ・ブライネ
デ・ブライネ

いいえ(特別な意味はない)。2015年にマンチェスター・シティに加入した時、空いていた番号の中から17番が欲しいと思ったんだ。

この発言から分かるように、デ・ブライネ自身は17番自体に特別な思い入れがあったわけではありません。

あくまでチーム加入時に空き番号だった17番を選んだというシンプルな理由でした。

また、「背番号を変えるということは考えなかったのですか?」という質問に対しては

デ・ブライネ
デ・ブライネ

番号を変えるということは、ファンに新しいユニフォームを買わせて頭を悩ませることになるから、それは望んでいないんだ

と述べており、チーム移籍後も一貫して17番を守り続けています​。このように、ファンへの配慮も含めてデ・ブライネは背番号17を選び、そしてそのまま変えずに大切にしているのです。

マンチェスター・シティで背番号17を選んだ経緯

2015年のマンチェスター・シティ移籍時にデ・ブライネが17番を選ぶことになった背景をもう少し詳しく見てみましょう。背番号の選択には当時のチーム事情も大きく影響していました。

デ・ブライネがシティへ加入したのは2015年8月30日のことです​。

ちょうどその少し前の7月に、リバプールからラヒーム・スターリングがマンチェスター・シティに移籍してきており、スターリングは加入時に背番号「7番」を与えられていました​。

デ・ブライネ自身、ベルギー代表では7番を背負っているため、本来であれば7番を希望していた可能性もあります。しかしスターリングが先に7番を着けていたため、デ・ブライネはクラブで同じ番号を選ぶことができませんでした​。

さらに、デ・ブライネが加入した当時のマンチェスター・シティでは、他にも主要な番号が埋まっていました。例えば、エースナンバーの「10番」は当時セルヒオ・アグエロ(在籍中に16番から10番へ変更)が使用しており、プレーメーカーの伝統的な番号である「8番」もサミル・ナスリが着けていました。

デ・ブライネがドイツのヴォルフスブルクで付けていた「14番」もすでに他の選手(2015年当時はストライカーのウィルフレド・ボニーが14番を着用)によって占有されていた状況です。

こうした中で「17番」はちょうど空いていた番号でした。

デ・ブライネはシティ加入直後、この17番のユニフォームで早くも存在感を発揮します。加入からわずか数週間後の2015年9月19日にはプレミアリーグのウェストハム戦で移籍後初ゴールを記録し、すぐにチームに不可欠なスタメン選手となりました​。

以降も彼は17番を背負ったままクラブで活躍を続け、背番号変更の提案が出ることもありましたが、前述のように「ファンのためにも番号は変えたくない」という本人の意向で常に17番を貫いています。

実際、マンチェスター・シティでは背番号17=デ・ブライネというイメージが定着しており、クラブ公式グッズやファンのユニフォームでも「KDB 17」の組み合わせがお馴染みになりました。

入団当初はたまたま空いていた番号だった17番ですが、今ではデ・ブライネ自身がその番号に価値を与え、チームの顔としてのブランドの一部となっています。

デ・ブライネの背番号遍歴(クラブ&代表での番号の変遷)

デ・ブライネがキャリアで付けてきた背番号を振り返ると、17番だけが特別だったわけではないことが分かります。

むしろ彼は所属チームごとに様々な番号を着用しており、17番以外の番号でプレーしていた時期も長く存在します。以下にデ・ブライネの主な背番号遍歴をまとめました。

時期・所属背番号備考・状況
2008-09 (KRCヘンク)7番・プロデビュー当初の番号
・​翌シーズン以降は14番に変更
2009-2012 (KRCヘンク)14番・ヘンク在籍時の主力番号
・​2010-11シーズンのリーグ優勝時も14番
2012-13 (チェルシー)15番・チェルシー移籍時に与えられた番号
・若手ゆえレギュラー番号ではなかった
2012-13 (ブレーメン※期限付移籍)6番・ドイツ・ブンデスリーガのブレーメンで着用
・攻撃的MFながら6番を背負った
2014-15 (VfLヴォルフスブルク)14番・ドイツ年間最優秀選手受賞時の番号
2015~ (マンチェスター・シティ)17番・加入時に7番・14番が埋まっていた
2010~ (ベルギー代表)7番・ベルギーA代表で長く着用​
・主力として確固たる地位を築く番号

このように見てみると、デ・ブライネはキャリアの前半では「14番」を付けることが多かったことが分かります。

実際、ヘンクでもヴォルフスブルクでも14番で主力として活躍しており、14番は彼にとって馴染み深い番号でした​。

14番といえばサッカー界ではヨハン・クライフなどの名手を思わせる番号ですが、デ・ブライネ自身が14番を選んだ理由は定かではありません(おそらくチーム事情によるものでしょう)。

一方で7番もキャリア初期から縁があります。ヘンクでデビューした2008-09シーズンにデ・ブライネは7番をつけており​、ベルギー代表でも早い段階から7番を任されています​。

