前田大然の高校時代とは?山梨学院での除籍と復活の3年間を解説

前田大然選手の高校時代は、順風満帆どころか「サッカー部からの除籍」という大きな挫折から始まりました。それでも山梨学院で過ごした3年間が、のちの日本代表FWをつくったといわれています。この記事では、出身高校の基本情報から除籍の真相、復活劇までを時系列で詳しく解説します。

こんな疑問を持つ方へ

  • 前田大然選手の出身高校はどこ?強豪校だったの?
  • 高校時代に「サッカー部を除籍された」って本当?
  • 高校ではどんな成績を残したの?全国大会には出た?
  • 高校時代の経験は、今の活躍とどうつながっているの?

前田大然の高校時代の全体像|出身は山梨学院大学附属高校

まずは基本情報から整理します。前田大然選手の出身高校は、山梨県甲府市にある山梨学院大学附属高校です。同校は2016年に校名を変更しており、現在は「山梨学院高校」として知られています。サッカー部は全国高校サッカー選手権の優勝経験を持つ全国屈指の強豪で、駅伝などほかの部活動も盛んな私立高校です。

前田選手は大阪府出身で、中学卒業と同時に親元を離れ、単身で山梨県に渡りました。15歳での「サッカー留学」です。高校の3年間は甲府の地で寮生活を送りながら、サッカー漬けの日々を過ごしました。

高校時代のプロフィール早見表

項目 内容
氏名前田 大然(まえだ だいぜん)
生年月日1997年10月20日
出身地大阪府(小学4年から南河内郡太子町で育つ)
出身高校山梨学院大学附属高校(現・山梨学院高校)
在学期間2013年4月〜2016年3月
ポジションFW
高校時代の主な実績高校3年時、プリンスリーグ関東で12ゴールを挙げ得点王
卒業後の進路松本山雅FCに加入(高卒でプロ入り)

進学のきっかけは、テレビで見た「初出場初優勝」

大阪の少年だった前田選手が、なぜ縁もゆかりもない山梨の高校を選んだのか。きっかけは小学6年の冬、2010年1月の全国高校サッカー選手権でした。この大会で山梨学院大学附属高校は初出場ながら初優勝という快挙を成し遂げます。その姿に強く憧れた前田少年は「この高校で全国の舞台に立ちたい」と心に決め、中学卒業後に大阪から山梨へと進学しました。

中学3年時には同校の練習にも参加しており、当時の監督だった吉永一明氏は、そのスピードに目を留めて受け入れを決めたと語っています。ただし吉永氏は後年のインタビューで、出会った当時の前田選手について「足は速かったが、今のような特別な武器というほどではなかった」という趣旨の振り返りもしています。最初から完成された天才だったわけではない、という点は意外に思う方も多いのではないでしょうか。

高校時代最大の転機|サッカー部からの除籍と「空白の1年」

前田大然選手の高校時代を語るうえで避けて通れないのが、サッカー部からの除籍処分です。これは本人もたびたび公の場で語っている、キャリア最大の転機のひとつです。

除籍の理由は「チームの規律を乱す行為」

前田選手は高校1年の1月、部員仲間とともに掃除をさぼるなど、チームの規律を乱す行為があったとして、サッカー部から除籍処分を受けました。停学や謹慎ではなく「除籍」、つまり部そのものから籍を外されるという重い処分です。本人ものちに、高校2年時の丸1年間、規律違反が原因でまったくサッカーができなかったと振り返っています。

当時の状況は相当に深刻だったようで、監督だった吉永氏は、保護者に転校を検討してほしいと伝えるほどだったと明かしています。全国の頂点を夢見て単身で山梨に来た15〜16歳の少年にとって、これ以上ない挫折だったことは想像に難くありません。

