リオネル・メッシはサッカー史上でも屈指の選手であり、キャリアを通じて様々なポジションでプレーしてきました。その都度プレースタイルも進化し、ウィンガーとしてのドリブラーから「偽9番」としての得点源、さらにはトップ下・プレーメーカーとしてチームを操る存在へと変貌を遂げています。
本記事では、メッシのキャリアにおけるポジションの変遷とそれに伴うプレースタイルの変化について、データや戦術的な視点を交えながら分かりやすく解説します。クラブと代表チームでの役割の違いや、メッシのスタイルがサッカー界に与えた影響についても触れていきましょう。

メッシは下部組織(ラ・マシア)やバルセロナB時代、主に左ウィングやトップ下のポジションでプレーしており、自身でも典型的なアルゼンチンのエンガンチェ(司令塔的な背番号10)だと考えていました。
しかしトップチームに昇格すると、当時バルサではロナウジーニョが左ウィング、エトーが中央のストライカーを務めていたため、メッシは主に右ウィングに配置されることになります。
デビュー当初のメッシはとにかく純粋なドリブラーであり、タッチライン際の右サイドでボールを受けては縦に仕掛け、エトオやロナウジーニョにクロスやパスを送るのが持ち味でした。
まだ細身だった若き日のメッシは、スピードと俊敏性を活かしてサイドを突破しチャンスメイクする役割を担っていたのです。
🗣 Ludovic Giuly: “What Messi has done for 15 years cannot be compared to a hat-trick. These comparisons mean nothing.” pic.twitter.com/E5A0lOWY1F
— Barça Worldwide (@BarcaWorldwide) February 18, 2021
トップチーム初期のメッシ(左)。当時はリュドヴィク・ジュリ(右)らと右ウィングのポジションを分け合いながら起用されていた。
そんなメッシですが、経験を積むにつれて徐々にプレースタイルに変化が見られました。右サイドからドリブルで中央に切れ込む場面が増え、自らシュートを狙う場面も増加していきます。
上記3つのイベントを2D Kernel Density Estimationによって、ヒートマップ化しました。
— さえない / saenai (@saeeeeru) September 4, 2019
左上:エトー、ロナウジーニョ期
右上:エトー、アンリ期
左下:ペップ全盛期(偽9番)
右下:ネイマール加入以降 pic.twitter.com/OtmgL4OAEK
実際、キャリア初期のヒートマップを分析すると、2005-06~06-07シーズンあたりはピッチ右側にプレーエリアが集中しており、典型的な右ウィンガーとしてプレーしていたことがわかります。
しかし内に切り込むプレーの増加に伴いゴール数も右肩上がりとなり、2007-08シーズンには公式戦で32ゴールを挙げるまでになりました。
当初16ゴール程度だった若手が、わずか数年で倍以上の得点を記録するようになったのです。このようにキャリア初期のメッシは右ウィングとして徐々に得点力を開花させていき、ドリブラーからゴールスコアラーへの片鱗を見せ始めました。

2008-09シーズンにジョゼップ・グアルディオラ(ペップ)がバルセロナの監督に就任すると、メッシの起用法は大きな転機を迎えます。ペップはメッシを徐々に中央で起用し始め、従来のセンターフォワードとは異なる役割を与えました。
具体的には、それまで中央で起用されていたエトーを右サイドに、アンリを左サイドに配置し、メッシを最前線に置く「ゼロトップ(ストライカー不在)」の4-3-3を編み出したのです。
このポジションこそ、後に「偽9番」と呼ばれるようになる新たな役割でした。
偽9番として中央に入ったメッシは、まさに攻撃の司令塔とフィニッシャーを一手に担う存在となりました。メッシ自身は生粋のセンターフォワードではないため、定位置にとどまらず中盤まで下がってボールを受けます。
