エムバペ選手と中田英寿さんが笑顔で並ぶ2ショット。世界のトップスターと日本のレジェンドは、いつ、どこで、なぜ交わったのでしょうか。本記事では2人の接点を時系列で整理し、その裏側にある理由まで掘り下げて解説します。
こんな疑問を持つ方へ
- エムバペ選手と中田英寿さんの2ショット写真を見かけて、2人の関係が気になっている
- なぜ世界的スターが、引退して長い日本人選手にユニフォームを贈ったのか知りたい
- 中田英寿さんが海外でどれほど評価されているのか、改めて確認したい
- 2人の経歴や実績を比べると、どんな共通点があるのか興味がある
エムバペと中田英寿の関係とは?答えは「2022年夏の邂逅」
最初に結論からお伝えします。エムバペ選手と中田英寿さんは、師弟関係でもチームメイトでもありません。2人の直接の接点として広く知られているのは、2022年7月、パリ・サンジェルマン(PSG)のジャパンツアーの際に実現した対面です。
たった一晩の交流にもかかわらず、その様子は世界中に拡散され、「エムバペ 中田英寿」という組み合わせが検索され続けるきっかけになりました。まずは、その夜に何が起きたのかを順番に見ていきましょう。
2022年7月20日、国立競技場での対面
2022年7月、メッシ選手、ネイマール選手、エムバペ選手という当時の3大スターを擁するPSGが、ジャパンツアーのため来日しました。初戦の相手はJ1の川崎フロンターレ。7月20日に国立競技場で行われた一戦は、メッシ選手のゴールなどでPSGが2-1で勝利しています。
エムバペ選手の出場は前半45分のみでしたが、それでもスタンドを大いに沸かせました。そしてこの試合を観戦に訪れていたのが、元日本代表MFの中田英寿さんです。話題になった交流は、試合終了後に生まれました。
エムバペから求めた2ショットと「NAKATA 7」ユニフォーム
試合後、PSGの公式SNSは「パリ勝利後のエムバペとヒデトシ・ナカタの出会い」と題した写真や動画を公開しました。そこに映っていたのは、エムバペ選手と親しげに談笑する中田さんの姿です。
注目すべきは、2ショット写真の撮影がエムバペ選手側から求められたと報じられている点です。さらに中田さんには、「NAKATA」のネームと背番号7が入ったPSGのユニフォームが贈られました。加えて、そばを通りかかった元スペイン代表DFセルヒオ・ラモス選手が、自ら中田さんに握手を求める一幕もありました。
中田さんが現役を引退したのは2006年。この対面の時点で、すでに引退から16年が経過していました。それでも世界のトップスターたちが自然に敬意を示したこの光景は、多くのファンに強い印象を残しました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 日時 | 2022年7月20日(PSGジャパンツアー初戦の試合後) |
| 場所 | 国立競技場(東京) |
| 試合 | PSG 2-1 川崎フロンターレ(メッシ選手が得点) |
| 主な出来事 | エムバペ選手と中田さんが談笑、2ショット撮影、「NAKATA 7」ユニフォーム贈呈、セルヒオ・ラモス選手が握手を求める |
| 発信元 | PSG公式SNSが写真・動画を公開 |
SNSでは驚きの声が殺到、動画は100万回再生超
PSG公式SNSの投稿はまたたく間に拡散され、動画の再生回数は100万回を超えたと報じられています。日本のファンからは「圧倒的な存在感」「世界の中田」「オーラが凄い」といった驚きと称賛の声が多く見られました。エムバペ選手やラモス選手と並んでも見劣りしない立ち姿に、「対等、いやそれ以上に見える」という反応もあったほどです。
また、中田さんの出身地である山梨県のファンとみられる人たちからは、「山梨県民の英雄だ」といった地元ならではの誇らしい声も寄せられていました。海外のファンの間でも、若い頃に中田さんのプレーを見ていた世代を中心に、懐かしさと敬意のこもった反応が見られています。
なぜエムバペは中田英寿に敬意を示したのか──3つの背景
1998年12月生まれのエムバペ選手と、1977年1月生まれの中田さん。年齢差は約22歳で、現役時代が重なったことは一度もありません。それでもエムバペ選手が自然に敬意を示した背景には、大きく3つの理由が考えられます。
背景1:セリエAを戦った「先駆者」としての実績
中田さんは1998年のフランスワールドカップ後、21歳でイタリア・セリエAのペルージャへ移籍しました。当時のセリエAは世界最高峰と呼ばれたリーグです。中田さんはデビュー戦となった王者ユベントス戦でいきなり2ゴールを挙げ、鮮烈なスタートを切りました。
