メッシの国籍がアルゼンチンとスペインの二重国籍になった理由

こんな疑問を持つ方へ

  • メッシはアルゼンチンの選手なのに、スペイン国籍を持っていると聞いて混乱している
  • 二重国籍なのに、なぜワールドカップではアルゼンチン代表としてプレーできるのか知りたい
  • メッシがスペイン代表になっていたかもしれない、という話の真相が気になる

メッシの国籍は、アルゼンチンとスペインの二つです。アルゼンチン代表の象徴として知られる選手が、実はスペイン国籍も持っている。この事実には、若き日のメッシのキャリアを左右した意外な事情が隠されています。

この記事では、メッシが二重国籍になった理由、スペイン代表入りの可能性が実際にあったという歴史の分岐点、さらにイタリアにまでさかのぼる家系のルーツまで、「国籍」という切り口からメッシという選手の全体像を解説します。読み終える頃には、単なる豆知識ではなく、メッシのキャリアの見え方が少し変わっているはずです。

メッシの国籍はアルゼンチンとスペインの二重国籍

まず結論から整理します。リオネル・メッシは、生まれ故郷であるアルゼンチンの国籍と、2005年に取得したスペインの国籍、合わせて二つの国籍を持っています。いわゆる二重国籍の状態です。

メッシの基本プロフィール

項目 内容
名前 リオネル・アンドレス・メッシ
生年月日 1987年6月24日
出身地 アルゼンチン・ロサリオ
国籍 アルゼンチン、スペイン(2005年取得)
代表チーム アルゼンチン代表
所属クラブ インテル・マイアミ(2023年7月加入、2028年までの契約を2025年10月に締結)

メッシはアルゼンチン第3の都市ロサリオで生まれ育ち、地元クラブのニューウェルズ・オールドボーイズの下部組織でプレーした後、13歳でスペインのFCバルセロナに渡りました。この「13歳でスペインに移住した」という経歴こそが、後の二重国籍につながる出発点になります。

二つの国籍の内訳

国籍 取得の経緯 補足
アルゼンチン 出生による国籍 ロサリオ生まれ。代表チームもアルゼンチンを選択
スペイン 2005年9月26日に取得 バルセロナ在籍中に、リーグ出場の制限を解消するために取得

なぜ二重国籍でも「アルゼンチンの選手」なのか

ここで多くの人が混乱するポイントを整理しておきます。「国籍が二つあるなら、代表チームはどうなるのか」という疑問です。

実は、パスポートに関わる法律上の国籍と、サッカーの代表チームに関わる登録は、別の仕組みで動いています。法律上は複数の国籍を持つことができても、サッカーのA代表として公式戦のピッチに立てる国は一つだけです。FIFA(国際サッカー連盟)の規則では、A代表の公式戦に出場した選手は、原則としてその後別の国の代表に変更できません(2020年に限定的な例外規定が設けられましたが、条件は厳格です)。

つまりメッシは、「法律上はアルゼンチンとスペインの二重国籍者」でありながら、「サッカー選手としてはアルゼンチン代表一筋」という立場です。この二つを区別して理解すると、メッシの国籍をめぐる話はすっきり整理できます。

メッシがスペイン国籍を取得した理由は「外国人枠」だった

それでは、なぜメッシはスペイン国籍を取得したのでしょうか。スペインへの愛着や移住の希望が理由ではなく、答えは極めて実務的なものでした。当時のラ・リーガ(スペイン1部リーグ)の外国人枠の問題です。

非EU選手は3人まで。枠はすでに埋まっていた

2005年当時のラ・リーガでは、EU圏外の国籍を持つ選手を登録できる人数が1クラブ3人までに制限されていました。そして当時のバルセロナでは、その3枠がすでに埋まっていました。カメルーン代表のサミュエル・エトー、メキシコ代表のラファエル・マルケス、そしてブラジル代表のロナウジーニョという錚々たる顔ぶれです。

アルゼンチン国籍しか持たない17〜18歳のメッシは「4人目の非EU選手」となってしまうため、リーグ戦への出場登録に大きな制約を抱えていました。すでにトップチームデビューを果たし、才能を疑う者はいなかったにもかかわらず、制度上の壁が立ちはだかっていたのです。

