- 三笘薫の出身高校はどこ?偏差値は?高校サッカー部だったの?
- なぜ川崎フロンターレのトップ昇格を断って筑波大学に行ったの?推薦入学?
- ドリブルの卒業論文や教員免許、「頭いい」と言われる理由、大分出身の話は本当?
三笘薫の出身高校は、神奈川県川崎市の公立高校「川崎市立橘(たちばな)高校」です。サッカーは高校の部活ではなく、川崎フロンターレのユースチーム(U-18)でプレーしていました。
高校3年の夏にはトップチーム昇格を打診されましたが、「プロでやっていく自信がなかった」として断り、推薦で筑波大学の体育専門学群に進みました。この記事では、川崎フロンターレの公式プロフィールや本人のインタビューをもとに、学歴、大学を選んだ理由、ドリブルを研究した卒業論文、大分生まれ・川崎育ちの出身と経歴を順にまとめます。
三笘薫の高校は川崎市立橘高校!川崎フロンターレU-18と両立
川崎フロンターレ公式サイトの選手プロフィール(2021年)には、所属チームの経歴とあわせて通った学校が書かれています。小学校は川崎市立鷺沼小学校、中学校は川崎市立有馬中学校、高校は川崎市立橘高校で、小学校から高校までずっと川崎市内の公立校です。
川崎市立橘高校の同窓会も、2021年に東京五輪の日本代表に選ばれた際に「高校68期・三笘薫さん」として紹介しています。高校の3年間(2013〜2015年)、サッカーは川崎フロンターレU-18でプレーしました。
Jクラブのユースに入っている選手は、学校の部活ではなくクラブでサッカーをします。そのため、三笘薫は高校サッカー選手権には出ていません。出ていたのはJユースカップなどクラブユースの大会で、本人はプロフィールで「サッカー人生で一番悔しかった試合」に、高校3年のJユースでのセレッソ大阪戦を挙げています。
ちなみに、1学年下の田中碧とは同じ小学校の出身で、さぎぬまSCと川崎フロンターレのアカデミーでも一緒にプレーしました(TBS NEWS DIG 2022年12月4日)。2人は同じ道を歩いてきた幼なじみですが、高校卒業後の進路はここで分かれます(次の章)。
橘高校の偏差値は?三笘薫の学科は公表されていない
川崎市立橘高校には、普通科・国際科・スポーツ科の3つの学科があります。偏差値は学科で大きく違い、受験情報サイトによっても数字が変わります。
| 学科 | 偏差値(みんなの高校情報 2026年度版) |
|---|---|
| 普通科 | 58 |
| 国際科 | 54 |
| スポーツ科 | 44 |
※偏差値は模試の会社や算出の時期で変わります。別の受験情報サイトでは普通科を52〜60(合格可能性による幅)としているなど、サイトごとに数字が違うため目安としてご覧ください。
三笘薫がどの学科に通っていたかは、本人やクラブからは公表されていません。口コミサイトなどに「普通科だった」という書き込みはありますが、確かな出典は見つかりませんでした。そのため、「三笘薫の高校の偏差値は◯◯」と1つの数字で言い切ることはできません。
三笘薫はなぜ大学へ?川崎のトップ昇格を断った理由
JFATV(日本サッカー協会公式チャンネル)「天皇杯アンバサダー三笘薫 スペシャル対談」(2024年6月公開)。筑波大学蹴球部の小井土正亮監督と大学時代を振り返っています。
三笘薫は、高校3年の8月に川崎フロンターレからトップチームへの昇格を伝えられました。Number Web(2018年5月28日)によると、クラブの強化部とU-18の監督が本人と両親に面談し、昇格を伝えたそうです。それでも本人の答えは「筑波大に行って、大学サッカーの4年間でもう一度自分を鍛え直したい」でした。
理由について、本人は同じ記事でこう話しています。
三好康児と板倉滉は、三笘と同じ川崎のユース育ちで、高校卒業と同時にトップチームに上がった1学年上の先輩です。本人はさらに「多少回り道でも高卒からプロではなく、当時は大学進学がベターだと思った」「長期的なビジョンでも自分やサッカーを見つめたかった」とも話しています。
筑波大学を選んだ決め手は「パスと技術」と「勉強」
筑波大学を選んだきっかけは、高校3年の春に見た試合でした。当時の筑波大は関東大学リーグ2部でしたが、パス主体で個々の技術を大切にしている点にひかれ、U-18の監督に頼んで練習に参加したそうです。