2014年のワールドカップでもデ・ブライネは背番号7で出場し、中盤の要としてプレーしました。

興味深いエピソードとしては、デ・ブライネがユース代表で17番を着けていたことがあります。2008-09年のベルギーU-19代表では、若き日のデ・ブライネが17番を背負ってプレーしていました​。

当時は将来マンチェスター・シティで17番がトレードマークになるとは想像もしなかったでしょうが、偶然にもユース時代とマンチェスター・シティ時代で同じ番号を身につけているのは面白い巡り合わせです。

こうした背番号遍歴から分かるのは、デ・ブライネにとって番号は状況に応じた「記号」に過ぎず、どの番号でも自分のプレーを全うしてきたということです。

彼自身は背番号に大きく左右されるタイプではなく、むしろ自身の活躍によってその番号に意味を持たせてきました。クラブや代表で与えられた番号を背負い、その中で結果を残すことで、7番でも14番でも17番でもデ・ブライネの名前は輝きを放っているのです。

背番号17をつけて活躍した有名選手達

実はサッカー界には「17番」をこよなく愛するスター選手が他にも存在します。

例えば、マンチェスター・ユナイテッドで活躍したポルトガル代表のナニは、在籍時ずっと17番を着用し、クリスティアーノ・ロナウド(7番)の後継者として活躍しました。

また、イタリア・セリエAの名門ナポリでキャプテンを務めたマレク・ハムシクも17番で知られる選手です。ハムシクはイタリアで忌み数とされる17をあえて背負い、ナポリのレジェンドとなりました。

さらに、オーストラリア代表でエバートンのレジェンドであるティム・ケーヒルも17番をつけて愛されましたし、ドイツ代表DFのジェローム・ボアテングはバイエルン・ミュンヘンで17番を背負って数々のタイトルを獲得しました。

スペインの技巧派ウインガーホアキン・サンチェス(元ベティス他)も17番がトレードマークです。

このように挙げていくとキリがありませんが、背番号17を自分のものとし、その番号で成功を収めた名選手が世界には多く存在するのです​。

日本に目を向けても、17番には面白いエピソードがあります。日本代表では元キャプテンの長谷部誠が浦和レッズ時代から一貫して17番を愛用し、日本代表でも背番号17のイメージを強くしました​。

17番をつける長谷部誠選手

長谷部のように中盤の司令塔タイプの選手が17番を付ける例も多く、「17番はミッドフィルダーで良い選手が多い」という印象を持つファンもいるようです​。

このように見ていくと、デ・ブライネが背負う17番はサッカー界全体で見ても決して異質な選択ではなく、むしろその番号に誇りを持ってプレーする選手が各国に存在することが分かります。

デ・ブライネは自身が活躍することでマンチェスター・シティの17番に価値を与えましたが、同様に世界の多くの17番たちがそれぞれの舞台で輝きを放っているのです。

デ・ブライネが背番号17をつけてからの成績

デ・ブライネがマンチェスター・シティで背番号17を身につけて以降、そのキャリアはまさに飛躍の連続でした。

2015年の加入以降、彼はチームの攻撃の中心選手として君臨し、個人スタッツとチームタイトルの両面で目覚ましい成果を残しています。

個人的な成績

まず個人の成績面に注目すると、デ・ブライネはプレミアリーグで毎シーズン高いゴール・アシスト数を記録し続けています。

例えば、2019-20シーズンにはプレミアリーグで13ゴール・20アシストをマークし、シーズン最多アシストを記録するとともにPFA年間最優秀選手賞を受賞しました(20アシストはリーグ記録タイであり、ティエリ・アンリに並ぶ歴史的偉業でした)。

また、2022-23シーズンもプレミア最多となる16アシストを記録しており、デ・ブライネはプレミアリーグのアシスト王(Playmaker賞)を複数回受賞しています。

2023年にはプレミアリーグ通算アシスト数が100の大台に到達し、これはリーグ史上5人目の快挙であると同時に、最速試合数での達成となりました​。

2025年4月時点でデ・ブライネのプレミアリーグ通算アシスト数はすでに110を超えています。

ゴール数に関しても、チームの戦術上アシスト役に回ることが多い中で重要な得点を積み重ねてきました。

マンチェスター・シティでの公式戦通算成績を見ると、デ・ブライネは414試合出場106ゴール(2025年3月まで)という数字が残っています​。

ミッドフィールダーながら100得点を超える決定力は特筆すべきもので、ミドルシュートやFKからのゴラッソ(スーパーゴール)も数多く生み出してきました。

チームとしての成績

次にチームタイトルへの貢献です。デ・ブライネが17番を纏ってからのマンチェスター・シティは、国内外で圧倒的な成功を収めています。

プレミアリーグ制覇は加入後の2017-18シーズンから計5回(2017-18, 2018-19, 2020-21, 2021-22, 2022-23)に及び、FAカップやEFLカップ(カラバオカップ)も複数回制覇しました。

欧州チャンピオンズリーグ(UCL)でも長年惜しくもタイトルに届きませんでしたが、ついに2022-23シーズンにマンチェスター・シティ悲願のCL初優勝を達成しています。

