久保建英の経歴:なぜレアル→レンタル→ソシエダ?クラブ別の成績と背番号

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こんな疑問を持つ方へ
  • 久保建英はなぜバルサではなくレアル・マドリードに?なぜ1試合も出ずにレンタルを繰り返した?
  • マリノス、マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、ソシエダに移ったのはそれぞれなぜ?
  • 年度別の成績、背番号の歴代(代表の20番はなぜ?)、代表のゴール数が知りたい

久保建英選手がレアル・マドリードを選んだのは、クラブが「キャリアの計画」を示してくれたからだと本人が話しています。ただ、レアルではEU圏外の選手枠(3人)が埋まっていて、トップチームで公式戦に出ることはなく、スペインの1部の4クラブへ期限付き移籍を重ねました。2022年7月、レアルが権利の50%を残す形でレアル・ソシエダへ完全移籍し、ここで主力になっています。

この記事では、FC東京から今のソシエダまで、移籍のたびの「なぜ」を本人の言葉と報道で整理し、クラブ別の成績、背番号の歴代、日本代表のゴール一覧もまとめます(2026年10月2日時点)。

久保建英の経歴:FC東京→レアル→期限付き4回→ソシエダ

完全移籍レアル(保有)期限付き移籍FC東京2016〜19年・J1・J353試合9点横浜F・マリノス2018年後半・期限付き5試合1点レアル・マドリード2019年6月・完全移籍公式戦0試合マジョルカ2019-20・期限付き35試合4点ビジャレアル2020-21前半・期限付き13試合0点ヘタフェ2020-21後半・期限付き18試合1点マジョルカ2021-22・期限付き28試合1点レアル・ソシエダ2022年7月〜・完全移籍130試合23点※リーグ戦。FC東京はJ1とJ3(U-23)の合計
久保建英選手の所属クラブとリーグ戦の成績(英語版・日本語版Wikipedia、Transfermarktの記録をもとにフットボール戦士が作図。ソシエダは2026年10月2日時点)

久保選手は10歳でバルセロナの下部組織に入り、2015年3月に帰国してFC東京の育成組織へ入りました。2016年11月5日、15歳5か月1日でJ3に出場してJリーグの最年少出場記録を作り、2017年11月にFC東京とプロ契約しています。

2019年6月にレアル・マドリードへ移ってからは、マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、もう一度マジョルカと、3年で4回の期限付き移籍をしました。2022年7月19日にソシエダへ完全移籍し、ラ・リーガでの通算は224試合29得点(日本人最多)になりました。そのうち23得点がソシエダでのゴールです。

なぜマリノスへ期限付き移籍した?J1で出番がなかった2018年

Jリーグ公式チャンネル「久保建英がイニエスタの前でJ1初ゴール!」(2018年8月公開)。横浜F・マリノスで決めたJ1初ゴールです。

2018年、久保選手はFC東京のトップチームでJ1に4試合しか出られず、すべて途中出場でした。4月14日を最後にJ1の出番がなくなり、5月以降はU-23チームでJ3の試合に出ていました。

8月16日、横浜F・マリノスへの期限付き移籍が発表されました。久保選手は「自分がもっと成長するためには、新たなチャレンジが必要だと考え、今回の決断をしました」とコメントし、入団会見ではポステコグルー監督の攻撃的なサッカーを「すごくいいチーム」と話しています(デイリースポーツの報道)。

マリノスでは8月26日のヴィッセル神戸戦でJ1初ゴールを決めました。17歳2か月22日で、J1史上2番目の若さでの得点です。2019年にFC東京へ戻ると開幕から先発に定着し、J1で13試合4得点を挙げました。

なぜレアル・マドリードを選んだ?本人は「キャリアの計画」が決め手

レアル・マドリード公式チャンネル「Kubo: I’m really proud to be at the best club in the world」(2019年7月公開)。加入直後の久保選手の言葉です。

FC東京との契約は、もともと18歳の誕生日までになっていました。FC東京は「加入する時点から、久保選手の海外でプレーしたいという想いが強く、18歳を迎える時にはもう一度その可能性を確かめるべく」そう決めていたと説明しています。18歳になった2019年6月、FC東京も契約延長のオファーを出しましたが、海外のビッグクラブからもオファーが届きました。

