- 谷村海那の出身高校はどこ?高校時代はどんな選手だった?
- 大谷翔平と同じ花巻東って本当?在学の時期は重なっている?
- 大学は国士舘?出身の小学校・中学校や、グルージャ盛岡との関係は?
谷村海那の出身高校は、岩手県花巻市の花巻東高校です。メジャーリーグの大谷翔平と同じ母校で、谷村は大谷の3学年下にあたります。
高校卒業後は国士舘大学(体育学部)に進み、2020年に当時JFLのいわきFCでプロになりました。この記事では、盛岡市の小学校・中学校から花巻東、国士舘大学までの学生時代を、当時の報道と本人の言葉でたどります。
谷村海那の高校は花巻東、大学は国士舘大学
谷村海那の学歴は、盛岡市立永井小学校、盛岡市立大宮中学校、花巻東高校、国士舘大学です。横浜F・マリノスの公式プロフィールでは、経歴が「グルージャ盛岡ジュニア(盛岡市立永井小学校)→盛岡市立大宮中学校→花巻東高等学校→国士舘大学→いわきFC」と紹介されています。
生年月日は1998年3月5日の早生まれなので、学年は1997年4月以降に生まれた人たちと同じです。ゲキサカの記事では2015年10月の時点で高校3年生、国士舘大学の発表では2020年(令和2年)の卒業です。
ポジションは、小学校から高校まではFWで、大学でボランチに変わり、プロになってからFWに戻りました(いわきFC公式note 2021年10月21日、デイリースポーツ 2026年9月19日)。
花巻東高校時代は10番・主将、でも全国には届かず
谷村は、3学年上の兄がいた岩手の名門・盛岡商業高校には入れず、当時まだ全国大会に出たことのなかった新興の花巻東に進みました。本人は「それであれば花巻東を強くして全国大会に初出場をして歴史を刻みたいと思った」と振り返っています(FOOTBALL ZONE 2026年10月1日)。高校3年の秋にも「花東で全国行こうと思って入った」と話していました(ゲキサカ 2015年10月29日)。
下級生のころから10番を背負うエースで、3年生では主将。全国高校サッカー選手権の岩手県予選では、チームを2年連続でベスト4まで引き上げました。ただ、当時の花巻東サッカー部は県で8強か4強止まりで、練習は土のグラウンドだったと伝えられています(スポーツ報知 2026年9月18日)。
3年生の2015年10月27日、選手権の岩手県予選準決勝で遠野高校と対戦しました。谷村は前半21分の左足のループシュートと後半10分の右足のシュートで2度同点にしましたが、チームは2-5で敗れ、全国には届きませんでした。この試合でFKから2点を決めた遠野の岩渕弘人は、のちにいわきFCで谷村のチームメイトになっています(いわきFC公式note)。
高校時代の評価と目標
| 項目 | 2015年10月の記事より |
|---|---|
| 体格 | 身長180cmの長身FW |
| 強み | 1〜2人のプレッシャーならかわせる強さとテクニック、DFを振り切るスピードと決定力 |
| 本人が挙げた課題 | 切り替えの速さと守備 |
| なりたい選手 | 守備も攻撃もでき、試合をつくれる選手。手本はガンバ大阪の遠藤選手(遠藤保仁) |
| 監督の言葉 | 白瀧慶監督「彼なら大丈夫」とプロ入りに期待 |
※ゲキサカ「[選手権予選]花巻東の注目FW谷村海那、抜群の素材感披露して2ゴールも全国届かず…」(2015年10月29日)をもとにフットボール戦士がまとめたもの。
高校から直接プロには進めず、大学を経由してプロを目指す道を選びました。「結果が全てだから、結果を残さないと上にも行けない」という3年の秋の言葉どおり、ここから長い遠回りが始まります。
大谷翔平と同じ花巻東、谷村海那は3学年下
花巻東高校は、野球部から菊池雄星や大谷翔平が出た学校として知られています。谷村は大谷の3学年下で(スポーツ報知 2026年9月18日)、大谷が卒業した2013年の春に入学しました。在学の時期は重なっておらず、高校で一緒に過ごしたわけではありません。
それでも、2人をつなぐ話はいくつかあります。いわきFC時代の谷村は、大谷がエンゼルスでつけていたのと同じ17番をつけていて、周りから「大谷」と呼ばれていたそうです。本人は、大谷とは世界が違うと否定しています。大学時代には、花巻東野球部の佐々木洋監督と食事をしたこともあるといいます(いずれもスポーツ報知 2026年9月18日)。
2025年10月18日、大谷が3本塁打でワールドシリーズ進出を決めた日に、谷村もJ1の浦和戦で先制点を挙げました。試合後には「野球とサッカーは違いますけど、僕もそういう選手になりたい」と、高校の先輩への思いを話しています(日刊スポーツ 2025年10月18日)。2026年9月に日本代表に初めて選ばれたときも、日刊スポーツやスポーツ報知は見出しに「大谷翔平の後輩」「大谷翔平と同じ・花巻東出身」と入れました。
国士舘大学ではボランチに転向、4年で9アシスト
この度、弊部OBである #谷村海那 選手が日本代表に選出されました!
