- 久保建英は何歳からサッカーを始めた?父はどんな育て方をした?
- なぜ10歳でバルセロナに入れた?帰国したのはバルサの「違反」のせい?
- 高校はどこ?「中卒」は本当?弟や久保凛との関係も知りたい
久保建英選手は、2歳で父とボールを蹴り始め、10歳でバルセロナの下部組織に入った選手です。13歳で日本に戻ったのは、バルセロナがFIFAの規則に違反したためで、久保選手に落ち度はありません。高校は通信制の第一学院高等学校を卒業していて、「中卒」という話は誤りです。
この記事では、幼少期と父の育て方、バルセロナ入団から帰国までの流れ、学歴、家族(弟の瑛史さん、いとこの久保凛選手)を、本人と家族の発言、大手メディアの報道をもとに整理します(2026年10月2日時点)。
久保建英の生い立ち:川崎市生まれ、2歳でボールを蹴り始めた
久保選手は2001年6月4日、神奈川県川崎市で生まれました。サッカーを始めたのは2歳です。父の久保建史さんは2012年のインタビューで「2歳でサッカーを始めた頃は、リビングには大小さまざまな大きさのボールをいくつも転がしておきました」と話しています。久保選手本人も2019年に、レアル・マドリードのクラブのテレビで「2歳か3歳くらいの頃」に父から教わり始めたと語りました。
6歳のとき、久保選手は自分から「バルサに入りたい」と言い出したそうです。そこから家族の目標がはっきりし、地元のクラブや東京ヴェルディのスクールなどでプレーしたあと、2010年4月、小学3年で川崎フロンターレのU-10に入りました。川崎フロンターレのU-12監督は、当時のゲキサカの取材に「小学校3年生で川崎F U-10に入ってきた段階ですでに別次元でした」と話しています。
フットボール戦士の日本代表データベースで数えると、神奈川県生まれの日本代表経験者は53人で、静岡県(79人)、東京都(66人)に次いで都道府県別の3位です(2026年10月2日の集計)。久保選手は、サッカーどころで育った選手の一人です。
父の育て方は?はだしで外遊び・読み聞かせ・毎朝1時間の練習
父の建史さんは、久保選手の子育てを本にまとめています。2012年に出た『おれ、バルサに入る! 夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方』(文藝春秋)と、2026年5月に出た増補改訂版の『TAKE』です。建史さんは筑波大学の蹴球部にいましたが、本人いわく「トップチームの選手ではありませんでした」。出版社の紹介文では、久保家は「平凡な会社員一家」とされています。
インタビューによると、育て方の土台は「徹底的な外遊び」でした。幼稚園に入る前は子どもだけで遊ぶ自主保育のグループに入り、毎日公園で、はだしで遊ばせたそうです。家の居心地がよいと外で遊ばなくなるという母の考えで、もらい物以外のおもちゃは置かず、小さいうちはテレビもつけずに読み聞かせをしていました。
サッカーの練習は、建史さんの出勤前の毎朝1時間と休みの日です。建史さんは「練習をさせた、というより、私自身が楽しかった」と話し、「サッカーに教え過ぎはない」という考えで一緒にボールを蹴っていました。チームでは、いつも1〜2学年上の子と練習していたそうです。
なぜ10歳でバルセロナに?キャンプMVPから入団テストまで3つの関門
バルセロナの下部組織には、決まった時期の入団テストがあるわけではありません。建史さんは、久保選手が入団するまでに「3つの関門」があったと話しています。
1つ目は、2009年8月に横浜で開かれたバルセロナのキャンプでMVPに選ばれたことです(このとき8歳)。2つ目は、その特典でバルセロナのスクールの選抜チームに入り、2010年4月にベルギーで開かれた大会に出て、ここでもMVPを取ったことです。3つ目が、2011年4月にスペインで受けた3週間の入団テストで、これに合格しました。
バルセロナは本来、13歳未満の選手はカタルーニャ出身でなければ契約しない決まりでしたが、久保選手は特別扱いでの入団でした(2011年の川崎フロンターレの発表)。2011年8月、10歳で入団し、日本人で初めてバルセロナの下部組織の選手になりました。
スペインへは母と弟と一緒に渡り、父は日本に残りました。現地では下部組織の選手が通う学校に通い、2012-13シーズンにはリーグ戦30試合で74得点を挙げて得点王になっています。スペイン語もこの時期に身につけ、今では現地の人に「私より上手い」と言われるほどです。
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上の投稿は、2020年7月に久保選手がスペイン語だけで書いたファンへのメッセージです。10歳から使ってきたスペイン語は、今の久保選手の大きな武器になっています。
なぜ帰国した?バルサの「違反」で公式戦に出られなくなった
久保選手が日本に戻ったのは、バルセロナがFIFAの規則に違反したからです。FIFAの規則では、18歳未満の選手が外国のクラブへ移ることは原則として禁止されていて、例外は3つしかありません。
2014年4月2日、FIFAは、バルセロナが2009年から2013年にかけて18歳未満の選手10人について規則に違反したと発表しました。バルセロナは移籍市場2回分の補強禁止と、45万スイスフランの罰金を科されました。不服の申し立ても、2014年12月にスポーツ仲裁裁判所(CAS)が退けています。
