- 上田綺世は大学を中退したの?それとも卒業したの?
- 出身大学と学部、何年生でプロになったのかを知りたい
- なぜ卒業を待たずに鹿島アントラーズへ加入したの?
上田綺世は大学を中退していません。法政大学の3年生だった2019年7月にサッカー部を退部し、大学に籍を置いたまま鹿島アントラーズへ加入しました。大学は2020年度に法政大学スポーツ健康学部を卒業しています。
「中退」と言われるのは、サッカー部の「退部」と大学の「退学」が混ざって伝わったためと考えられます。この記事では、法政大学・鹿島アントラーズ・日本サッカー協会(JFA)の発表と、当時の本人のインタビュー記事をもとに、入学から卒業までを時系列で整理します。
上田綺世は大学中退?答えは「サッカー部を退部・大学は卒業」
卒業は法政大学の発表で確かめられます。スポーツ健康学部は2021年7月2日、東京オリンピックの代表に内定した卒業生6人を紹介しました。その中に「上田綺世選手(男子サッカー・スポーツ健康学部2020年度卒・鹿島アントラーズ所属)」とあります。
一方、やめたのは大学ではなく体育会サッカー部です。鹿島アントラーズは2019年7月26日、「法政大学の上田綺世選手(3年)が、同大学体育会サッカー部を退部し、今シーズンより加入する」と発表しました。当時の4years.(朝日新聞社の学生スポーツサイト)も、上田選手は大学に席を置いたままサッカー部を退部したと伝えています。
つまり2019年7月から卒業までの間、上田選手はプロ選手であり、法政大学の学生でもありました。授業との両立の方法は、確認できた範囲では公表されていません。
法政大学時代の年表:入学から卒業まで
茨城県水戸市出身の上田選手は、中学時代に鹿島の下部組織にいましたが、ユースには上がれず鹿島学園高校へ進みました。高校卒業後はスポーツ推薦で法政大学に入りました。
学部はスポーツ健康学部です。法政大学体育会サッカー部の公式サイトの選手紹介と、法政大学の学内新聞「スポーツ法政」の記事で確かめられます。2019年2月の時点で2年生、同年7月に3年生だったと各発表にあるので、入学は2017年です。
大学1〜2年で全国タイトルを2つ
法政大学では1年生から主力になりました。1年目の2017年に総理大臣杯、2年目の2018年に全日本大学サッカー選手権(インカレ)で優勝しています。サッカーキングによると、関東大学リーグ1部では2年間で39試合に出て23得点でした。
2019年3月のデンソーカップチャレンジでは、全日本大学選抜として決勝で決勝点を決め、大会MVPに選ばれました。
2019年2月:鹿島の内定と特別指定選手
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上は、上田選手本人のInstagram(@bee18_official)の2019年2月20日の投稿です。この月に、2021年シーズンからの鹿島加入の内定が発表されました。
2019年2月13日には、JFAが上田選手を「2019年JFA・Jリーグ特別指定選手」に認定しました。受け入れ先は鹿島です。特別指定選手は、大学の部に登録したまま、受け入れ先のクラブでJリーグの試合にも出られる制度です。鹿島の発表でも「在学のままJリーグ公式戦等に出場することが可能」と説明されています。
なぜ「大学中退」と言われるのか
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上は、上田選手本人のInstagramの2019年7月16日の投稿です。この3日前の7月13日、上田選手はユニバーシアードの決勝でブラジルからハットトリックを決め、日本の金メダルに貢献しました。サッカー部の退部と鹿島加入が発表されたのは、その13日後です。
「中退した」と言われる理由は、主に3つあると考えられます。
理由1:「退部」と「退学」を取り違えやすい
当時の鹿島の発表は「体育会サッカー部を退部し、今シーズンより加入」という書き方でした。大学そのものを辞めたと受け取られやすい言い方ですが、辞めたのは部活動だけで、学籍は残っていました。
理由2:卒業を待たずに3年生でプロになった