— 国士舘大学サッカー部 (@KokushikanFc) 2026年9月18日
日本を背負って戦う谷村選手に沢山の応援をよろしくお願いいたします🇯🇵
#国士舘大学サッカー部 #SAMURAIBLUE #サッカー日本代表 https://t.co/anRFH8bN4J
国士舘大学サッカー部のXの投稿(2026年9月18日)。谷村海那の日本代表初選出を、OBとして伝えた国士舘大学サッカー部の投稿です。
高校卒業後は、国士舘大学の体育学部に進みました。本人は一度はプロをあきらめかけましたが、国士舘からセレクションに誘われてサッカーを続けたと話しています(スポーツ報知 2026年9月18日)。花巻東と国士舘には縁があり、練習試合での評価がきっかけだったとも伝えられています(FOOTBALL ZONE 2026年10月1日)。
1年生のときに関東大学リーグ1部の専修大学戦でデビューし、いきなりゴールを決めました。しかし2・3年生では出番が減り、ボランチ、サイドハーフ、トップ下、サイドバックと、いくつものポジションを経験します。本人は「何度も挫折をしました」と振り返り、サッカーを辞めようと思うたびに、大澤英雄監督(故人)の「とにかく頑張れ、親を悲しませるな」という言葉に支えられたと話しています(FOOTBALL ZONE 2026年10月1日)。
4年生でようやくボランチとして攻撃の中心になり、関東大学リーグ2部で9アシストを記録して、アシストランキング2位に入りました(いわきFC公式note 2021年10月21日)。高校まで点取り屋だった谷村が、大学では点を取らせる側で結果を出したことになります。
いわきFC公式チャンネル「【サトシの部屋】国士舘大コンビ登場!谷村選手の本性はキング?!」(2021年3月公開)。いわきFCに入った国士舘大学出身の2人が出演した、クラブの企画動画です。
大学卒業時、Jクラブからのオファーはなかった
2020年春の卒業時、谷村はプロを目指していましたが、Jクラブからのオファーは届かず、声をかけたのは当時JFL(国内4部相当)のいわきFCだけでした(FOOTBALL ZONE 2025年7月27日)。大学2年のときにいわきが天皇杯で北海道コンサドーレ札幌を破ったことで興味を持ち、4年生で練習に参加して、加入を強く望んだといいます(いわきFC公式note)。
2025年にいわきを離れるときも、谷村は「大学の時、オファーを出してくれたいわきFCに本当に感謝しています」と話しています。プロではFWに戻り、いわきのJ3・J2昇格を経て、2025年に横浜F・マリノスへ移り、2026年9月に日本代表に初めて選ばれました。
出身は岩手県盛岡市、小学校ではグルージャ盛岡ジュニアに
🇯🇵 羽ばたけ、世界へ
— いわてグルージャ盛岡【公式】 (@IwateGrulla) 2026年9月18日
かつて #いわてグルージャ盛岡ジュニア (当時グルージャ盛岡ジュニア)でプレーした #谷村海那 選手が、日本代表メンバーに選出されました👏
岩手でボールを追いかけた少年が、
日の丸を背負い、新たな舞台へ。… https://t.co/br2nL1Lu90
いわてグルージャ盛岡【公式】のXの投稿(2026年9月18日)。小学生のころの谷村海那がプレーしたグルージャ盛岡ジュニアの縁で、代表初選出を祝った投稿です。
谷村は岩手県盛岡市の出身です。サッカーを始めたのは小学生のときで、きっかけは兄でした。横浜F・マリノスの選手コラムでは、兄がサッカーをやっていて自分もやってみたいと思ったのがきっかけだと話しています(2026年7月)。
小学校は盛岡市立永井小学校で、地元のクラブ「グルージャ盛岡ジュニア」(今のいわてグルージャ盛岡ジュニア)でプレーしました。「谷村海那 グルージャ」と調べる人もいますが、プレーしたのは小学生のジュニアチームです。いわてグルージャ盛岡のトップチームに所属したことはありません。
