- 塩貝健人は慶應の何学部?推薦で入ったの?今も大学生?
- 「頭いい」「東大を目指していた」という話は本当?
- 高校(國學院久我山)や中学、どんな生い立ちなのか知りたい
塩貝健人選手は、2023年4月に慶應義塾大学の法学部政治学科にAO入試(総合型選抜)で入学し、2024年8月のオランダ移籍のときから休学しています。2026年6月の報道でも「休学中」と紹介されていて、中退はしていません。
この記事では、慶應に入った経緯と休学のいま、「頭いい」「東大」の話の真相を整理します。あわせて、高校の國學院久我山での3年間や、中学の横浜FCジュニアユース時代、家族の話も、本人の言葉と報道で確かめられた範囲でまとめました。
塩貝健人の慶應は法学部政治学科!入試はAO(総合型選抜)
テレ東スポーツ「プロ注目の文武両道ストライカー・塩貝健人!」(2023年3月公開)。慶應入学前、日本高校選抜としてデンソーカップに出た試合のハイライトです。
塩貝選手が入学したのは、慶應義塾大学の法学部政治学科です。2023年5月の慶應ソッカー部のブログで、本人が「法学部政治学科1年」と自己紹介しています。2024年8月にNECへの加入が決まったときも、慶應の体育会の発表は「法学部政治学科2年」でした。
入試の方式はAO入試(今の総合型選抜)です。テレビ東京は入学前の2023年3月に「AO入試で慶應大学法学部に合格した文武両道ストライカー」と紹介しています。高校の李済華監督によると、成績は明治大学の指定校推薦に届くレベルでした。ただ、慶應の指定校推薦の枠は、もっと評定の高い別の生徒に回りました。そこでAO入試を選び、「絶対に慶應に行きたい」と準備して合格したそうです(日刊ゲンダイ)。
慶應を選んだ3つの理由
本人は2023年のブログで、慶應を選んだ理由を3つ挙げています。1年生から10番を背負って関東大学リーグに出られること、苦手な守備やサボり癖を指摘してくれる監督・コーチ・先輩がいること、そして早慶定期戦があることです。
高校3年の冬の全国高校サッカー選手権のあとには、サガン鳥栖などからプロの練習に参加しないかと誘いがありました。ただ、そのときにはもう慶應への進学が決まっていました(Number)。
1年目は3部で15得点の得点王
当時の慶應は関東大学リーグの3部でした。塩貝選手は1年目の2023年に17試合で15得点を挙げ、3部の得点王になっています(朝日新聞の大学スポーツサイト「4years.」)。慶應の同窓会のサイトによると、新人賞とベストイレブンにも選ばれました。
ただし、チームは3部で優勝したわけではありません。順位は3位で、12月2日の2部参入プレーオフで青山学院大学に2-1で勝ち、2部に上がりました。ネットには「3部優勝」と書いたページもありますが、リーグの結果とは合いません。
順調な1年目だったわけでもありません。入学前に練習参加した鳥栖では何もできず、シーズン前半はゴールが続かずに監督と何度もぶつかりました。7月の早慶戦の前には1週間Bチームに落とされ、そこで前線からの守備に取り組み直したことが、ゴールを量産するきっかけになったと本人は話しています(4years.)。
慶應は休学中!中退ではない理由と大学のいま
塩貝選手は2024年8月、オランダ1部のNECナイメヘンへ移るときに大学を休学し、ソッカー部は退部しました(Number)。2026年6月にはフジテレビの『ノンストップ!』が特集し、その内容を伝えた記事でも「慶應大を休学中」と紹介されています。中退ではなく、大学に籍を残したままプロとしてプレーしている形です。
移籍の前には、大学に通いながらプロのクラブでも活動していました。2024年1月、1年生のうちに横浜F・マリノスへの加入内定が発表され、特別指定選手になっています。2年生の春は、法学部の授業とソッカー部の練習の合間にマリノスの練習へ通う生活でした。
実は、もともと海外移籍を急いでいたわけではありません。NECのテクニカルディレクターは、オランダの地元局の取材に「彼は最初、まず大学を卒業したいと考えていた」と話しています。番組では「もともと弁護士を目指していた」とも紹介されましたが、本人が直接そう話した記事は見つかりませんでした。
復学する予定や時期について、本人が話した報道もフットボール戦士の調べでは見つかっていません。2026年10月1日時点で、塩貝選手はドイツのヴォルフスブルクに所属しています。