相手ディフェンダーから離れて自由に動き回ることで、中盤と最前線の間(ディフェンスラインと中盤の間)でボールを受けてゲームメイクを行いました。
この動きに相手のセンターバックがついてくれば、その背後にできたスペースへサイドの味方ウィンガーにスルーパスを通し、逆に相手DFが付いてこなければメッシ自身がドリブルで仕掛けていく――まさに二択を迫る形で相手守備を翻弄したのです。
そして最終局面では、自らが下がって起点を作っていながら、そのまま再びゴール前に飛び出してフィニッシュに絡むという、攻撃の全プロセスに関与する働きを見せました。
言い換えれば、「背番号10」の能力でチャンスメイクしつつ、「9番」として得点も奪う、一人二役のような役割だったのです。
この偽9番へのコンバートによって、メッシの才能は最大限に引き出されました。もともと卓越していたパスセンスやドリブルに加え、ゴール前で仕留める決定力も遺憾なく発揮され、毎試合のようにゴールとアシストを量産します。
例えば2009-10シーズン以降、メッシは毎年リーグ戦得点王争いの常連となり、2011-12シーズンには公式戦で実に64ゴールを叩き出しました。
2012年には年間で91ゴールという前人未到の記録も打ち立てています。チームタイトルの面でもこの時期のバルサは黄金期を迎え、メッシ自身も2009年から2012年にかけてバロンドール(世界年間最優秀選手賞)を前人未到の4年連続受賞という偉業を成し遂げています。
この偉業を達成したのは、地球上にただ一人💙❤#Messi #BallondOr pic.twitter.com/SAa6zZFXXz
— FC バルセロナ (@fcbarcelona_jp) December 2, 2019
偽9番としてプレーした2009-2014年頃は、まさにメッシのキャリアにおける絶頂期であり、その圧倒的な活躍は「史上最高」の呼び声を決定的なものとしました。
2014年、バルセロナにウルグアイ代表のストライカーであるルイス・スアレスが加入すると、メッシのポジション・役割に再び大きな変化が訪れます。スアレスは従来のエトーやビジャとは異なり、純粋なセンターフォワードとして最前線に固定起用されました。そのためメッシはスターティングポジション上は右ウィングに戻る形になります。
とはいえ、これは単に「右サイドから開始する」というだけで、実際のプレーエリアや役割は非常に流動的でした。スアレスが最前線で相手ディフェンス陣(センターバック)を牽制し引きつけることで、メッシには再び中央に入ってくるだけの十分なスペースと自由が与えられました。
メッシは必要に応じて右サイドに張ったり、中に絞ってトップ下のような位置でプレーしたりと、状況に応じてポジションを変えながら攻撃を組み立てます。右サイドではオーバーラップしてくるダニ・アウベスとのコンビネーション、中央ではスアレスとのワンツー、左サイドには走り込むネイマールへのロブパスと、フィールド全体を使った連携が見られました。
この頃のバルサの前線は、メッシ・スアレス・ネイマールのイニシャルをとって「MSN」と呼ばれる強力トリオが形成されます。3人はお互いにアシストを供給し合い、得点を競い合うように量産しました。実際、3人が共演した2014-15から2016-17の3シーズンで合計364ゴールという驚異的な数字を叩き出しており、当時の攻撃力は他を圧倒していました。
メッシ自身も右ウィングに戻ったとはいえ依然として抜群の存在感を放ち、スアレスとネイマールという強力な相棒を得たことで、より伸び伸びとプレーしていた印象があります。事実、この期間のメッシは毎シーズン公式戦で40ゴール以上を記録しており、ウィングに戻ってからも決定力が衰えていないどころか、新たな役割で進化を続けていたことが分かります。
戦術的に見れば、MSN時代のメッシは「右ウィングの位置から自由に動くプレーメイキングFW」とでも言うべき立ち位置でした。
守備時には4-4-2のような形で右サイドにいることもありましたが、攻撃に転じるとポジションにとらわれずボールのあるエリアへ顔を出します。時には中盤近くまで下がってパスを捌き、時には最前線に飛び出してスアレスと2トップ気味に並ぶこともありました。