中学校は盛岡市立大宮中学校
岩手県盛岡市出身の #谷村海那 選手(盛岡市立大宮中学校 – 花巻東高等学校)がキリンチャレンジカップに臨むサッカー日本代表に選ばれました🙌✨️⚽️
— 岩手県広聴広報課 (@pref_iwate) 2026年9月17日
谷村選手のゴールを期待して応援しています🎌❤️🔥📣 https://t.co/PjtoeA6XlY
岩手県広聴広報課のXの投稿(2026年9月17日)。盛岡市立大宮中学校から花巻東高校に進んだ谷村海那の代表初選出を伝えた、岩手県の投稿です。
中学校は盛岡市立大宮中学校です。岩手県も日本代表初選出のときに「盛岡市立大宮中学校 – 花巻東高等学校」と紹介しました。中学ではクラブチームではなく中体連(中学校の部活動)でプレーし、兄と同じく体格があって点の取れるストライカーとして知られていたと伝えられています(FOOTBALL ZONE 2026年10月1日)。
岩手県生まれの日本代表は、谷村海那で7人目
フットボール戦士の「サッカー日本代表 選手データベース」(Wikidataの記載をもとにした日本代表経験者704人・2026年10月12日更新)で数えると、岩手県生まれは6人でした。谷村はまだデータベースに入っていないので、加えると7人目です。
6人のうち盛岡市生まれは、瀬田龍彦、小笠原満男、山本脩斗の3人で、谷村は4人目になります。都道府県別で最も多い静岡県は80人、東京都は69人なので、岩手県から日本代表に入る選手はかなり少ないことが分かります。
※Wikidataに出生地が書かれていない選手は数えていません。
よくある質問
A. 岩手県花巻市の花巻東高校です。下級生のころから10番、3年生で主将を務め、選手権の岩手県予選で2年連続ベスト4に入りましたが、全国大会には出られませんでした。
A. 同級生ではありません。同じ花巻東高校の出身ですが、谷村は大谷の3学年下で、大谷が卒業した2013年春に入学したので在学は重なっていません。
A. 国士舘大学の体育学部で、2020年に卒業しました。大学ではボランチになり、4年生で関東大学リーグ2部のアシストランキング2位(9アシスト)に入りました。
A. 小学校は盛岡市立永井小学校で、グルージャ盛岡ジュニアでプレーしていました。中学校は盛岡市立大宮中学校です。
A. プレーしたのは小学生のジュニアチームだけで、トップチームには所属していません。プロのキャリアは2020年のいわきFCから始まりました。
まとめ:谷村海那の高校は花巻東、大学は国士舘大学
- 出身は岩手県盛岡市。小学校は盛岡市立永井小学校(グルージャ盛岡ジュニア)、中学校は盛岡市立大宮中学校
- 高校は花巻東。10番・主将で県予選2年連続ベスト4、全国大会には届かなかった
- 大谷翔平の3学年下で、在学は重なっていない。「僕もそういう選手になりたい」と先輩への思いを話している
- 大学は国士舘大学体育学部。ボランチに転向し、4年で9アシスト
- 卒業時にJクラブからのオファーはなく、当時JFLのいわきFCでプロになった
- 岩手県生まれの日本代表経験者は、フットボール戦士の集計で谷村が7人目
谷村海那は、全国大会の経験がないまま高校を終え、大学でもポジションを転々とし、JFLからプロを始めた選手です。代表に初めて選ばれたときには、岩手県、いわてグルージャ盛岡、国士舘大学サッカー部、花巻東高校がそろって祝福しました。学生時代の遠回りが、28歳での日本代表入りにつながっています。
※この記事の情報は2026年10月19日時点のものです。学歴は横浜F・マリノス公式・国士舘大学・岩手県の発表と、ゲキサカ、FOOTBALL ZONE、スポーツ報知、日刊スポーツ、デイリースポーツの報道にもとづきます。
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