練習の質や環境の良さに加え、本人は「4年間勉強ができる」ことも挙げています。「サッカー選手としての現役時代はそんなに長くないですし、その先の方が長い。人間的な成長も視野に入れて考えると、“ここしかないのでは”と思っていました」という言葉からは、引退後まで見すえた選択だったことが分かります。
なお、1学年下の田中碧は2017年にU-18からトップチームへ昇格しました。同じクラブで育った幼なじみが、高卒プロと大学進学という別々の道を選んだことになります。2人は三笘が大学を卒業した2020年に、川崎で再びチームメイトになりました。
筑波大学には推薦で入学!体育専門学群の推薦入試とは
三笘薫は、スポーツ推薦で筑波大学の体育専門学群に進みました(PRESIDENT Online)。Number Webも、2016年に三笘たち4人がJクラブのアカデミーから「推薦枠で入学した」と伝えています。同じ年に入ったのは、ヴィッセル神戸U-18の山川哲史、北海道コンサドーレ札幌U-18の高嶺朋樹、アルビレックス新潟U-18の阿部航斗です。
筑波大学の推薦入試は、出身学校長の推薦にもとづいて、書類・小論文・面接・実技などで合格者を決めます。2026年9月に公表された2027年度入試の募集要項では、体育専門学群の募集人員は90名です。出願できるのは「一つの運動種目に抜群の技能」があり、大学で学ぶ力も備えた人で、国際大会の日本代表や全国大会16位以内などの実績が目安になっています。
試験は書類のほか、スポーツに関する文章問題(600字程度の論述を含む)、面接、実技です。大学入学共通テストは課されません。ただし、三笘が受けたのは2016年度入試で、細かい条件が今と同じとは限りません。本人がどの要件で出願したかも公表されていません。
筑波大学での4年間:天皇杯の独走ゴールから川崎内定まで
JFATV(日本サッカー協会公式チャンネル)「第97回天皇杯2回戦 ベガルタ仙台 vs 筑波大学 ダイジェスト」(2017年7月公開)。大学2年の三笘薫がJ1の仙台から2得点を挙げた試合です。
三笘薫が筑波大学に入った2016年、チームは全日本大学選手権(インカレ)で優勝しました。ただ、恩師の小井土正亮監督によると、入学当初から主力だったわけではありません。小井土監督は「上手さだけを見たら、多分あいつが一番だった」としつつ、2年生の途中まではあまり起用しなかったと振り返っています(PRESIDENT Online)。
名前が一気に知られたのは、大学2年の2017年6月21日です。天皇杯2回戦でJ1のベガルタ仙台と対戦し、自陣からのドリブルで独走したゴールを含む2得点で勝利しました。本人も後に、この試合を「人生が変わった」転機に挙げています(Number Web 2021年2月24日)。
同じ2017年には、ユニバーシアード日本代表として金メダルを獲得し、9月には川崎フロンターレの特別指定選手になりました。大学3年の2018年7月13日、2020年シーズンからの川崎加入内定が発表されています。
三笘薫の卒論はドリブルの研究!題名と中身
三笘薫の卒業論文の題名は「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」です。FOOTBALL ZONEの取材で、論文を指導した小井土正亮監督が紹介しています。
中身は、ドリブルが上手な人とそうでない人では「何を見ているか」が違うのではないか、という仮説の検証です。頭に小型カメラ「GoPro」をつけてボールを持って相手に向かい、撮った映像を分析しました。結果は、上手な人ほど相手との間合いやスペースをつかむことを重視し、視線をまっすぐ保ってドリブルしていた、というものでした。
本人は、最初は「ドリブルとパーソナルスペースの関係」を調べようとしたものの、方法が難しくてやめ、「ドリブルからの目線」をテーマにしたと話しています(Number Web 2021年2月24日)。小井土監督は、実験をしてデータを取る仮説検証型の卒論は「極めて稀なケース」で、失敗の可能性も分かったうえで取り組んだ点を評価しています。
三笘薫の卒論は読める?
卒業論文そのものが、インターネットなどで一般に公開されているのは確認できませんでした。Number Web(2020年10月14日)によると、論文は筑波大学の研究室に保管され、後輩たちに受け継がれているそうです。FOOTBALL ZONEは、ほかの大学の学生からも「参考論文に使いたい」という問い合わせが相次いだと伝えています。
三笘薫は教員免許を持っている?