ネイマールとはお互いサイドを入れ替わったり中央で細かいパス交換を見せるなど、ポジションの枠を超えた連動が特徴でした。結果としてこの時期、メッシは得点だけでなくアシスト数も増加し、自身がゴールゲッターであると同時にチャンスメーカーでもあるという、攻撃のあらゆる局面を担う存在感をさらに強めています。
2017年にネイマールが退団し、その後バルセロナはバルベルデ、セティエン、クーマンと指揮官が目まぐるしく交代します。それに伴い、メッシの役割も固定されたものではなくなっていきました。チーム編成や戦術によって、試合ごとにメッシのポジションが変化するようになったのです。
ある試合ではスアレスやグリーズマンと2トップ気味に並ぶフォーメーションで前線に位置し、別の試合では2人のフォワードの背後にトップ下(いわゆる「ホール」の位置)として構えることもありました。
時にはかつてのように偽9番として起用される試合もありましたが、基本的には右ウィングから中に入ってくる動きが多く、ポジション表記にとらわれず自由にプレーしていたと言えます。
この後期バルセロナ時代のプレースタイルの大きな特徴は、メッシのプレーエリアが以前にも増して中盤寄りになったことです。直近の数シーズンでは、センターサークルと相手ペナルティエリアの間あたり、つまりピッチ中央からやや前方のエリアでのボール関与が非常に増えました。
右サイドに張り付くよりも中央にポジションを取り、そこでボールを受けて前線にスルーパスを出したり、自らミドルシュートを放ったりする場面が目立ちます。データ上も、2018-19シーズン以降メッシのペナルティエリア内でのシュート数はリーグ戦で90分あたり3本を下回るようになり、逆にエリア外からのシュート数の方が上回るようになりました。
これは彼のプレーがより後方(中盤寄り)にシフトし、フィニッシャーというよりプレーメーカーとしての役割が増したことを示しています。
また年齢的な衰えから瞬間的なスピードや運動量が全盛期より落ちたこともあり、攻撃時以外は歩きながらポジションを調整し、ここぞという場面で加速して決定的なプレーをするというメリハリの効いたスタイルへと変化しています。
2021年夏にバルセロナから電撃的に移籍したパリ・サンジェルマン(PSG)でも、メッシは当初こそ右ウィングに名前を連ねましたが、その実態はチームのプレーメーカーそのものでした。加入初年度のPSGでの平均シュート数は試合あたり3.72本と、それまでのバルセロナ時代に比べて大きく減少しています。
戦術的には、ポチェッティーノ監督の下でメッシは「右WGの位置にいる司令塔」として起用され、中盤付近まで下がってゲームメイクを任されました。
一方でエース格のエムバペやネイマール、さらにディ・マリアらが前線で待ち構える形となり、メッシ自身がペナルティエリア付近まで持ち上がってフィニッシュに絡む機会は少なくなりました。
実際ヒートマップを見ても、メッシが相手ゴール前に侵入する回数は明らかに減っており、その結果シュートチャンスも限られてしまったのです。
この影響もあってか、PSG移籍1年目のリーグ戦ゴール数はわずか6得点と、キャリアの中でも最低水準の数字に留まりました。しかしその一方でチームトップのアシスト数を記録し、プレーメーカーとしてはさすがの存在感を示しています。2年目の2022-23シーズンには適応も進みゴール数も持ち直しましたが、それでも全盛期のような「点取り屋」というよりは、中盤から前線をつなぐ潤滑油・チャンスメイカーとしての色彩が強くなっています。
メッシのクラブ(バルセロナやPSG)での役割と、アルゼンチン代表での役割には、戦術面でいくつか違いが見られます。
クラブでは基本的にメッシを中心にチームが編成され、常に周囲に高い連携能力を持つ選手(シャビ、イニエスタ、ブスケッツ、ネイマール、スアレスなど)が揃っていました。そのためメッシは自分のプレーに専念しやすく、味方とのコンビネーションから多くのチャンスを生み出すことができました。