大学からJリーグに進む選手は、4年生で卒業してから加入する例が多くあります。上田選手も最初は2021年、つまり卒業後の加入が決まっていました。それが3年生の夏に早まったため、「卒業していない=中退」と思われやすくなりました。
理由3:本人が「中退」も考えていたと話している
2019年7月の会見で、上田選手は大学を辞めることも考えていたと明かしています。ゲキサカによると、3年生に上がるタイミングで大学を辞め、中退して鹿島に専念する考えもあったそうです。4years.も、2月の内定発表のあとに中退してのプロ入りを考えたと伝えています。
ただ、このときは長山一也監督やスタッフと話し合い、まだ法政でできることがあると感じて残りました。「中退を考えた」という発言だけが広まると、誤解につながりやすくなります。
卒業前に鹿島へ加入した理由:本人とクラブの言葉
Jリーグ公式チャンネル「鹿島から世界に羽ばたいた、上田綺世のJ1デビュー&初ゴールをプレーバック!」(2026年6月公開)。法政大学の学生のままプロになった2019年夏の映像です。
前倒しの決め手について、上田選手は「コパの結果がきっかけではない」と話しています。2019年6月のコパ・アメリカでは得点できませんでしたが、その悔しさで決めたわけではないという説明です。
ゲキサカや4years.によると、決断したのはコパ・アメリカに向かう1〜2週間前でした。大学生としてA代表に選ばれたことが、次のステップに進むきっかけになったと語っています。出発の当日に、長山監督へ気持ちを伝えたそうです。
鹿島の発表には、「決断をするのに約半年かかってしまいました」という上田選手のコメントがあります。自分の成長を考えて、これがベストな選択だと信じているとも話しています。
鹿島は主力が海外へ移籍した直後だった
クラブ側にも事情がありました。鹿島はこの夏、FW鈴木優磨、MF安部裕葵、DF安西幸輝が海外へ移籍していました。当時の鈴木満強化部長は、上田選手を「貴重な即戦力」と話しています。
上田選手は2019年7月28日にチームへ合流し、7月31日の浦和レッズ戦の89分に途中出場してJ1デビューしました。
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上は、上田選手本人のInstagramの2019年8月11日(日本時間)の投稿です。前日の8月10日、横浜F・マリノス戦でJ1初ゴールを決めていました。
データで見る:大学生だった2019年、上田綺世はいつ調べられた?
フットボール戦士では、日本語版Wikipediaの閲覧数を「日本でどれくらい調べられているか」の目安として毎日集計しています。上田綺世のページの閲覧の記録は、内定と特別指定が決まった直後の2019年2月23日から始まっています。
2019年で最も見られたのは6月で、1日平均3,077回でした。日別では6月18日の43,909回が2019年の最多です。コパ・アメリカのチリ戦(現地時間6月17日)でA代表にデビューした直後にあたります。
サッカー部の退部と鹿島加入が発表された7月は、1日平均603回でした。6月の約5分の1です。「大学を辞めてプロへ」という話題より、「大学生がA代表に入った」という話題のほうがずっと多く調べられていたことになります。
2026年は9月30日までで1,366,178回と、2019年の合計200,238回の6倍を超えました。直近30日は1日あたり3,465回で、集計している839人の中で4位です(2026年9月30日まで)。
フットボール戦士が毎日集計している「サッカー選手 日本での注目度ランキング」のデータです(日本語版Wikipediaの閲覧数)。
大学のあと:鹿島からリールまで(2026年)
鹿島アントラーズ公式チャンネル「上田綺世〜ファン・サポーターの皆さまへ〜」(2022年7月公開)。ベルギーへの移籍が決まったときの映像です。
上田選手は鹿島で約3年プレーし、J1通算86試合38得点を記録しました(鹿島の発表)。卒業後の2021年夏には、東京オリンピックにも出場しました。
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上は、上田選手本人のInstagramの2020年11月30日の投稿です。卒業した2020年度の途中で、鹿島のプロ選手と法政大学の学生を両立していた時期にあたります。