2019年6月14日、レアル・マドリードが久保選手の獲得を発表しました(FC東京の発表は6月15日)。古巣のバルセロナに戻る道もありましたが、デイリースポーツは「バルセロナはBチームで2年プレーすることを求め、久保側が受け入れなかった」と報じています。久保選手自身は2019年10月、スペイン紙マルカに「マドリードは強い熱意で僕を欲しがってくれた。キャリアの計画を示してくれて、それが決め手になった」という趣旨の話をしています。

契約は2024年までの5年でした。年俸と移籍金は報道によって数字が違い、移籍金は「契約満了でゼロ」という見方と、「FC東京に200万ユーロが払われた」というスペイン紙の報道があります。

なぜレアルで試合に出られなかった?EU圏外枠と4回の期限付き移籍

ラ・リーガのEU圏外の選手枠は1クラブ3人まで2019-20〜2021-22のレアル・マドリード枠1ヴィニシウス枠2ロドリゴ枠3ミリトン久保建英枠に入れない→ 1部の他クラブへ期限付き移籍(4回)ヴィニシウスがスペイン国籍を取って枠が空いたのは2022年9月2日(久保のソシエダ移籍の約1か月半後)
ラ・リーガのEU圏外の選手枠と、レアル・マドリードでの久保建英選手の立場(ESPN・フットボールチャンネルなどの報道をもとにフットボール戦士が作図)

ラ・リーガでは、EU圏外の国籍の選手は1クラブ3人までしか登録できません。当時のレアルは、ブラジル人のヴィニシウス選手、ロドリゴ選手、エデル・ミリトン選手でこの枠が埋まっていました。久保選手はプレシーズンにトップチームのアメリカ・ドイツ遠征に参加して評価を上げましたが、トップでは登録できず、1部の他のクラブで経験を積むことになりました。レアルのトップチームでの公式戦出場は0試合です。

マジョルカ(2019-20):ラ・リーガ初ゴール、35試合4得点

最初の期限付き移籍先は、1部に昇格したばかりのマジョルカでした。序盤はベンチスタートが多かったものの、2019年11月10日のビジャレアル戦でラ・リーガ初ゴールを決めてから定位置をつかみ、35試合4得点を記録しました。チームは2部に降格しましたが、UEFAが選ぶ「ラ・リーガ2019-20の飛躍した11人」に入っています。

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ビジャレアル(2020-21前半):リーグの先発は2試合だけ

スペイン紙ASによると、レアルは次の移籍先に「スペイン国内」「買い取りオプションなし」「ヨーロッパの大会に出るクラブ」という条件を付け、ヨーロッパリーグに出るビジャレアルに決まりました。知恵袋の「なぜ期限付き移籍先がラ・リーガだけなのか」の答えは、このレアルの条件です。しかしビジャレアルでは、リーグ戦の先発は2試合だけで、13試合0得点に終わりました。

ヘタフェ(2020-21後半):「一番関心を示してくれた」

2021年1月8日、ビジャレアルでの期限付き移籍を途中で終え、同じ日にヘタフェへ移りました。久保選手は「僕は若い選手で、サッカー選手だと感じられることが必要だった。ヘタフェを選んだのは、僕に一番関心を示してくれたチームだったから」と話しています。18試合1得点で、5月16日のレバンテ戦では1部残留を決定づける決勝点を決めました。

マジョルカ(2021-22):アトレティコ戦で決勝点

東京五輪のあとの2021年8月11日、1部に戻ったマジョルカへ再び期限付き移籍しました。28試合1得点で、そのゴールは2021年12月4日、敵地でのアトレティコ・マドリード戦の後半アディショナルタイムに決めた決勝点でした。

なぜソシエダに完全移籍した?レアルは権利の50%を保有

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2022年7月19日、久保選手はレアル・ソシエダへ完全移籍しました。ソシエダは期限付きではなく完全移籍での獲得を求め続け、レアルがそれを受け入れた形です。マルカによると、レアルが考えていた期限付き移籍の候補は財政の苦しいクラブばかりで、それが売却を認めた理由でした。