特にバルセロナでは攻撃のビルドアップ自体が「メッシ頼み」と言えるほどメッシ中心であり、彼が中盤でライン間のスペースを見つけても、周囲の選手がすぐにボールを預けて攻撃を託す環境が整っていました。
一方でアルゼンチン代表においては、必ずしも常にメッシがプレーしやすい状況ではありませんでした。フランス代表でチームメイトだったサムエル・ユムティティは2018年大会前に「メッシはアルゼンチンではバルサの時と違って周りのサポートが同じではない」と語っています。
実際バルサではスアレスのような頼れる相棒がいましたが、アルゼンチンではメッシがより孤軍奮闘を強いられる場面も多く、ゴンサロ・イグアインらストライカー陣の得点力不足もあってメッシへの負担が大きかった面があります。
アルゼンチン代表ではメッシがボールを持った時の周囲の動きや連携がクラブほど洗練されておらず、メッシがいくらスペースで待っていてもパスが来ない、というジレンマもしばしば指摘されました。
ユムティティも「アルゼンチン代表のメッシはバルサの時とは違う。周りの選手もプレースタイルも異なるし、彼一人ですべてをすることはできない」と述べており、メッシ自身も国民の期待を一身に背負う重圧に苦しんできました。
戦術的に見ると、アルゼンチン代表では監督によってメッシの起用法が迷走した時期もありました。若い頃は右ウィングで起用されたり、前線のセカンドストライカーとして使われたりしましたが、なかなかクラブと同じようなパフォーマンスを引き出せませんでした。
しかし2010年代後半以降、メッシを中盤のトップ下、いわゆるエンガンチェとして自由にプレーさせる方針が強まり、周囲もメッシを活かす形にシフトします。
2014年W杯では準優勝、2018年W杯では苦戦したものの、最終的に2021年のコパ・アメリカ制覇、そして2022年W杯優勝と、アルゼンチン代表もメッシを中心に据えて結果を残すようになりました。
現在のアルゼンチンではスカローニ監督の下、メッシが中盤まで下がってゲームメイクしつつ決定的な仕事ができるよう、周囲がハードワークとサポートを惜しまないチーム作りがなされています。
その意味で、近年の代表チームでのメッシはクラブで見られたような“攻撃のすべてを託される”役割を担っており、クラブと代表のスタイルの差異は徐々に縮まっているとも言えるでしょう。
メッシのプレースタイルとポジションの変遷は、サッカー界全体にも大きな影響を与えました。その最たる例が「偽9番(False Nine)」という戦術用語の浸透です。もともと偽9番自体は過去にも存在したコンセプトでしたが、現代サッカーにこの言葉を広めたきっかけは間違いなくグアルディオラ監督がメッシを1トップ起用したバルセロナ時代でしょう。
ストライカー不在のシステムで小柄なメッシが中央に陣取り、大暴れする様は当時画期的で、多くの戦術ファンや指導者にインパクトを与えました。2010年代にはスペイン代表がセンターフォワードを置かずに戦う(いわゆるゼロトップ戦術)場面も見られましたが、これもクラブでのメッシの成功が下地にあったとも言われています。
また、メッシの登場により「エースのあり方」も再定義されたと言えるかもしれません。かつてエースというと、ゴール前に君臨し得点を量産するストライカーか、ゲームをコントロールする司令塔タイプか、明確に分かれて語られる傾向がありました。
しかしメッシは、その圧倒的な得点力でストライカー顔負けのゴール数を叩き出しながら、同時にアシストやチャンスメイクでも突出した数字を残しました。まさに「点取り屋」と「チャンスメーカー」を兼ね備えたハイブリッドなエースとして、サッカー史に新たなタイプの理想像を提示したのです。
実際、メッシはキャリアを通じて一度も純粋なセンターFWとしてプレーしていないにもかかわらず、毎年のように世界最多クラスのゴールを挙げ続けています。
この事実は、「必ずしも典型的な9番でなくともチームの得点源になり得る」ことを示し、選手の育成や起用法における固定概念を覆しました。