除籍中の生活|パン屋のアルバイトと社会人チーム

除籍されていた約1年間、前田選手はサッカー部の活動には一切参加できませんでした。この期間には地元のパン屋でアルバイトをしていたことが、スポーツメディアの取材で報じられています。また、社会人チームの人たちにかわいがってもらいながらボールを蹴り続けたことも、本人がインタビューで語っています。

皮肉なことに、前田選手が部を離れている間に、山梨学院は彼が目標としていた全国高校サッカー選手権に出場しています。仲間がテレビや全国の舞台で戦う姿を、自分はスタンドから見ることしかできない。この経験が、前田選手の内面を大きく変えたといわれています。

「自分のため」から「人のため」へ変わった意識

前田選手は当時を振り返り、それまではピッチの内外で自分のことしか考えていなかったこと、そして除籍中に家族や周囲の人に支えられたことで「人の気持ちを背負ってサッカーをしなければいけない」と考えるようになったことを語っています。

現在の前田選手の代名詞である「チームのために走り続ける献身的なプレースタイル」の原点は、この空白の1年にあるとみられています。才能ではなく、挫折が今のスタイルをつくったという点が、前田選手の高校時代のいちばんの見どころです。

復帰後の飛躍|プリンスリーグ関東得点王とあだ名「プリウス」

前田高校時代

除籍から約1年後、前田選手はサッカー部への復帰を認められます。ここからの巻き返しが、まさに圧巻でした。

高校3年でプリンスリーグ関東の得点王に

復帰後の前田選手は、持ち前のスピードに献身性が加わり、別人のような選手へと変貌します。高校3年時には、関東の強豪チームがしのぎを削る高円宮杯プリンスリーグ関東で12ゴールを挙げ、得点王に輝きました。プリンスリーグは高校の部活チームとJリーグクラブのユースチームが混在するハイレベルなリーグで、そこでの得点王は全国的にも注目される実績です。約1年間公式戦から離れていた選手が、復帰からわずかな期間でこの結果を出したことになります。

全国大会にはあと一歩届かなかった

一方で、入学の動機だった全国高校サッカー選手権への出場は、最後までかないませんでした。高校3年時の選手権予選では、決勝で自ら2ゴールを挙げる活躍を見せたものの、チームは敗れ、全国の切符をつかむことはできませんでした。インターハイを含め、前田選手自身は高校3年間で全国大会のピッチに立てないままの卒業となりました。

「全国大会に出ていない日本代表FW」という経歴は、高校サッカーで無名でもその後にいくらでも道が開けることを示す好例として、今も多くのメディアで取り上げられています。

あだ名は「プリウス」|静かに忍び寄る俊足FW

高校時代の前田選手には「プリウス」というユニークなあだ名がありました。前線から鋭くプレスをかける際、相手に気づかれないうちに一気に間合いを詰めてしまう様子が、走行音の静かなハイブリッドカーのようだったことが由来です。手動計測ながら50メートル5.8秒とされる俊足は、高校時代からすでに規格外だったことがうかがえます。

恩師・吉永一明監督と高卒でのプロ入り

「大学よりプロへ」|松本山雅FC加入という決断

前田選手のポテンシャルを信じ続けたのが、当時の監督・吉永一明氏でした。除籍という厳しい処分を下しながらも復帰の道を残し、卒業後の進路では大学進学ではなくプロ入りを後押ししたと伝えられています。前田選手自身も一時は大学進学を考えたものの、最終的にプロの道を選びました。

2015年12月、当時J2の松本山雅FCが前田選手の新加入内定を発表し、2016年に高卒ルーキーとしてプロキャリアをスタートさせます。全国大会出場経験のない高卒FWの挑戦は、ここから世界へとつながっていきました。

