サッカーでは競り合いの中でヘディングでボールを弾き返すプレーが頻繁に見られます。
しかし、このヘディングが選手の脳に悪影響を与える可能性が近年指摘されています。実際、ヘディング直後には一時的に記憶力が41~67%低下するという英国の研究結果も報告されています。
こうした事実から、「ヘディングをすると頭が悪くなるのではないか?」という疑問や不安を抱く人も増えてきました。
本記事では、ヘディングが本当に脳に悪影響を及ぼすのか、最新の科学的研究や専門家の見解をもとに徹底検証します。

まず、ヘディングが脳や頭部にどのようなリスクをもたらすのか整理してみます。
サッカーのヘディングは、ボールを頭で受け止めたり弾いたりする特殊なプレーです。他のスポーツと比べても頭部へ直接衝撃を加える機会が多い点で異例と言えます。

ヘディングによって懸念される主な影響を以下にまとめます。
ヘディングの際に頭に強い衝撃が加わると、一時的に意識を失ったり頭痛や吐き気を起こす脳震盪が発生します。
特に相手選手と空中で激突した場合など、深刻な脳震盪につながることがあります。脳震盪は繰り返すと脳に蓄積的なダメージを与え、回復に長時間を要する恐れもあります。
ボールを頭で繰り返し打ち返すことで、直後に記憶力や思考力が低下する現象が確認されています。
イギリス・スターリング大学の研究チームが行った実験(2016年)では、サッカー選手に機械で発射したボールを20回ヘディングしてもらい、その前後で認知テストを実施しました。すると、ヘディング直後に記憶力が平均41~67%も低下し、その後24時間かけて徐々に元に戻ることが確認されました。
この研究は、日常的なヘディングによるごく軽度の頭部衝撃でも、一時的に脳機能が低下しうることを示した初めての例とされています。
研究者のマグダレナ・イエツワート氏(認知神経科学者)は「ヘディング直後に脳の働きが抑制され、記憶テストの結果が著しく低下した」とBBCの取材に答えており、たとえその影響が一時的でも繰り返すことで脳の健康に大きな影響を与える可能性があると警告しています。
つまり、1回1回のヘディングでは短時間で元通りになる影響でも、サッカー選手のようにこれを日々繰り返せば無視できない蓄積的ダメージになるということです。
一度一度のヘディングでは大きな症状が出なくても、小さな衝撃が積み重なることで脳組織に変性が起きる可能性があります。
米アルバート・アインシュタイン医科大学のマイケル・リプトン教授らは、ヘディングの累積回数と脳の構造・認知機能変化の関係について長年研究しています。
その最新の発表(2023年北米放射線学会)によれば、2年間にわたりアマチュア選手148名を追跡した研究で、ヘディング回数が最も多い群の選手に脳白質の微細構造変化が生じていたことが判明しました。
さらに、高頻度にヘディングを行った選手には言語の学習能力テストの成績低下が認められ、統計的有意差はわずかながらヘディング頻度の高さと認知機能の低下との関連が示唆されています。
リプトン教授は「2年間でヘディング曝露レベルが高いことは、軽度脳損傷(脳震盪)で生じるのと同様の脳内変化と関連していた。また高ヘディング曝露は言語学習能力の低下とも関連していた。これは脳震盪を起こさない程度の反復的頭部衝撃による長期的な脳構造の変化を示した初めての研究だ」と述べています。
このコメントが示す通り、たとえ脳震盪のような自覚症状が出なくても、ヘディングのように小さな衝撃を繰り返すだけで脳にじわじわと傷害が蓄積していくことが裏付けられました。
加えて別の研究では、一定期間に行ったヘディングの回数と記憶力の関係を調べ、一定の閾値(年間1000回前後)を超えると認知機能の低下が顕著になることも報告されています。これらの知見は、ヘディングの累積回数を管理・制限することが脳の健康維持に重要であることを示唆しています。
長年ヘディングを続けた選手が、引退後に認知症やCTEといった神経変性疾患を発症するケースが相次いで報告されています。
特にイングランドの元代表選手ジェフ・アストル氏の死因がヘディングによるCTEと判断されたニュースは大きな注目を集め、ヘディングの長期影響に関する研究が本格化する契機となりました。