2005年9月26日、スペイン国籍を取得

この問題を根本から解決する手段が、スペイン国籍の取得でした。メッシは13歳からバルセロナで生活しており、取得の要件を満たしていました。2005年9月26日にスペイン国籍を取得したことで、メッシは「EU圏内の選手」として扱われるようになり、外国人枠の制約から完全に解放されました。

18歳のメッシがラ・リーガで本格的にプレーし、その後20年近くにわたってバルセロナの歴史を塗り替えていく。そのすべては、この手続きから始まったと言っても大げさではありません。国籍取得はキャリア戦略上の重要な一手だったのです。

アルゼンチン国籍を失わなかったのはなぜか

「スペイン国籍を取ったら、アルゼンチン国籍はどうなるのか」という疑問も自然に浮かびます。国によっては、外国籍を取得すると元の国籍を失う制度を採用しているためです。

この点、スペインはアルゼンチンを含むイベロアメリカ諸国(中南米のスペイン語圏諸国など、歴史的につながりの深い国々)の出身者に対して、元の国籍を保持したままスペイン国籍を取得することを認めています。旧宗主国と旧植民地という歴史的関係を背景にした制度で、メッシはこの枠組みによって、アルゼンチン国籍を手放すことなくスペイン国籍を得ることができました。同様の経路でスペイン国籍を取得した中南米出身のサッカー選手は、メッシ以外にも数多く存在します。

スペイン代表になっていた可能性も。アルゼンチンを選んだ分岐点

メッシの国籍を語るうえで欠かせないのが、「メッシはスペイン代表としてプレーしていたかもしれない」という歴史のifです。これは単なる仮定の話ではなく、実際にスペインサッカー連盟が動いていた、記録に残る話です。

2004年、スペイン協会がユース代表への招集を画策

バルセロナの下部組織で圧倒的な才能を見せていたメッシに対し、2004年の時点でスペインサッカー連盟は自国のユース代表に招集しようと動いていました。メッシは長くスペインで育成された選手であり、ユース年代であれば代表に迎え入れられる可能性があったからです。もしスペインのユース代表で公式戦に出場し、そのままA代表への道を歩んでいれば、メッシは「ラ・ロハ」(スペイン代表の愛称)の10番を背負っていたかもしれません。

1本のビデオテープと、急きょ組まれた親善試合

この動きに危機感を抱いたのがアルゼンチン側でした。アルゼンチン人代理人がメッシのプレー映像を収めたVHSテープを代表スタッフに届けたところ、映像を見たスタッフは「通常の速度で再生してくれ」と言ったと伝えられています。早送りにしか見えないドリブル速度が、実際のスピードだったのです。

才能を確信したアルゼンチンサッカー協会は、メッシをスペインに奪われないよう緊急対応に乗り出します。当時はメッシ側の連絡先すら把握しておらず、協会職員がロサリオの電話帳で同姓の番号に手当たり次第電話をかけ、祖母を経由してようやく父親にたどり着いたという逸話も残っています。そして2004年6月、アルゼンチンはメッシを出場させるためのU-20親善試合をパラグアイ相手に急きょ開催しました。メッシは後半から出場してゴールを記録し、チームは8-0で大勝。この試合でアルゼンチンのユニフォームに袖を通したことが、メッシとアルゼンチン代表を結びつける決定的な一歩となりました。

2005年、U-20世界一からA代表デビューへ

その後の歩みは、アルゼンチンの判断が正しかったことを証明していきます。2005年のFIFAワールドユース選手権(現在のU-20ワールドカップ)でメッシはアルゼンチンを優勝に導き、2005年8月17日にはハンガリー戦でA代表デビューを果たしました。奇しくもスペイン国籍を取得するわずか1か月あまり前のことです。

つまり時系列で見ると、メッシは「アルゼンチンA代表としてデビューした後に、スペイン国籍を取得した」ことになります。代表チームの選択が先に確定していたため、スペイン国籍の取得が代表資格に影響することはありませんでした。