高校時代とその後のキャリア年表

時期 出来事
2013年4月山梨学院大学附属高校に入学
2014年1月規律違反によりサッカー部を除籍
2015年頃約1年ぶりに復部が認められる
2015年(高3)プリンスリーグ関東で12ゴールを挙げ得点王
2016年松本山雅FCに加入しプロデビュー
2021年横浜F・マリノスでJ1得点王(Jリーグ史上2番目の若さ)
2022年1月スコットランドの名門セルティックへ移籍
2022年12月W杯カタール大会・クロアチア戦で先制ゴール
2024-25シーズン公式戦33得点。スコットランドリーグMVPなど個人賞を多数受賞
2025-26シーズンセルティックのリーグ5連覇に貢献。2026年W杯日本代表に選出

母校とのつながりは今も|高校サッカー選手権の「応援リーダー」に

高校時代に一度も立てなかった全国高校サッカー選手権の舞台に、前田選手は思わぬ形で「帰って」きました。2025年12月開幕の第104回全国高校サッカー選手権大会で、大会の顔となる応援リーダーに就任したのです。全国大会出場経験のない選手がこの役割を担うのは異色ですが、除籍と挫折を乗り越えて世界で活躍する前田選手だからこそ、全国の高校生に届くメッセージがあるといえるでしょう。

前田大然の高校時代が教えてくれること

前田選手の高校時代は、エリート街道とは正反対の道のりでした。憧れだけを頼りに単身で山梨へ渡り、規律違反で1年間サッカーを奪われ、目標だった全国大会には最後まで届かなかった。それでも腐らずに走り続けた結果、プリンスリーグ得点王、高卒プロ入り、J1得点王、そして日本代表とセルティックのエースへと駆け上がりました。

「失敗した後にどう振る舞うか」がその後の人生を決める。前田選手の高校3年間は、サッカーに限らず、部活動に打ち込むすべての学生とその保護者にとって示唆に富むストーリーではないでしょうか。

よくある質問

Q1. 前田大然選手の出身高校はどこですか?

山梨県の山梨学院大学附属高校です。2016年に校名が変更され、現在は山梨学院高校となっています。全国高校サッカー選手権の優勝経験を持つ強豪校です。

Q2. 前田大然選手は高校時代に全国大会へ出場しましたか?

出場していません。高校3年時の選手権予選決勝では自ら2ゴールを挙げましたが、チームは敗れ、全国大会出場はかないませんでした。全国未経験のまま世界で活躍する選手の代表例といえます。

Q3. サッカー部を除籍された理由は何ですか?

掃除をさぼるなど、チームの規律を乱す行為があったためと伝えられています。高校1年の1月に除籍処分を受け、約1年間サッカー部を離れたのち、復部が認められました。

Q4. 前田大然選手は大学に進学しましたか?

進学していません。「山梨学院大学附属高校」という校名から誤解されがちですが、高校卒業後はそのまま当時J2の松本山雅FCに加入し、高卒でプロ入りしています。

Q5. 高校時代のあだ名「プリウス」の由来は?

前線からプレスをかける際、相手に気づかれないまま静かに素早く間合いを詰める姿が、静粛性の高いハイブリッドカーに例えられたことが由来です。

まとめ|挫折から始まった山梨学院での3年間が日本代表FWをつくった

最後に、この記事の要点を整理します。

前田大然の高校時代 要点まとめ

  • 出身高校は山梨学院大学附属高校(現・山梨学院高校)。2010年の選手権初優勝に憧れ、大阪から単身進学した
  • 高校1年の1月に規律違反でサッカー部を除籍され、約1年間の空白期間を経験した
  • 復帰後の高校3年時にはプリンスリーグ関東で12ゴールを挙げ得点王に輝いた
  • 全国大会出場はかなわなかったが、卒業後に松本山雅FCへ加入し高卒でプロ入りした
  • 除籍期間に芽生えた「人のために走る」意識が、日本代表・セルティックで見せる献身的なスタイルの原点になっている

華やかな経歴の裏にある挫折を知ると、前田選手の90分間走り続ける姿がまた違って見えてくるはずです。ピッチで彼が見せるひたむきさの原点は、山梨学院で過ごした激動の3年間にあります。