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大学を休んで選んだプロの道では、2026年9月24日のウルグアイ戦で日本代表の初ゴールも決めました。日本でどれくらい注目されているかは、フットボール戦士の集計で見ることができます。
フットボール戦士が毎日集計している「サッカー選手 日本での注目度ランキング」のデータです(日本語版Wikipediaの閲覧数)。
フットボール戦士の集計では、塩貝選手の日本語版Wikipediaの閲覧数は、2026年9月時点で1日あたり約3,552回です。集計している839人の中で4位にあたります。初ゴールのあとの9月23日〜29日は1日あたり13,588回で、その前の4週間の27倍以上に増えました。
「頭いい」は本当?評定4.9と「東大」の噂の正体
「頭いい」と言われる根拠になっているのは、高校の成績です。李監督によると、高校での評定は4.9でした。主要5教科はすべて5で、習字だけが届かなかったそうです(日刊ゲンダイ)。3年間担任だった先生も、隙間の時間に集中して勉強し、3年生のときに評定4.9まで上げたと話しています(共同通信)。
担任の先生は、生まれつき特別な力があったというより、できない自分と向き合って、できることを増やしていった生徒だったと振り返っています。サッカーと同じく、勉強でもコツコツ積み上げるタイプだったようです。
一方で、「東大を目指していた」という話は本人の話ではありません。出どころは、2026年5月の朝日新聞の記事の見出し「サッカーで日本一、勉強で東大を」とみられます。これは國學院久我山の李監督が部員に求めている考え方を紹介したものです。同じ記事で東大に現役合格したと紹介されているのは、2024年の別の部員でした。塩貝選手本人が東大を目指した、受けたという発言や報道は見つかりません。
高校は國學院久我山!偏差値とサッカー部での3年間
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塩貝選手の出身高校は、東京都杉並区の國學院大學久我山高校です。横浜FCのユースに上がれなかったあと、スポーツ推薦で入学しました。本人はスポーツ推薦の生徒は「一学年に数人」と書いています。2026年7月には母校を訪ね、在校生と一緒にボールを蹴ったことを自身のInstagramで報告しました。
國學院久我山は、勉強とサッカーの両方で知られる学校です。偏差値は受験情報サイトによって少し違い、今の数字は次のとおりです。
| サイト | 國學院久我山の偏差値 | 時点 |
|---|---|---|
| みんなの高校情報 | 70 | 2026年度版 |
| 高校偏差値.net | 71 | 2025年9月更新 |
| 高校入試ドットネット | 69 | 年度の記載なし |
※2026年10月1日にフットボール戦士が各サイトで確認。塩貝選手が入学した2020年度の偏差値は、どのサイトにも載っていません。塩貝選手はスポーツ推薦での入学です。
フットボールチャンネルは、2026年W杯の日本代表メンバーの出身高校を偏差値で比べ、塩貝選手を1位としています。サッカー部の練習は1日2時間だけで、トップチームの練習が始まる夕方まではしっかり勉強する方針です(朝日新聞)。
Cチームから10番・主将へ
入学したときの塩貝選手は、決して目立つ選手ではありませんでした。1年生のときは主にCチームで、監督に名前を覚えてもらえず、ビブスの番号で呼ばれていた時期もあったと本人が書いています。李監督は、劇的に変わったのは3年生の5〜6月だったと話しています。
短い全体練習のぶん、自主練習で体を鍛えました。同級生によると、昼休みに早弁して筋トレをし、ベンチプレスは部内で一番重いものを上げていました(東京スポーツ)。3年生では10番を背負い、主将を任されています。
選手権の東京予選で2得点、全国ではPKに泣く
高校サッカー公式「【高校サッカー東京A準決勝】帝京vs國學院久我山」(2022年11月公開)。塩貝選手が2得点した試合です。
名前が一気に知られたのは、2022年11月5日の全国高校サッカー選手権・東京都予選の準決勝です。強豪の帝京を相手に2得点し、3-2の勝利に貢献しました。ゴールのあとにはボールを抱えてラグビーの「トライ」のパフォーマンスもしています。