条件は、久保選手の権利の50%をソシエダに売り、レアルが将来の売却益の50%を持ち続けるというものです。レアルが久保選手を取り戻せるかどうかは、「買い戻しができる」(マルカ)と「優先交渉権にすぎない」(AS)で報道が分かれています。移籍金も600万ユーロと650万ユーロの2つの数字が報じられています。

入団会見で久保選手は、決め手を「自分のプレースタイルに合ったチームであること、そして自分に対する関心が非常に強いチームであったこと」と話しました。皮肉なことに、ヴィニシウス選手がスペイン国籍を取ってレアルのEU圏外枠が1つ空いたのは、移籍から約1か月半後の2022年9月2日でした。

ソシエダでは1年目からリーグ戦9得点を挙げて主力になり、2024年2月12日には2029年6月までの契約延長を結びました。2026年4月には国王杯(コパ・デル・レイ)で優勝しています。

年度別の成績と背番号の歴代。代表の20番は自分で選んだ番号ではない

クラブ日本代表50FC東京U-23201641FC東京201715FC東京・横浜FM2018-1926マジョルカ2019-2016ビジャレアル2020-215ヘタフェ2020-2117マジョルカ2021-2214ソシエダ2022〜27デビュー戦2019年6月21コパ・アメリカ2019年6月11カタールW杯2022年202023年6月〜10インドネシア戦2025年6月8北中米W杯2026年202026年9月〜
久保建英選手の背番号の歴代(クラブはTransfermarktと日本語版Wikipedia、日本代表はJFAの発表と報道をもとにフットボール戦士が作図)
シーズンクラブリーグ戦
2016〜2018FC東京(U-23含む)J3 34試合5得点・J1 6試合0得点
2018横浜F・マリノスJ1 5試合1得点
2019FC東京J1 13試合4得点
2019-20マジョルカ35試合4得点
2020-21ビジャレアル/ヘタフェ13試合0得点/18試合1得点
2021-22マジョルカ28試合1得点
2022-23レアル・ソシエダ35試合9得点
2023-24レアル・ソシエダ30試合7得点
2024-25レアル・ソシエダ36試合5得点
2025-26レアル・ソシエダ24試合2得点
2026-27レアル・ソシエダ5試合0得点(10月2日時点)

※リーグ戦のみ。英語版・日本語版Wikipediaの成績表で突き合わせ。

クラブの背番号は、FC東京では50、41、15と変わり、横浜F・マリノスでも15を付けました。マジョルカでは26、ビジャレアルでは16、ヘタフェでは5、2回目のマジョルカでは17、ソシエダでは14です。

日本代表では、2023年6月から20番を付けることが多くなっています。ただ、これは本人が選んだ番号ではありません。フットボールチャンネルによると、久保選手は「10番以外なら何番でもかまわない」という考えで、メンバーに応じて割り当てられた番号を付けてきました。初めて自分の意思で選んだのは、2026年W杯の8番です。けがで選ばれなかった南野拓実選手の番号で、久保選手は「他の誰かがつけるくらいなら自分がつけたいと思った」と話しています。

日本代表のゴール数は?53試合7得点、初ゴールまで3年

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久保選手の日本代表の成績は、2026年10月1日時点で53試合7得点です。2019年6月9日のエルサルバドル戦で、18歳でデビューしました。デビューから2021年までは得点がなく、初ゴールは2022年6月のガーナ戦でした。

日付相手(結果)大会
2022年6月10日ガーナ(4-1)キリンカップ
2023年6月15日エルサルバドル(6-0)キリンチャレンジカップ
2023年11月21日シリア(5-0)W杯アジア2次予選
2024年1月31日バーレーン(3-1)アジアカップ
2024年9月5日中国(7-0)W杯アジア最終予選
2025年3月20日バーレーン(2-0)W杯アジア最終予選
2025年6月10日インドネシア(6-0)W杯アジア最終予選