その後は欧州へ渡りました。2025-26シーズンにはフェイエノールトでエールディヴィジ31試合25得点を挙げ、得点王になっています。所属の移り変わりは次のとおりです。
| 時期 | 所属 | ひとこと |
|---|---|---|
| 2017年〜2019年7月 | 法政大学体育会サッカー部 | 総理大臣杯・インカレで優勝 |
| 2019年2月〜7月 | 鹿島(特別指定選手) | 大学の部に登録したまま |
| 2019年7月〜2022年7月 | 鹿島アントラーズ | J1通算86試合38得点 |
| 2022年7月〜2023年8月 | セルクル・ブルッヘ(ベルギー) | 初めての海外クラブ |
| 2023年8月〜2026年8月 | フェイエノールト(オランダ) | 2025-26に得点王 |
| 2026年8月〜 | LOSCリール(フランス) | 4年契約・背番号18 |
※鹿島アントラーズ、LOSCリールの公式発表、サッカーキングの報道をもとに作成(2026年10月1日確認)。
リールへの移籍は2026年8月31日(現地時間)に発表されました。2026年6月のW杯では、日本時間6月21日のチュニジア戦で2得点しています。10月5日のキリンカップサッカー2026決勝・ニュージーランド戦(2-1)では28分に先制ゴールを決め、大会MVPに選ばれました(サッカーキング)。9月・10月の代表4試合で4得点です。鹿島から欧州での年俸の移り変わりは、次の記事でまとめています。
よくある質問
A. 中退していません。2019年7月に法政大学の体育会サッカー部を退部して鹿島アントラーズに加入しましたが、大学には籍を置いたままでした。法政大学の発表では「スポーツ健康学部2020年度卒」です。
A. 法政大学スポーツ健康学部です。鹿島学園高校からスポーツ推薦で入学し、2017年から体育会サッカー部でプレーしました。
A. 3年生の2019年7月です。もとは卒業後の2021年に加入する予定でしたが、約1年半早まりました。2019年2月からは、在学のままJリーグの試合に出られる特別指定選手でもありました。
A. 本人は、大学生としてA代表に選ばれたことが次のステップに進むきっかけになったと話しています。鹿島も主力が海外へ移籍した直後で、即戦力として期待していました。
A. 2026年10月5日時点で、フランス1部のLOSCリールに所属しています。2026年8月31日に、フェイエノールトから移籍しました。背番号は18です。
まとめ:上田綺世は中退ではなく法政大学を卒業
- 上田綺世は大学を中退していない。法政大学スポーツ健康学部を2020年度に卒業
- 2019年7月26日に、3年生で体育会サッカー部を退部し、鹿島アントラーズへ加入
- 2019年2月に2021年加入の内定と特別指定選手の認定。加入は約1年半早まった
- 「中退」説は、退部と退学の取り違えと、本人が中退も考えたと話したことが広まったためと考えられる
- 2019年に最も調べられたのは、大学生でA代表に入った6月だった(フットボール戦士の集計)
上田綺世が辞めたのは大学ではなく、法政大学のサッカー部でした。学生のままプロの世界に入り、卒業までやり通しています。
※この記事の情報は2026年10月5日時点のものです。出典:法政大学スポーツ健康学部「スポーツ健康学部卒業生6名が東京オリンピック代表内定獲得」(2021年7月2日)、法政大学体育会サッカー部 公式サイト、スポーツ法政、鹿島アントラーズ公式発表(2019年2月・2019年7月26日・2022年7月1日)、日本サッカー協会「2019年JFA・Jリーグ特別指定選手に上田綺世選手(法政大)を認定」、ゲキサカ(2019年7月)、4years.(2019年7月29日)、サッカーキング、サッカーダイジェストWeb、LOSCリール公式サイト、Wikimedia Pageviews API、フットボール戦士の注目度データ。
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