三笘薫本人が教員免許を取ったという確かな情報は、本人の発言や大学・クラブの発表、大手の報道では見つかりませんでした。現時点では「取得したかどうかは公表されていない」が正確です。
「三笘薫 教員免許」で出てくる話には、別の人の話が混ざっています。筑波大学時代の同級生対談(Number Web 2021年2月24日)で「教員免許の勉強もあった」と話したのは、バスケットボールの増田啓介選手です。また「筑波大で中学・高校の教員免許を取得」と報じられたのは、同じ筑波大学出身でサッカーの角田涼太朗選手でした。
| よく見かける話 | 実際に話していた人 | 出典 |
|---|---|---|
| 筑波大で「教員免許の勉強もあった」 | 増田啓介(バスケットボール・筑波大の同級生) | Number Web 2021年2月24日 |
| 筑波大で中学・高校の教員免許を取得 | 角田涼太朗(サッカー・筑波大出身) | Qoly(テレビ番組での発言を紹介) |
| 三笘薫が教員免許を取った | 本人・大学・クラブの発表は見つからない | ― |
「頭いい」と言われる理由
三笘薫が「頭がいい」と言われるのは、テストの成績が公表されているからではありません。国立の筑波大学に進んで4年間で卒業し、実験型の卒業論文を仕上げたこと、そして自分のプレーを言葉で説明できることが理由です。
2023年6月には、初めての著書『VISION 夢を叶える逆算思考』(双葉社)を出版しました。目標から逆算して準備する考え方をまとめた本で、2025年には文庫版も出ています。
三笘薫は大分出身?生まれは大分県、育ちは川崎市
三笘薫は大分県生まれで、神奈川県川崎市で育ちました。2024年10月にプレミアリーグ公式が公開したインタビューで、本人が「大分県で生まれて神奈川県の川崎市で育ちました」と話しています(ゲキサカ 2024年10月19日)。
一方、川崎フロンターレの公式プロフィールでは、出身地は「神奈川県川崎市」です。「出身地=育った場所」として書かれているためで、どちらも間違いではありません。大分県のどの市で生まれたかは、本人やクラブからは公表されていません(インターネット上では日田市・大分市など説が分かれています)。
2025年6月29日には、生まれた地である大分で初めてのサッカー教室を開きました。本人は「最初にやるのは、自分らしさも含めて生まれた地・大分がいいかなと思って」と話しています(スポーツブル 2025年7月4日)。
三笘薫の経歴:川崎→ユニオンSG→ブライトン
大学を卒業した2020年、三笘薫は川崎フロンターレに加入しました。1年目からJ1で30試合13得点を挙げ、チームのJ1優勝に貢献してJリーグのベストイレブンにも選ばれています。
2021年8月10日、イングランド・プレミアリーグのブライトンへ完全移籍しました。ただし、当時はA代表の経験がなくイギリスの労働許可が下りなかったため、まずベルギー1部のユニオンSGへ期限付きで移籍しています。ユニオンSGでリーグ戦27試合7得点を挙げ、2022年夏にブライトンへ戻りました。
ブライトンでの活躍と2026年10月の状況
ブライトン公式チャンネル「Kaoru Mitoma | Top 5 Premier League Goals」(2026年1月公開)。プレミアリーグ100試合出場を記念した、ブライトンでのゴール集です。
ブライトンでは2022-23シーズンからプレミアリーグで出場を重ね、2025年1月にはプレミアリーグでの日本人最多得点(当時15点)を記録しました。日本代表としては2022年のW杯カタール大会に出場しています。
2026年は、5月9日のウルヴァーハンプトン戦で左ハムストリング(太もも裏)を負傷し、W杯2026のメンバーから外れました。5月25日には手術を受けたことが発表され、10月11日時点の報道では、まだ公式戦に戻らずリハビリを続けています(サッカーキング)。
プロフィールも整理しておきます。生年月日は1997年5月20日で、早生まれではありません。身長は178cm(川崎フロンターレ公式プロフィールなど)です。フットボール戦士の集計(Wikidataの記載をもとにした日本代表選手データベース)では、MFの日本代表経験者208人の平均は174.7cmで、三笘薫は高いほうから39番目でした。
よくある質問
A. 神奈川県の川崎市立橘高校です。サッカーは高校の部活ではなく、川崎フロンターレU-18でプレーしていました。
A. 出ていません。Jクラブのユース所属だったため、出ていたのはJユースカップなどクラブユースの大会です。
A. 本人は「当時はプロでやっていく自信がなかった」と話しています。1学年上の先輩の姿を見て今はまだ早いと考え、4年間で自分を鍛え直し、勉強もできる筑波大学を選びました。
A. はい。スポーツ推薦で体育専門学群に入学したと報じられています。筑波大学の推薦入試は、競技の実績に加えて小論文・面接・実技で選ばれます。
A. 「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」です。頭にカメラをつけてドリブルし、上手な人が何を見ているかを調べました。
まとめ:三笘薫の高校は橘高校、大学は筑波大学
- 高校は川崎市立橘高校。サッカーは川崎フロンターレU-18で、高校サッカー選手権には出ていない
- 偏差値は学科によって違い、本人の学科は公表されていない
- 高校3年でトップ昇格を打診されたが「プロでやる自信がなかった」として断り、推薦で筑波大学体育専門学群へ
- 卒業論文は「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」。教員免許の取得は公表されていない
- 大分県生まれ・川崎市育ち。2020年に川崎へ加入し、ユニオンSGを経てブライトンへ
三笘薫の学歴は、トップ昇格を自分で断り、大学で4年間かけて力をつけた「回り道」の選択が出発点です。大学で書いたドリブルの卒業論文は、そのまま今のプレーにつながっています。2026年10月時点ではけがからの復帰を目指しており、ピッチに戻る日が待たれます。
※この記事の情報は2026年10月15日時点のものです。高校の偏差値や入試の条件は年度によって変わるため、最新の情報は各学校・大学の公式発表をご確認ください。
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