- 上田綺世選手は本当に大学を中退したのか知りたい
- なぜ大学在学中に鹿島アントラーズへ加入したのか気になる
- 大学時代にどんな活躍をしていたのか知りたい
- その決断がその後のキャリアにどうつながったのか知りたい
上田綺世選手の大学中退について調べると、「中退した」「いや卒業している」と情報が入り混じっていて、結局どちらが本当なのか分かりにくいと感じた方は多いはずです。この記事では、法政大学在学中に起きた出来事を時系列で整理し、誤解が生まれた理由から、その決断がエールディヴィジ得点王という結果に結びつくまでの道のりを解説します。
上田綺世の大学中退は本当か?結論と事実関係
結論:中退ではなく法政大学を卒業している
最初に結論からお伝えします。上田綺世選手は大学を中退していません。2019年7月に法政大学体育会サッカー部を退部して鹿島アントラーズに加入しましたが、大学そのものには在籍を続け、2020年度に法政大学スポーツ健康学部を卒業しています。この卒業の事実は、法政大学スポーツ健康学部が東京オリンピック代表に内定した卒業生を紹介する形で公式に発表しており、一次情報として確認できます。
つまり「プロ入りのために大学を辞めた」というイメージは正確ではなく、実際には「サッカー部を辞めてプロになり、学業は続けて卒業した」というのが事実です。2017年4月の入学から数えて標準的な4年間で卒業しており、学業面でも区切りをつけた形になります。
なぜ「大学中退」と誤解されたのか
誤解の最大の原因は、「退部」と「退学(中退)」の混同にあります。2019年7月、上田選手が法政大学サッカー部を退部して鹿島アントラーズへ加入することが発表された際、「大学サッカーを離れてプロになる」というニュースの印象から、「大学を辞めた」と受け取った人が少なくありませんでした。
もうひとつの要因は、加入時期の「前倒し」です。上田選手はもともと2021年シーズンから、つまり大学卒業後に鹿島へ加入することが内定していました。それが約1年半早まって在学中の加入となったため、「卒業を待たずにプロ入りした=中退したのだろう」という推測が広がりやすい状況だったのです。実際には、体育会の部活動を離れることと大学の学籍を失うことはまったく別の話であり、上田選手は後者を選んでいません。
時系列で見る大学在学とプロ入りの流れ
言葉で説明するより、時系列で並べると関係がひと目で分かります。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2017年4月 | 法政大学に進学し、体育会サッカー部に入部 |
| 2019年2月 | 鹿島アントラーズへの加入内定が発表(当初は2021年シーズンから) |
| 2019年6月 | 大学生としてコパ・アメリカの日本代表に選出され、代表デビュー |
| 2019年7月 | ユニバーシアード・ナポリ大会で優勝。直後にサッカー部を退部し、鹿島へ前倒しで加入 |
| 2019年7月31日 | J1浦和レッズ戦でプロデビュー(大学には在籍したまま) |
| 2021年3月(2020年度末) | 法政大学スポーツ健康学部を卒業 |
法政大学サッカー部退部から鹿島アントラーズ加入までの経緯
2021年加入内定が約1年半前倒しになった背景
2019年2月の内定発表の時点では、上田選手の鹿島加入は2021年シーズンから、つまり大学を卒業してからの予定でした。複数クラブによる争奪戦の末の内定であり、大学サッカー界屈指のストライカーとして卒業まで法政大でプレーする道筋が描かれていました。
状況が動いたのは2019年の夏です。鹿島ではエースストライカーだった鈴木優磨選手のベルギー移籍が決まり、前線の layerが手薄になるというチーム事情が生まれました。一方の上田選手も、コパ・アメリカで世界レベルを肌で感じた直後というタイミング。クラブの必要性と本人の成長意欲が重なり、内定を前倒しする形での加入が実現しました。
なお、加入発表時の取材で本人は「コパの結果がきっかけではない」と語っており、南米での悔しさから衝動的に飛び込んだわけではなく、以前から考え続けてきた選択だったことをうかがわせています。
一度は「中退してプロ専念」も考えていた
興味深いのは、上田選手自身が過去に中退を選択肢として考えていた時期があったことです。報道によれば、3年生に進級するタイミングで大学を離れて鹿島に専念することも視野に入れていましたが、法政大の監督やスタッフと話し合い、「まだ法政大でできることがある」と感じて残留を決めた経緯があります。
つまり上田選手は、「大学に残る意味」と「プロに行く意味」を段階ごとに天秤にかけ、そのつど納得して進路を選んできた選手です。最終的にサッカー部は退部してもなお学業を手放さず卒業まで続けたことは、この慎重な意思決定の延長線上にあると言えるでしょう。