CTEは慢性的な頭部外傷の蓄積で脳内に異常なたんぱく質(タウ蛋白)が蓄積する疾患で、記憶障害や人格変化、認知症状を引き起こします。
かつてはボクサーやアメリカンフットボール選手の職業病と考えられてきましたが、サッカー選手からも次々と報告されるようになりました。
イングランドのジェフ・アストル氏(59歳で死亡)は世界で初めて「サッカーによるCTE死」と公式に認定された例となり、その後も著名な元選手が認知症を公表するケースが相次いでいます。最近ではイングランド代表として活躍したボビー・チャールトン氏も認知症を患い、サッカー界に衝撃を与えました(2023年逝去)。
2019年のグラスゴー大学の大規模研究では、約7676人の元プロ選手を調査し、元サッカー選手は一般人に比べ神経変性疾患(認知症など)で死亡するリスクが約3.5倍高いという衝撃的な結果が報告されています。
またロンドン大学UCLの研究チームが認知症を患った元選手14人の脳を調べたところ、剖検を行った6人中4人にCTEの所見が確認されました。
これは一般人のCTE発症率(平均12%)を大きく上回る数字であり、サッカー選手におけるCTEの関連を示唆する初の報告となりました。このように繰り返し頭部へ衝撃を受けることが脳の変性疾患リスクを高めている可能性が強く示唆されています。
ヘディングの積み重ねによって慢性的な頭痛に悩まされる選手もいます。
また、頭だけでなくヘディング時に首をひねったりすることで頸椎の捻挫やむち打ちのような障害を負うリスクも指摘されています。
さらに、集中力の低下やうつ症状との関連を指摘する専門家もおり、頭部への反復衝撃が精神面に及ぼす影響についても研究が進められています。
ヘディングは即座の大怪我(脳震盪など)だけでなく、気づきにくい形で脳にダメージを蓄積させる恐れがあります。特に「一度のヘディングくらい大丈夫だろう」と油断しがちですが、その小さなダメージが積み重なることこそが恐ろしいポイントです。

子どもの脳は発達途中であり、ヘディングの衝撃によるダメージに対して大人より脆弱だと考えられています。
頭蓋骨も未成熟で首の筋力も弱く、同じ衝撃でも子どものほうが脳が揺れやすいためです。
実際、米国ではヘディングが子どもの脳に与える悪影響が懸念され、2015年に米サッカー協会が10歳以下の選手のヘディング禁止を発表しました。また11~13歳についても練習中のヘディング回数に制限を設ける措置が取られています。
欧米の複数の研究から、ヘディングの累積回数と脳機能低下の関連が示唆されています。ある調査では、年間のヘディング回数が約1000~1500回に達するとMRI画像で脳神経組織の損傷が見られるようになり、1800回を超えると記憶力が急激に低下したという結果も報告されています。
小・中高校生年代で部活やクラブに所属していると、練習や試合でのヘディング総数が年間1000回を上回ることは充分ありえます。そのため成長期に過度なヘディングを繰り返すことは脳の発達に悪影響を及ぼしかねないと専門家たちは警鐘を鳴らしています。
さらに子どもの場合、正しいヘディングの姿勢や技術が未熟なこともリスクを高めます。米ボストン大学が発表した研究では、「正しい姿勢が取れない子どもがヘディングをすると、頭部に40~50Gもの加速度がかかる」ことが示されました。これはボクサーのパンチに匹敵する衝撃です。大人であれば筋力である程度衝撃を緩和できますが、子どもは衝撃をまともに受けてしまうため危険性が高いのです。
こうした背景から、サッカー先進国では子どものヘディングを制限する動きが広がっています。サッカー発祥国のイングランドやスコットランドでは、11歳以下のヘディング練習を原則禁止とし、12~16歳も年齢に応じて段階的に回数や頻度を制限するガイドラインが2020年に策定されました。
その具体的内容は、12歳以下はヘディング練習を月に1回・最大5回まで、13歳は週に1回・最大5回まで、14~16歳は週1回・最大10回までといった具合で、18歳以下は可能な限り回数を減らすよう求めています。
このように発達中の脳を守るため、子どものうちはヘディングを極力控えるのが国際的な潮流になりつつあります。