メッシ本人も後年、スペイン側から関心を寄せられていた過去を認めたうえで、アルゼンチン代表でプレーすることへの強い思いを繰り返し語っています。ロサリオで生まれ育ち、家族とともにアルゼンチン人としてのアイデンティティを持ち続けたメッシにとって、代表チームの選択に迷いはなかったと伝えられています。

イタリアにもルーツがある。メッシ家の移民の歴史

メッシの国籍を深掘りすると、もう一つの国が浮かび上がります。イタリアです。

父方の祖先はイタリアからの移民

メッシの父方の祖先であるアンジェロ・メッシは、イタリアのアドリア海沿岸の都市アンコーナの出身で、1883年にアルゼンチンへ移住した移民でした。「メッシ」という姓自体がイタリア系の姓です。19世紀後半から20世紀にかけて、アルゼンチンにはイタリアから大量の移民が渡っており、現在のアルゼンチン人の多くがイタリア系のルーツを持っています。マラドーナをはじめ、アルゼンチンの名選手にイタリア系の姓が多いのはこのためです。

母方にはスペイン・カタルーニャ系の血筋も

さらに母方をたどると、スペインのカタルーニャ地方にルーツを持つ家系であることが知られています。カタルーニャはバルセロナが位置する地方ですから、メッシが13歳で渡った街は、遠い祖先の故郷でもあったことになります。アルゼンチンという国自体が移民の国であり、メッシの家系図はその縮図のようなものだと言えるでしょう。

イタリア国籍は持っているのか

イタリアは血統主義の国籍制度を採用しており、イタリア系の家系に生まれた人が国籍を取得できるケースがあります。このためメッシについても「イタリア国籍も取れるのではないか」と話題になることがありますが、メッシが実際に保有していると確認できる国籍は、アルゼンチンとスペインの二つです。2022年ワールドカップでアルゼンチンが優勝した際には、イタリアのメディアやファンの間で「メッシはイタリア系だ」と親近感を込めて話題にする反応が多く見られましたが、これはあくまでルーツの話であり、国籍の話とは区別して理解する必要があります。

国籍という視点で振り返るメッシのキャリア

ここまで見てきた「アルゼンチン」「スペイン」「イタリア」という三つの国の関わりを踏まえると、メッシのキャリアは一本の線としてつながって見えてきます。

キャリアと国籍をめぐる主な出来事

出来事
1987年 アルゼンチン・ロサリオに生まれる(アルゼンチン国籍)
2000〜2001年 13歳でスペインへ。FCバルセロナの下部組織に加入
2004年6月 スペイン協会の勧誘を退け、アルゼンチンのU-20親善試合(パラグアイ戦)に出場
2005年8月 アルゼンチンA代表デビュー(ハンガリー戦)
2005年9月 スペイン国籍を取得し、二重国籍に。外国人枠の制約が解消
2021年 コパ・アメリカ優勝。バルセロナを退団しパリ・サンジェルマンへ
2022年 ワールドカップ・カタール大会でアルゼンチンを36年ぶりの優勝に導く
2023年 アメリカのインテル・マイアミに加入
2024年 コパ・アメリカ連覇
2026年 自身6大会目のワールドカップに出場

スペイン国籍が支えたバルセロナでの20年

スペイン国籍の取得によって出場の制約が消えたメッシは、バルセロナで歴史的なキャリアを築きました。ラ・リーガ歴代最多となる474ゴールを積み上げ、クラブ通算では672ゴールを記録。2021年に退団するまで、およそ20年にわたってバルセロナ一筋でプレーしました。もし2005年に国籍の壁が解消されていなければ、出場機会を求めて他国のリーグへ移籍していた可能性も否定できません。二重国籍という選択は、サッカー史そのものを形づくった決断だったとも言えます。

アルゼンチン代表として頂点へ

一方、代表チームとして選んだアルゼンチンでは、長く「代表では勝てない」という批判と戦い続けました。転機となったのが2021年のコパ・アメリカです。決勝で開催国ブラジルを1-0で下し、メッシはA代表として初のメジャータイトルを手にしました。そして2022年のワールドカップ・カタール大会では、アルゼンチンを36年ぶりの世界一に導き、大会最優秀選手に贈られるゴールデンボールを史上初めて2度受賞。個人としても歴代最多8度のバロンドール(世界年間最優秀選手賞)を受賞しています。