このChampions League制覇はデ・ブライネ自身にとっても初の欧州制覇であり、自身の17番のユニフォームでビッグイヤー(CLトロフィー)を掲げた瞬間はキャリアのハイライトとなりました。

個人表彰としては、デ・ブライネはPFA年間最優秀選手賞を2度受賞(2020年・2021年)しており、これはプレミアリーグにおいてトッププレーヤーと認められた証です。

また、プレミアリーグ公式の年間最優秀選手(Player of the Season)にも選出されており、UEFA欧州最優秀MF賞など国際舞台での賞も獲得しています。

こうしたタイトルや表彰ラッシュは、17番を背負った彼のパフォーマンスがいかに卓越していたかを物語っています。

要するに、背番号17のままデ・ブライネはピークパフォーマンスを発揮し続け、チームに数々の栄光をもたらしているのです。

番号そのものが彼の実力を高めたわけではありませんが、結果的に「17番のデ・ブライネ」という存在がサッカー界に刻んだ功績は計り知れません。背番号17は今やファンにとって、彼がピッチ上で創造する魔法のようなプレーと数々のタイトルを思い起こさせるシンボルになっていると言えるでしょう。

背番号17が持つ意味や象徴性

最後に、「17番」という背番号そのものの意味や象徴性について触れておきます。

デ・ブライネのケースからも分かるように、17番は必ずしもエースナンバーや特定のポジションを表す番号ではありません。しかし、国や文化、チームによって微妙なイメージの違いが存在します。

まず、ユニークな例としてイタリアにおける17番の捉え方があります。

イタリアでは古くから「17」という数字が不吉な数字(忌み数)とされてきました。理由は、17をローマ数字で書くと「XVII」ですが、これを並び替えると「VIXI」となり、ラテン語で「私は生きた(=死んでいる)」という意味の単語になるためです​。

そのためイタリアでは17という数字全般を忌避する風潮があり、サッカーの背番号においても伝統的に17番をつけたがらない選手やクラブがありました。実際、イタリア代表では長らく17番を避ける傾向があったとも言われます​。

しかし、現代のサッカーにおいて17番は決して不吉な番号でも控えの番号でもなく、多くのスター選手たちが自らの意思で背負う番号となっています。

前述のハムシクはイタリア・ナポリで17番を輝かせ、「17=不吉」というジンクスを吹き飛ばしました。日本のメディアでも「イタリアでは17は不吉だが、日本では名選手が多い番号である」と紹介されているように、むしろ世界的に見れば17番は有能な選手が背負うことの多い番号というポジティブなイメージの方が強いのです。

伝統的な背番号の概念では、1~11番が先発メンバーのポジション(1:GK、9:CF、10:司令塔、7:ウイングなど)を指す傾向がありました。

17番はそれより大きい番号のため、「控え選手の番号」というイメージを抱く人もいるかもしれません。しかし現代サッカーでは背番号は自由化されており、背番号と選手の格や序列は必ずしも一致しません。

実際にデ・ブライネは17番ですがチームの大黒柱ですし、他にも背番号13のGKが世界最高峰の守護神だったり、背番号26のDFがキャプテンだったりと、番号と役割は多様化しています。

要するに、背番号17が持つ意味は「その選手が築いた価値」次第だということです。デ・ブライネの場合、17番は彼の創造性とリーダーシップを体現する番号となりました。

まとめ

「デ・ブライネがなぜ17番を選んだのか」という問いに対する答えは、一見シンプルでありながら、その裏には様々なストーリーが存在しました。

直接的な理由は「空いていたから」「ファンのために変えないから」というもので​、特定の幸運や信念に基づくものではありません。しかし結果的に、ケビン・デ・ブライネは背番号17に特別な輝きを与えた選手になりました。

マンチェスター・シティで17番を身にまとった彼は、数々のゴールとアシスト、そしてトロフィーを勝ち取り、その背番号をクラブ史に残る番号としました。

ベルギー代表で7番をつける彼にとって、クラブでの17番は第二の顔とも言える存在です。もしあの時スターリングが先に7番を取っていなかったら…という偶然も含め、17番にはデ・ブライネのキャリアの転機が象徴されています​。

背番号とは単なる数字ですが、ファンにとっては選手を語る上で欠かせないアイデンティティの一部でもあります。デ・ブライネの17番も、今や世界中のサッカーファンにとって特別な意味を持つ番号となりました。

それは「マンチェスター・シティの司令塔」「プレミアリーグ屈指のアシストキング」「決定的な場面で輝くゲームメイカー」といったイメージそのものです。

最後に強調したいのは、背番号に伝説を刻むのは選手本人の活躍であるということです。デ・ブライネは17番を選び、その番号でプレーし続ける中で、自らの実力と努力で17番を特別なものにしました。

他の多くの名選手たちも同様に、自分の背番号に誇りを持ち、ピッチ上で結果を残すことで番号の価値を高めています。背番号17は彼らにとって一つのシンボルであり、その裏にはファンとの絆や選手の信念が宿っているのです。