違反したのはクラブで、久保選手の側に落ち度があったという報道はありません。それでも、久保選手を含む10人は公式戦に出られなくなりました。18歳になるまで出場できない見通しの中、約1年の空白を経て、2015年3月に13歳で帰国しました。久保選手は2022年、スペインのメディアに「フットボールを好きな少年が違う国に行けないで、プレーを禁じられる。僕はいまだ理解することができないです」と話しています(GOALの報道)。
帰国後はFC東京へ。高校は通信制の第一学院を卒業
Jリーグ公式チャンネル「【才能の片鱗】中学3年生の久保建英が輝きをみせる!」(2025年2月公開)。2017年、帰国後に中学3年生でU-18Jリーグ選抜に入ったときの試合です。
帰国後、久保選手はFC東京の中学生年代のチーム「FC東京U-15むさし」に入りました。選手登録が終わったのは2015年5月12日です。FC東京を選んだ理由について、当時のクラブの社長は「最終的に選手の希望でFC東京を選んだ」と説明しています。
FC東京では、中学生のうちから上の年代のチームでプレーしました。2016年には中学3年でU-18(高校生年代)のチームに飛び級し、11月5日にはJ3の試合に出て、15歳5か月1日のJリーグ最年少出場の記録を作りました。2017年11月、16歳でFC東京とプロ契約を結んでいます。
高校は通信制の第一学院高等学校を卒業
「久保建英は中卒」「高校中退」という話がネットにありますが、誤りです。通信制の第一学院高等学校は、公式サイトで久保選手を「卒業生」として何度も紹介していて、運営会社の2026年5月のプレスリリースでも、日本代表に選ばれた卒業生として久保選手の名前を挙げています。高校のサッカー部ではなく、FC東京のU-18でプレーしながら通信制で学んでいました。
16歳でプロになり、18歳でスペインに渡ったため「高校に行っていない」と思われやすいのが、中卒説が広まった理由だと考えられます。卒業した年や、通っていたキャンパスは公表されていません。中学校・小学校の名前も、大手メディアの報道では確認できませんでした。
家族は?弟の瑛史もサッカー選手、陸上の久保凛はいとこ
久保選手の家族は、父の建史さん、母、弟の瑛史さんです。母の名前や経歴は公表されていません。ネットには父の勤め先や母の学歴を書いた記事もありますが、本人や家族、大手メディアが伝えたものではないので、この記事では扱いません。
弟・久保瑛史はレイラック滋賀でプレー
弟の瑛史さんは2007年9月2日生まれで、久保選手の6歳下です。兄と一緒にスペインへ渡り、横浜F・マリノスのアカデミー、レアル・ソシエダのユースを経て、2025年8月にセレッソ大阪に加入しました。2026年8月27日からはJ3のレイラック滋賀に期限付き移籍していて、8月30日にJリーグデビューしました。
久保凛は「いとこ」
陸上800mの日本記録保持者・久保凛選手は、久保建英選手のいとこです。スポーツ報知は2024年7月、凛選手の父・建二郎さんを「サッカー日本代表MF久保建英の叔父」と伝えています。つまり、建英選手の父・建史さんが兄、凛選手の父・建二郎さんが弟という関係です。知恵袋には「凛の父が兄」という書き込みがありますが、逆です。
久保凛選手は2008年1月生まれで、建英選手の6歳半ほど下にあたります。サッカーと陸上で種目は違いますが、同じ家系から2人の日本のトップ選手が出ています。
よくある質問
A. 2歳です。父の建史さんのインタビューと、本人の発言(「2歳か3歳くらいの頃」)が一致しています。
A. 2009年のバルセロナのキャンプでMVP、2010年にベルギーの大会でもMVPを取り、2011年4月の入団テストに合格したからです。13歳未満の外国人は本来入れない中での特別扱いでした。
A. バルセロナが18歳未満の選手の移籍についてFIFAの規則に違反し、久保選手たちが公式戦に出られなくなったためです。違反したのはクラブで、久保選手に落ち度はありません。
A. 中卒ではありません。通信制の第一学院高等学校の卒業生で、学校が公式サイトで紹介しています。
A. いとこです。久保凛選手の父・建二郎さんは、久保建英選手の父・建史さんの弟にあたります。
まとめ:久保建英の生い立ちは「父との毎朝の練習」と「10歳のバルセロナ」
- 2001年6月4日に神奈川県川崎市で生まれ、2歳でボールを蹴り始めた
- 父の育て方は、はだしの外遊び・読み聞かせ・毎朝1時間の練習。父は2冊の本にまとめている
- キャンプMVP、ベルギーの大会MVP、入団テスト合格の3つの関門を越え、10歳でバルセロナへ
- バルセロナのFIFA規則違反で公式戦に出られなくなり、2015年3月に帰国。久保選手に落ち度はない
- 高校は通信制の第一学院を卒業。弟の瑛史さんもプロ選手で、陸上の久保凛選手はいとこ
13歳での帰国は、久保選手にとって思いがけない回り道でした。それでも日本で中学生のうちから上の年代でプレーし、15歳でJリーグに出て、18歳で再びスペインに渡りました。子どものころの夢だったスペインで、今も戦い続けています。
※この記事の情報は2026年10月2日時点のものです。家族については、本人・家族の発言と大手メディアの報道で確認できた事実だけを書いています。
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