2024年にはコパ・アメリカを連覇し、2026年のワールドカップ北中米大会には自身6大会目の出場を果たしました。この大会でメッシはワールドカップ通算得点を20にまで伸ばし、8試合連続ゴールという大会史上初の記録も打ち立てています。さらにこの大会では、アルゼンチンとスペインが決勝で対戦するという巡り合わせも生まれました。メッシが国籍を持つ二つの国が世界一の座をかけて向かい合う構図は、この記事で見てきた物語を象徴するような出来事として大きな話題を集めました。

10代でスペイン代表の誘いを断り、苦しい時期を乗り越えてアルゼンチンで世界一にたどり着く。国籍という視点で振り返ると、メッシのキャリアは「どこでプレーするか」と「どの国を背負うか」という二つの問いに、それぞれ最良の答えを出した歩みだったことがわかります。

よくある質問

Q1. メッシの国籍は結局どこですか?

アルゼンチンとスペインの二重国籍です。出生によるアルゼンチン国籍に加え、バルセロナ在籍中の2005年9月にスペイン国籍を取得しました。サッカー選手としての登録はアルゼンチン代表であり、スペイン代表でプレーしたことは一度もありません。

Q2. なぜメッシはスペイン代表を選ばなかったのですか?

スペインサッカー連盟は2004年にユース代表への招集を模索しましたが、メッシ本人のアルゼンチン代表でプレーしたいという意志が固く、実現しませんでした。アルゼンチン協会も急きょU-20親善試合を組んでメッシを出場させ、囲い込みを図りました。ロサリオで生まれ育ったメッシにとって、代表チームの選択に迷いはなかったと伝えられています。

Q3. メッシはイタリア国籍も持っているのですか?

父方の祖先が19世紀にイタリアのアンコーナからアルゼンチンへ渡った移民であり、イタリアにルーツを持つことは確かです。ただし、メッシが保有していると確認できる国籍はアルゼンチンとスペインの二つで、イタリア国籍の保有は確認されていません。

Q4. 二重国籍の選手はどうやって代表チームを決めるのですか?

法律上の国籍が複数あっても、A代表の公式戦に出場できる国は一つだけです。FIFAの規則では、A代表の公式戦でプレーした時点でその国の選手として固定され、原則として後から変更できません(2020年に導入された例外規定はごく限定的です)。メッシの場合、2005年8月にアルゼンチンA代表でデビューしており、その約1か月後にスペイン国籍を取得しても代表資格には影響しませんでした。

Q5. メッシの所属クラブはどこですか?

アメリカ・メジャーリーグサッカー(MLS)のインテル・マイアミに所属しています。2023年7月に加入し、2025年10月には2028年までの契約延長が発表されました。バルセロナ(2001〜2021年)、パリ・サンジェルマン(2021〜2023年)を経ての移籍です。

まとめ:メッシの国籍は「二つの祖国」の物語

最後に、この記事の要点を整理します。

  • メッシの国籍はアルゼンチンとスペインの二重国籍。アルゼンチンは出生による国籍、スペインは2005年9月26日に取得した
  • スペイン国籍取得の理由は、当時のラ・リーガの非EU選手枠(3人)がバルセロナで埋まっており、出場に制約があったため
  • スペインはイベロアメリカ諸国出身者の二重国籍を認めているため、アルゼンチン国籍を失わずに済んだ
  • 2004年にはスペイン協会がユース代表への招集を画策したが、メッシはアルゼンチンを選択。2005年8月にA代表デビューした
  • 父方はイタリア・アンコーナからの移民の家系で、母方はカタルーニャ系。ただしイタリア国籍の保有は確認されていない
  • 法律上の国籍とサッカーの代表登録は別の仕組みであり、A代表は一つの国でしかプレーできない

13歳で海を渡った少年は、育ててくれたスペインの国籍を受け入れながら、背負う国としては生まれ故郷のアルゼンチンを選び続けました。その選択の先にあったのが、2022年の世界一です。メッシの国籍というテーマは、一人の選手が「どこで生き、何を背負うか」を選び抜いた物語でもあります。次にメッシのプレーを目にするとき、その背景にある二つの祖国のことを思い出してみてください。