ペルージャでは48試合12得点の活躍を残し、2000年1月に名門ASローマへ移籍。2000-01シーズンには、ローマの18年ぶり3回目のスクデット(リーグ優勝)に貢献しました。日本人選手がセリエAの優勝メンバーになったのは、中田さんが初めてです。その後もパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、そしてイングランドのボルトンでプレーし、欧州のトップレベルで長く戦い続けました。
日本人選手が欧州ビッグクラブでプレーすることが当たり前になる、そのずっと前に道を切り開いたのが中田さんでした。欧州サッカー界において中田さんが「パイオニア」として記憶されていることが、あの夜の敬意の土台にあります。
背景2:FIFA100にも名を連ねた世界的な知名度
中田さんは日本代表として国際Aマッチ77試合に出場し11得点を記録、1998年・2002年・2006年と3大会連続でワールドカップに出場しました。アジア年間最優秀選手にも2度選ばれています。
さらに象徴的なのが、サッカーの王様ペレが偉大な選手を選出した「FIFA100」に、日本人として名を連ねていることです。つまり中田さんは「日本のレジェンド」であると同時に、世界基準で認知されたレジェンドでもあります。エムバペ選手やラモス選手のようなトップ中のトップにとっても、中田英寿という名前は「知っていて当然」の存在だったと言えるでしょう。
背景3:エムバペ自身が持つ日本への親しみ
もうひとつ見逃せないのが、エムバペ選手の日本好きです。エムバペ選手は漫画「キャプテン翼」の大ファンとして知られ、来日時には作者の高橋陽一さんと対面したこともあります。日本のメンズスキンケアブランドのグローバルアンバサダーに就任して来日した経験もあり、浅草で寿司を楽しむなど日本文化に触れてきました。
2023年のPSGジャパンツアーに際しては、「日本文化をとても好きになった」というメッセージも発信しています。日本に親しみを持つエムバペ選手にとって、日本サッカーの象徴である中田さんとの対面は、特別な意味を持つ機会だったのかもしれません。
エムバペと中田英寿を比較──経歴・実績・共通点
ここからは、2人の経歴を並べて見てみましょう。世代もポジションも異なる2人ですが、比較することでそれぞれの凄さがより立体的に見えてきます。
プロフィール・実績の比較表
| 項目 | 中田英寿 | キリアン・エムバペ |
|---|---|---|
| 生まれ | 1977年、山梨県 | 1998年、フランス・パリ近郊 |
| ポジション | MF(司令塔) | FW |
| 主な所属クラブ | ベルマーレ平塚、ペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトン | モナコ、パリ・サンジェルマン、レアル・マドリード |
| 代表歴 | 日本代表77試合11得点、W杯3大会出場(1998・2002・2006) | フランス代表の歴代最多得点記録保持者(2026年6月に更新)、W杯出場(2018・2022・2026) |
| 主なタイトル・栄誉 | セリエA優勝(2000-01、ローマ)、アジア年間最優秀選手2度、FIFA100選出 | W杯優勝(2018)、W杯得点王(2022)、リーグ・アン優勝6度、ラ・リーガ得点王と欧州ゴールデンシュー(2024-25) |
| キャリアの節目 | 2006年、29歳で現役引退 | 2024年にレアル・マドリードへ移籍し現役を継続 |
共通点:時代を切り開いた「越境者」であること
一見まったく違うキャリアに見えますが、2人には共通点があります。それは、若くして「前例のない場所」へ踏み出したことです。
中田さんは、日本人選手の欧州移籍がまだ珍しかった時代に、21歳で世界最高峰のセリエAに挑み、結果を残しました。エムバペ選手は、モナコで10代のうちからトップレベルの活躍を見せ、19歳で迎えた2018年ワールドカップでは決勝でもゴールを決めてフランスの優勝に貢献しています。ワールドカップ決勝で得点した10代の選手は、ペレに次いで史上2人目でした。
また、どちらもピッチの外での存在感が際立っている点も似ています。中田さんはファッションや文化への関心の高さで現役時代から注目を集め、引退後は実業家として新たな道を開拓しました。エムバペ選手も若くしてフランス代表のキャプテンを務めるなど、発信力とリーダーシップで注目される存在です。
相違点:ゴールを奪うエースと、ゲームを作る司令塔
一方で、プレースタイルは対照的です。エムバペ選手は圧倒的なスピードと決定力でゴールを量産するタイプのアタッカー。対する中田さんは、正確なパスと視野の広さで攻撃を組み立てる司令塔タイプのMFでした。キラーパスと呼ばれた縦への鋭いスルーパスは、中田さんの代名詞です。