日本でも、日本サッカー協会(JFA)が育成年代(幼児期~15歳)を対象にヘディング習得のガイドラインを2021年に発表しています。
内容は「禁止」ではなく、安全に配慮した段階的な導入です。例えば、幼児期~小学低学年(1~2年生)ではヘディングの練習自体はせず、風船や新聞紙を丸めたボールなど軽いものを使って遊び感覚でボールに額を当てる体験を推奨しています。
小学3~4年生では引き続き軽量のボールで徐々にヘディングに慣れ、小学5~6年生以降で正式なボールを使ったヘディング練習を取り入れる、といったステップです。
このガイドライン策定の背景にも、前述の「元プロ選手は認知症リスク3.5倍」という研究結果や世界的な脳振盪問題への危機感があります。
JFA技術委員長の反町康治氏は「考え方として、まったく禁止をするのではなく、正しく恐れる。より適切な方法で段階的にヘディング習得を目指す必要がある」と述べており、子どもの将来の健康を守りつつサッカーの楽しさも失わないバランスを追求しています。

もう一つ注目すべきは女性サッカー選手におけるリスクです。
近年の研究で、女性は男性よりも脳振盪を起こしやすい傾向が指摘されています。
あるメタ解析によれば、サッカーでヘディングを行う際、女性選手は男性選手の約2.6倍もボール衝突による脳振盪を経験しやすいと報告されています。
一方で男性のほうが選手同士の衝突による脳振盪が多いことも分かっており、性別によって脳振盪の発生メカニズムに違いが見られるのです。
女性の脳振盪リスクが高い理由としては、生物学的な要因とプレースタイルの違いの両面が考えられます。
一般に女性は男性よりも首回りの筋力が弱く、ヘディング時に頭の動きを十分支えきれず衝撃を吸収しにくい可能性があります。また、骨格やホルモンの違いが脳への衝撃耐性に影響している可能性も指摘されています。
さらに競技特性として、女性サッカーでは男性ほど空中での激しい競り合いが少ない反面、ボールを直接ヘディングした際の衝撃への備えが十分でないケースがあるとも言われます。
その結果、女性はボールそのものから受ける衝撃で脳振盪を起こしやすい(男性より2.6倍高いリスク)と分析されているのです。
実際、アメリカの高校スポーツの統計では女子サッカーは全女子競技の中で脳振盪発生率が最も高いスポーツの一つとされています。
これは女子選手が脳振盪リスクにさらされながらプレーしていることを意味し、指導現場でも正しいヘディング技術の指導や予防策がより重要になるでしょう。

ヘディング自体を禁止する動きがある一方で、「適切な指導と対策でリスクを下げながらヘディング技術を習得させよう」というアプローチも大切です。
選手自身や指導者、保護者が気をつけるべき安全にヘディングを行うためのポイントをまとめます。
ヘディングの基本は額の生え際あたり、頭の中で最も硬い部分でボールを捉えることです。頭頂部や側頭部など柔らかい部分に当てると衝撃が直接脳に伝わりやすく危険です。
額で真っ直ぐボールに当たれば首への負担も少なく、額を使うことで頭部への衝撃が少なくなるとの報告もあります。まずは姿勢とタイミングを身につけ、常に額で受ける意識を持ちましょう。
ヘディング時の衝撃を和らげるには、首の筋肉を鍛えることが効果的です。首がしっかりしているとボールが当たった瞬間に頭がブレにくくなり、脳の揺れを抑えられます。
実際、最大等尺性の頚部筋力が高い選手ほどヘディング時の頭部加速度が低いことが示されています。
また、首や体幹の筋力トレーニングを取り入れた選手は頭部・頚部の傷害発生率が減少したという研究結果もあります。
日頃から頚椎周りの筋トレ(例えば首の前後左右の曲げ伸ばしやアイソメトリックな抵抗運動)をウォームアップに組み込むとよいでしょう。これによってヘディング中の頭部衝撃を減らすことができるとされています。
ヘディングの技術習得は一気にハードな練習をするのではなく、段階的に行うことが重要です。特に初心者や子どもの場合、いきなり重い5号球をヘディングするのではなく、風船や柔らかいボールでキャッチする練習から始めると安全です。