※英語版・日本語版Wikipediaの記録が一致。

2025年3月20日のバーレーン戦は、日本のW杯出場が決まった試合で、久保選手は鎌田大地選手のゴールをアシストし、自分でも2点目を決めました。上の投稿はその日の本人のものです。

W杯には2回選ばれています。2022年カタール大会はドイツ戦とスペイン戦に先発し、どちらもハーフタイムで交代、ベスト16のクロアチア戦は体調不良でメンバーに入れませんでした。2026年北中米大会は初戦のオランダ戦で左ひざを痛め、残りの試合に出られませんでした。久保選手の代表の全試合は、森保一監督のもとでのものです。

データで見る:移籍のたびにどれだけ調べられた?

発表の日〜2日後で一番多かった日の閲覧数横浜FMへ(期限付き)2018年8月9,918回レアル加入2019年6月94,223回マジョルカへ2019年8月8,151回ビジャレアルへ2020年8月19,237回ヘタフェへ2021年1月4,673回マジョルカへ再び2021年8月11,886回ソシエダへ2022年7月11,181回ソシエダと延長2024年2月4,142回
久保建英選手の移籍の発表日ごとの日本語版Wikipediaの閲覧数(発表の日から2日後までで一番多かった日。フットボール戦士の注目度データベースから集計・作図)

フットボール戦士の集計では、久保選手の日本語版Wikipediaが移籍の発表で一番見られたのは、レアル・マドリード加入が発表された2019年6月14日の94,223回でした。記事ができた2016年6月から2026年9月までの3,763日の中で4番目に多い日です。

一方、ソシエダへの完全移籍が決まった2022年7月19日は11,181回で、レアル加入のときの約8分の1でした。それでも、日本人最多の得点を挙げたのはソシエダに移ってからです。注目度の大きさと、選手としての成功が一致しないことがよく分かります。

フットボール戦士が毎日集計している「サッカー選手 日本での注目度ランキング」のデータです(日本語版Wikipediaの閲覧数)。

よくある質問

Q1. 久保建英はなぜレアル・マドリードを選んだのですか?

A. 本人は「キャリアの計画を示してくれたのが決め手」と話しています。バルセロナはBチームで2年プレーすることを求めたと報じられています。

Q2. なぜレアル・マドリードで試合に出られなかったのですか?

A. ラ・リーガのEU圏外の選手枠(3人)が、ヴィニシウス選手、ロドリゴ選手、ミリトン選手で埋まっていたためです。トップチームでの公式戦出場は0試合でした。

Q3. なぜソシエダに完全移籍したのですか?

A. ソシエダが完全移籍での獲得を強く望み、レアルが権利の50%を残す形で受け入れました。本人は「プレースタイルに合い、自分への関心が非常に強かった」と話しています。

Q4. 久保建英はなぜ日本代表で20番なのですか?

A. 本人が選んだ番号ではなく、メンバーに応じて割り当てられた番号です。自分で選んだのは2026年W杯の8番が初めてと報じられています。

Q5. 久保建英の日本代表のゴール数は?

A. 2026年10月1日時点で53試合7得点です。初ゴールは2022年6月10日のガーナ戦でした。

まとめ:久保建英の経歴は「レアルの枠の外」から始まった遠回り

  • FC東京でJ1の出番がなかった2018年に横浜F・マリノスへ。J1初ゴールは17歳
  • レアル・マドリードは「キャリアの計画」が決め手。ただEU圏外枠が埋まり、公式戦は0試合
  • マジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェ、マジョルカと4回の期限付き移籍。レアルの条件で移籍先はスペイン国内だった
  • 2022年にソシエダへ完全移籍(レアルが50%を保有)。ここで主力になり、ラ・リーガ通算29得点は日本人最多
  • 代表は53試合7得点。20番は割り当てで、自分で選んだのは2026年W杯の8番

レアル・マドリードへの移籍は、試合に出られないまま終わりました。それでも、4つのクラブで1部の経験を積んだことが、ソシエダでの活躍の土台になっています。移籍のたびに環境が変わった経歴を知ると、今の久保選手のプレーがより面白く見えてきます。

※この記事の情報は2026年10月2日時点のものです。