さらに、メッシが見せた柔軟なポジショニングと戦術眼は、多くの選手に影響を与えています。前線から中盤に降りてきてゲームを作るスタイルは、現代サッカーにおいてトッププレーヤーが持つべき資質の一つと考えられるようになりました。
メッシ以降、例えばリバプールのフィルミーノが前線から下がってチャンスメイクするプレーで評価されたり、トッテナムのハリー・ケインが得点だけでなくアシスト王にもなるなど、攻撃の選手がマルチロールを担う例が増えています。
メッシが長年かけて進化させてきた「自由に動くFW」のスタイルは、今や特別なものではなく、トップレベルでは求められる資質の一つと言えるでしょう。
戦術以外にも、メッシの存在はサッカー界に様々な影響を及ぼしました。
小柄な選手でもフィジカルの強い欧州サッカーで活躍できることを証明し、多くの若手が「第二のメッシ」を目指してドリブルやボールコントロールを磨くようになりました。
また、一人の選手に大きく依存するチームビルディングの是非についても議論を呼び、メッシのような天才をどう活かすかが監督たちの腕の見せ所となりました。
良くも悪くも「メッシ中心」の戦術はバルセロナやアルゼンチン代表で賛否を生みましたが、最終的に2022年W杯制覇という形で一つの到達点を迎えたことも歴史的です。
まとめると、 リオネル・メッシはキャリアを通じてウィンガー、偽9番、トップ下とポジションを変えながらも、その都度プレースタイルを適応・進化させてきました。
若い頃はサイドでのドリブル突破とチャンスメイク、全盛期には中央でゲームメイクとゴール量産、そして近年は中盤に下がって周囲を活かすプレーメーカーとして、新たな役割を担っています。
クラブと代表で求められるタスクの違いにも対応し、ついにはその才能で世界の頂点に立ったメッシ。その軌跡はサッカーにおけるポジション概念の枠を超えるものであり、彼がサッカー界に刻んだ戦術的・文化的影響は計り知れません。メッシの今後のキャリア終盤においても、おそらくは中盤に下がりつつ時折輝きを放つプレースタイルが続くでしょう。
一人の選手がこれほどまでに多彩な役割を演じ分け、そして極限まで極めた例は他になく、まさにメッシは「現代サッカーの申し子」と言える存在です。
ここまで解説させていただいたリオネル・メッシのポジション変遷とプレースタイルの変化をまとめると以下のようになります。
時期 | ポジション | プレースタイルの特徴 | 戦術的影響 |
---|---|---|---|
2004-2008 (キャリア初期) | 右ウィング (RW) | ・ドリブル突破が主体 ・縦への突破とクロス中心 ・右サイドから中央へカットインしシュート |
・右サイドのカットイン型ウィンガーの先駆け ・中央突破型のプレースタイルの確立 |
2009-2014 (黄金期・偽9番) | 偽9番 (False 9) | ・中盤に降りてゲームメイク ・センターフォワードのようなゴール量産 ・味方の飛び出しを活かす役割 |
・偽9番の戦術が定着し、現代サッカーに影響 ・中央での自由なプレースタイルの確立 |
2014-2017 (MSN時代) | 右ウィング (RW) 兼 トップ下 | ・スアレスが最前線に固定される ・右ウィングから自由に動く ・スアレス、ネイマールと流動的に連携 |
・MSNによる攻撃のトライアングル形成 ・前線3人の流動性を活かしたプレー |
2017-2021 (後期バルセロナ) | トップ下 (CAM) 兼 右ウィング | ・試合によってトップ下やウィングを使い分ける ・中盤でボールを受けることが増加 ・ペナルティエリア外からのシュートが増加 |
・メッシ中心の戦術が戦術的課題となる ・プレーメーカーとしての役割が増加 |
2021-現在 (PSG & アルゼンチン代表) | プレーメーカー (CAM) 兼 右ウィング | ・中盤寄りでプレーしゲームメイク ・フィニッシャーよりもアシストが増加 ・ゴール前への侵入が減少 |
・ゴール数は減少するもアシストが増加 ・司令塔としての役割が明確化 |