加入直後から結果を出したプロデビュー
前倒し加入の判断が正しかったことは、すぐに結果で示されました。2019年7月31日のJ1浦和レッズ戦で途中出場からプロデビューを果たすと、8月10日の横浜F・マリノス戦でプロ初ゴール。9月1日の清水エスパルス戦では初先発で2得点を挙げ、加入からわずか1か月余りで鹿島の戦力として存在感を示しました。大学サッカーで培った得点感覚が、プロの舞台でも通用することを証明した夏でした。
大学時代の上田綺世はなぜ「大学生でA代表」だったのか
鹿島ユース昇格を逃した挫折と法政大進学
上田選手の大学進学は、実は挫折から始まっています。茨城県水戸市出身の上田選手は、中学時代に鹿島アントラーズノルテ(下部組織)に所属し、トップチーム昇格を夢見ていました。しかし当時は身長170cm程度と体格面の評価が伸びず、ユースへの昇格は叶いませんでした。
そこで進んだのが鹿島学園高校、そして卒業後にスポーツ推薦で入学した法政大学です。エリートコースから一度外れた選手が、大学サッカーという舞台で自らを磨き直し、かつて昇格できなかった鹿島にプロとして迎え入れられる。この物語性こそ、上田選手のキャリアが多くのファンの心をつかむ理由のひとつです。
1年目から全国制覇。大学サッカーでの実績
法政大での上田選手は、1年目から主力として活躍しました。2017年には総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで法政大を35年ぶりの優勝に導き、関東大学サッカーリーグ戦では新人王を受賞。2年目の2018年には全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)優勝に貢献し、リーグ戦のベストイレブンと特別賞にも選ばれています。さらに2019年のデンソーカップでは最優秀選手に輝きました。
| 年 | 主なタイトル・受賞 |
|---|---|
| 2017年 | 総理大臣杯優勝(法政大35年ぶり)、関東大学リーグ新人王 |
| 2018年 | インカレ優勝、関東大学リーグ・ベストイレブン、同・特別賞 |
| 2019年 | デンソーカップ最優秀選手、ユニバーシアード金メダル |
コパ・アメリカ選出とユニバーシアードでのハットトリック
大学時代のハイライトは、2019年5月のコパ・アメリカ日本代表選出です。大学生がA代表に選ばれるのは、2010年の永井謙佑選手・山村和也選手以来9年半ぶりという快挙でした。初戦のチリ戦で先発デビューを飾ったものの、大会では決定機を生かせず悔しさの残る内容に。しかし直後の7月、ユニバーシアード・ナポリ大会では初戦のアルゼンチン戦で2得点、決勝のブラジル戦ではハットトリックを決めて優勝に貢献し、世代トップクラスの得点力を改めて示しました。
この「A代表で感じた課題」と「同世代への圧倒的な強さ」の両方を短期間で経験したことが、大学サッカーに留まるのではなくプロの環境に身を置くべきだという判断を後押しした時期と重なります。サッカー部退部と鹿島加入が発表されたのは、ユニバーシアード優勝の直後でした。
プロ転向の決断はどう実を結んだか
鹿島アントラーズで日本代表の常連に
鹿島では加入1年目から得点を重ね、2020年11月の浦和レッズ戦ではプロ初のハットトリックを達成。2022年のJ1リーグでは2月・3月の月間MVPに選ばれるなど、エースストライカーとして成長を続けました。この間の2021年には東京オリンピック代表にも選出されています。ちなみに法政大学を卒業したのはオリンピックと同じ年の春であり、「五輪代表内定選手であり大学卒業生」という珍しい肩書きが重なったタイミングでした。
ベルギーで日本人最多ゴール記録を樹立
2022年7月、上田選手はベルギー1部のサークル・ブルッヘへ完全移籍します。欧州1年目の2022-23シーズンからリーグ戦22得点を挙げて得点ランキング2位となり、ベルギー1部における日本人のシーズン最多ゴール記録を打ち立てました。同年11月にはカタールワールドカップのメンバーにも選出され、コスタリカ戦で先発出場しています。
フェイエノールトでエールディヴィジ得点王に
2023年8月、オランダの名門フェイエノールトへ完全移籍。1年目はメキシコ代表のエースであるサンティアゴ・ヒメネス選手の控えに回る時間が長く出場機会は限られましたが、シーズン終盤に3試合連続ゴールを記録するなど結果を残し、KNVBカップ(オランダ杯)優勝も経験しました。2024-25シーズンにはヨハン・クライフ・スハール(オランダ・スーパーカップ)のタイトルも獲得しています。