JFAのガイドラインでも紹介されているように、額の高さに投げたボールを手でキャッチする遊びなどでタイミングを掴ませ、その後軽いボールでヘディングに移行すると良いでしょう。
練習中も長時間ヘディングを繰り返すのは避け、1回のセッションでのヘディング回数を決めておくことが望まれます。
必要に応じて、サッカー用のヘッドギア(スポンジ製の衝撃吸収バンド)を使用することも選択肢の一つです。
ヘッドギアはヘディング時の衝撃を多少なりとも緩和する効果が期待され、市販品の中には「最大で80%以上衝撃を軽減する」とうたうものもあります。
もっとも、現時点でヘッドギアの有効性については研究者の見解が分かれており、「脳震盪の発生率に有意な差はない」とする報告や、「ヘッドギアを着けていても正しい技術がなければ逆に危険」という指摘もあります。
従ってヘッドギアはあくまで補助的なものと考え、過信しないことが大切です。特にジュニア年代では技術習得と筋力強化が基本であり、ヘッドギアは心理的安心材料程度に考えるとよいでしょう。
ヘディングの直後や試合・練習中に、もし少しでも選手本人が違和感を覚えたり、周囲から見て様子がおかしいと感じたら、すぐにプレーを中断させましょう。「少しふらついている」「顔色が悪い」「ボールへの反応が鈍くなった」「頭痛や吐き気を訴える」などは脳振盪の疑いがあります。
脳振盪の症状は数時間経ってから現れる場合もあるため、その日は大丈夫でも自宅に戻ってから容態が悪化するケースもあります。
保護者や指導者は子どもの様子を十分観察し、何か変化があれば速やかに医師の診察を受けてください。「大事を取って休ませる」判断が将来の脳の健康を守ることにつながります。

「ヘディングをしたら頭が悪くなる」という一昔前の噂は、決して根拠のないデマではありませんでした。
最新の研究からは、ヘディングが脳に与える影響は一時的な記憶力低下から長年の蓄積による認知症リスクまで無視できないことが明らかになっています。
特に子どもの頃から頻繁にヘディングを行うことのリスクが強調されており、世界各国で青少年への指導方法が見直されてきました。ま
た、大人になってからも適切なトレーニングや練習管理を行わなければ、将来思わぬ形で脳にツケが回ってくる可能性があります。
しかし一方で、サッカーというスポーツにおいてヘディングは欠かせないプレーであり、その技術を完全に排除することは現実的ではありません。幸いなことに、前述の通り工夫次第でヘディングの危険性を大きく減らすことができます。
要は「何も考えずに闇雲にヘディングする時代」は終わり、「科学的根拠に基づいて正しく恐れながらヘディングと付き合う時代」になったと言えます。
サッカーの魅力を損なうことなく選手の健康を守るために、私たちにできることは以下の通りです。
- 知識をアップデートする: ヘディングに関する最新の研究やガイドラインに目を向け、正しい情報を得ましょう。かつて問題視されていなかったことが今は問題と判明しているケースもあります。常に最新の知見を学び、プレーや指導に反映させる姿勢が大切です。
- 適切な指導と対策を講じる: 子どもには段階的な練習と安全策、大人も筋力強化や練習管理などを徹底し、「ヘディング=怖いもの」ではなく「注意深く行うもの」という認識を持ちましょう。周囲の大人が正しく導けば、子どもたちも恐れすぎずに技術を身につけられます。
- 選手の声に耳を傾ける: ヘディングで違和感を覚えたり不安を感じたら、それを訴えやすい環境を作りましょう。無理を強いたり「根性で続けろ」と言う時代ではありません。選手自身が自分の身体の異変に気づいたら遠慮なく申告し、休む勇気も持つことが重要です。
最後に強調したいのは、サッカーは適切な配慮の下で安心して楽しめるスポーツであるということです。
WHOのテドロス事務局長も「サッカーは誰もが安全に楽しむべきもの」と述べています。
ヘディングにまつわるリスクを正しく理解し、恐れすぎることなくしかし油断もせず、「正しく恐れる」態度でサッカーに向き合っていきましょう。
そうすれば、「ヘディングしたら頭が悪くなる」どころか、サッカーを通じて得られる喜びと成長を存分に享受できるはずです。科学の知見を味方につけて、これからも安全にサッカーを楽しんでください。