キャリアの歩み方も異なります。中田さんは2006年のドイツワールドカップを最後に、29歳という若さでスパイクを脱ぎました。トップフォームのうちに自らの意思で区切りをつけた引き際も、中田さんらしさとして語り継がれています。
邂逅のその後──2人はどんな道を歩んでいるのか
2022年夏の対面から、2人はそれぞれの世界でさらに歩みを進めています。検索したときに気になる「その後」も整理しておきましょう。
エムバペはレアル・マドリードへ、記録を塗り替え続ける
エムバペ選手は2024年夏、PSGからスペインの名門レアル・マドリードへ移籍しました。PSGではリーグ・アンを6度制し、クラブの歴代最多得点記録を打ち立てての移籍でした。
レアル・マドリード1年目の2024-25シーズンには公式戦43ゴールを記録し、ラ・リーガ得点王(31得点)と欧州ゴールデンシューを同時に獲得。2025-26シーズンからは、クラブの象徴とも言える背番号10を背負っています。さらに2026年6月には、フランス代表の歴代最多得点記録を更新し、名実ともに「フランスの顔」となりました。
中田英寿は「日本文化の伝道師」として世界を回る
中田さんは引退後、世界各国を旅したのち、日本の伝統文化や日本酒の魅力を世界へ発信する活動に力を注いでいます。全国400以上の酒蔵を自らの足で訪ね歩き、JAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立。2016年からは東京・六本木ヒルズを舞台にした日本酒の祭典「CRAFT SAKE WEEK」をオーガナイザーとして開催しており、2025年の開催では全国から120の酒蔵が集結しました。
日本酒の情報を多言語で発信するアプリ「Sakenomy」の開発など、テクノロジーを活用した取り組みも展開しています。サッカー界のレジェンドという枠を超えて活動を続けているからこそ、世界のスターたちとの縁も途切れることなく続いているのでしょう。
よくある質問
Q1. エムバペと中田英寿はいつ、どこで会ったのですか?
2022年7月20日、PSGジャパンツアー初戦(対川崎フロンターレ、国立競技場)の試合後に対面しました。談笑や2ショット撮影の様子はPSG公式SNSで公開され、大きな話題になりました。
Q2. 2人が選手として対戦したことはありますか?
ありません。中田さんが現役を引退したのは2006年で、エムバペ選手がモナコでプロデビューしたのは2015年です。現役期間が重なっていないため、公式戦での対戦は一度もありません。
Q3. 贈られたユニフォームの「NAKATA 7」にはどんな意味がありますか?
PSGのユニフォームに中田さんのネームと背番号7をあしらった特別なものです。7は中田さんが2002年・2006年のワールドカップで日本代表として背負った番号として、ファンになじみの深い数字です。
Q4. エムバペはなぜ日本と縁が深いのですか?
エムバペ選手は「キャプテン翼」の大ファンを公言しており、来日時には作者の高橋陽一さんとも対面しています。日本ブランドのアンバサダー就任やPSGジャパンツアーなどで複数回来日しており、「日本文化をとても好きになった」と自ら語ったこともあります。
Q5. 中田英寿は引退後、何をしているのですか?
日本文化、とくに日本酒を世界に広める実業家として活動しています。全国400以上の酒蔵を訪問し、日本酒イベント「CRAFT SAKE WEEK」の開催や日本酒アプリの開発などを手がけています。
まとめ:一晩の邂逅が示した、中田英寿の世界的な存在感
- エムバペ選手と中田英寿さんの接点は、2022年7月20日のPSGジャパンツアー(川崎フロンターレ戦)の試合後に実現した対面
- エムバペ選手側から2ショットを求め、「NAKATA 7」入りのPSGユニフォームを贈呈。セルヒオ・ラモス選手も自ら握手を求めた
- 敬意の背景には、セリエA優勝メンバーとなった先駆者としての実績、FIFA100に選ばれた世界的知名度、エムバペ選手自身の日本への親しみがある
- その後、エムバペ選手はレアル・マドリードで得点王などのタイトルを獲得し、フランス代表の歴代最多得点記録も更新
- 中田さんは日本酒をはじめとする日本文化を世界へ発信する実業家として活躍を続けている
引退から16年が経ってもなお、世界のトップスターが自然と敬意を示す。あの夜の光景は、中田英寿という選手が残したものの大きさを何よりも雄弁に物語っています。そしてエムバペ選手がこれからどんなキャリアを重ねていくのか、その歩みを重ねて見るのも、この2ショットの楽しみ方のひとつと言えるでしょう。
フットボール戦士 