そして2025-26シーズン、上田選手はエールディヴィジで25ゴールを挙げて得点王に輝きました。鹿島ユースに昇格できなかった少年が、大学サッカーを経由し、在学中の決断を経て、欧州の名門リーグで頂点の称号を手にしたことになります。日本代表でも2023年のミャンマー戦で代表初ハットトリックを達成し、AFCアジアカップ2023(2024年開催)ではチーム最多の4ゴールを記録するなど、エースストライカーとしての地位を確立しています。
| 期間 | 所属 | 主なトピック |
|---|---|---|
| 2017年-2019年7月 | 法政大学体育会サッカー部 | 総理大臣杯・インカレ優勝、コパ・アメリカ選出 |
| 2019年7月-2022年7月 | 鹿島アントラーズ | プロ初ハット、月間MVP、東京五輪代表 |
| 2022年7月-2023年8月 | サークル・ブルッヘ | リーグ22得点で得点ランク2位、W杯出場 |
| 2023年8月- | フェイエノールト | KNVB杯優勝、2025-26エールディヴィジ得点王 |
大学経由のプロ入りが持つ意味。上田綺世のケースから見えるもの
「大学サッカー=回り道」ではなくなった時代
かつての日本サッカーでは、高卒でプロ入りするかクラブユースから昇格するのが「エリートの王道」で、大学経由は回り道と見られがちでした。しかし三笘薫選手(筑波大学)をはじめ、大学サッカーを経て日本代表の中心となる選手が次々と現れ、その見方は大きく変わっています。上田選手が大学在学中にA代表へ選出されたこと自体が、大学サッカーの競技レベルの高さを象徴する出来事でした。
大学経由には、体格や技術が完成しきっていない選手が4年間の猶予の中で心身を鍛え直せるという利点があります。ユース昇格を逃した上田選手にとって、法政大での期間はまさに「プロで通用する身体と得点パターンを作り直す時間」として機能しました。
卒業を待つか、途中でプロへ行くかという選択
一方で、大学在学中に評価が急上昇した選手には「卒業まで待つべきか、今すぐプロに行くべきか」という難しい選択が突きつけられます。上田選手のケースが示した答えは、二者択一ではない第三の道でした。すなわち、サッカー部は退部してプロの環境に飛び込みつつ、学籍は維持して卒業まで学業を続けるという形です。
プロ入り後に大学を卒業するのは、練習や試合と学業を並行させる負担を考えれば決して簡単なことではありません。それでも卒業まで続けた事実は、上田選手の計画性と自己管理能力を物語っています。ピッチ上でも相手守備陣の動きを読む観察眼が持ち味とされる選手ですが、キャリア設計においても同じ冷静さが貫かれていると言えるでしょう。
よくある質問
中退していません。2019年7月に法政大学体育会サッカー部を退部して鹿島アントラーズに加入しましたが、大学には在籍を続け、2020年度に法政大学を卒業しています。「退部」と「退学」が混同されて中退説が広まったものと考えられます。
法政大学スポーツ健康学部です。鹿島学園高校からスポーツ推薦で2017年に進学し、体育会サッカー部では1年目から全国タイトル獲得に貢献しました。
もともと2021年シーズンからの加入が内定していましたが、2019年夏に鹿島のFW陣に移籍による欠員が生じたクラブ側の事情と、コパ・アメリカ出場などを経た本人のステップアップへの意欲が重なり、約1年半前倒しでの加入となりました。
2017年に総理大臣杯優勝(法政大として35年ぶり)と関東大学リーグ新人王、2018年にインカレ優勝とリーグベストイレブン、2019年にユニバーシアード金メダル(決勝でハットトリック)などを記録しました。2019年6月には大学生として9年半ぶりにA代表へ選出されています。
鹿島アントラーズからサークル・ブルッヘ(ベルギー)を経て、2023年8月からフェイエノールト(オランダ)に所属しています。2025-26シーズンにはエールディヴィジで25得点を挙げて得点王に輝きました。日本代表でもエースストライカーとして活躍しています。
まとめ
上田綺世選手は大学を中退していません。事実は「2019年7月に法政大学サッカー部を退部して鹿島アントラーズへ前倒し加入し、大学は2020年度に卒業した」というものです。中退説は、退部と退学の混同、そして卒業前のプロ入りという異例のタイミングから生まれた誤解でした。
ユース昇格の挫折から大学サッカーで這い上がり、在学中にA代表へ。プロ入り後も学業を投げ出さずに卒業し、ベルギー、オランダとステップアップを重ねて2025-26シーズンにはエールディヴィジ得点王に到達。上田綺世選手のキャリアは、決断のひとつひとつを慎重に、しかし大胆に積み重ねてきた歩みそのものです。「中退したのか」という疑問の先にあるのは、遠回りにも見えた道を最短距離に変えた、ひとりのストライカーの物語だと言えるでしょう。
フットボール戦士 