全国大会では、12月31日の2回戦で近大和歌山に3-1で勝ちました。日本サッカー協会の公式記録では、この試合の塩貝選手の得点は42分の1点です。続く1月2日の3回戦は、その大会で優勝する岡山学芸館と0-0のまま、PK戦3-5で敗退しました。公式記録によると、塩貝選手は1人目のキッカーで、PKを外しています。
同級生によると、最後の試合のあと、塩貝選手は部のグループLINEに主将として「4年後に自分はW杯に出る」と書いたそうです(ゲキサカ)。それから3年半後の2026年6月、本当にW杯のピッチに立ちました。
中学は横浜FCジュニアユース!生い立ちと小学生時代
塩貝選手は東京都の出身です。サッカーは小学1年生から始めました。Jリーグ公式サイトの所属歴では、小学生のころはバディサッカークラブ江東、大森FC、バディサッカークラブ江東の順にプレーしています。小さいころ、七夕の短冊に「将来はレアルでプレーしたい」と書いていたそうです(4years.)。
中学生の3年間は、横浜FCのジュニアユースでプレーしました。ここでも主力ではなく、クラブユースの関東予選では、大勝した試合でベンチの選手が次々に出ていくなか、自分だけ呼ばれずに半泣きでアップを続けたと本人が書いています。ユースには上がれず、國學院久我山へ進みました。
通っていた中学校の名前は公表されていません。ネットには特定の中学校の名前を書いたページもありましたが、のちに誤りとして訂正されています。実家についても、公式に出ているのは「東京都出身」だけです。
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塩貝選手は2005年3月26日生まれの早生まれです。フットボール戦士がWikidataの記載をもとに日本代表経験者のプロフィールを集計すると、3月生まれは生まれた日まで分かる651人のうち39人でした。早生まれ(1〜3月生まれ)は全体の20.4%で、暦どおりの25%より少なくなっています。東京都生まれの日本代表経験者は66人で、都道府県別では2位です。
家族は父・母・兄。父はボディビルダーでもある
本人は2023年のブログで、小さいころから一番活躍を喜び、どんなときも味方でいてくれた父と母に感謝しています。代理人の著書によると、父はボディビルダーでもあり、高校時代の塩貝選手に筋トレを教えました。そのころから急に足が速くなったそうです(文春オンラインの抜粋)。
3歳上の兄・亮太さんも慶應のソッカー部でプレーしていました。兄が4年生、塩貝選手が1年生だった2023年の1シーズンだけ、同じチームでプレーしています。兄によると、弟は昔は慎重で、移籍などの大きな決断も相談はなく、すべて事後報告だったそうです(ゲキサカ)。
よくある質問
A. 慶應義塾大学の法学部政治学科です。2023年4月に入学しました。
A. AO入試(総合型選抜)での入学です。高校の監督によると、慶應の指定校推薦の枠は別の生徒に回ったため、AO入試を選びました。
A. どちらでもなく、休学中です。2024年8月のNEC移籍のときに休学し、2026年6月の報道でも休学中と紹介されています。復学の予定について本人が話した報道は見つかっていません。
A. 本人がそう話した記事は見つかりません。「勉強で東大を」は國學院久我山の監督の指導の考え方を紹介した記事の見出しで、東大に合格したのは別の部員でした。
A. 受験情報サイトによって69〜71です(みんなの高校情報の2026年度版で70)。塩貝選手はスポーツ推薦での入学です。
まとめ:塩貝健人は慶應法学部をAO入試で合格し、いまは休学中
- 慶應義塾大学の法学部政治学科に、2023年4月にAO入試(総合型選抜)で入学した
- 1年目は関東大学リーグ3部で15得点の得点王。チームはプレーオフに勝って2部に上がった
- 2024年8月のNEC移籍で休学。2026年6月の報道でも休学中で、中退ではない
- 「東大を目指していた」は裏付けがなく、出どころは高校の監督の指導方針を紹介した記事
- 高校は國學院久我山(偏差値69〜71)、中学は横浜FCジュニアユース。どちらでも最初は控えだった
塩貝選手の学歴をたどると、どの場所でも最初は控えで、そこから結果を出して次の舞台に進んできたことが分かります。中学ではユースに上がれず、高校の1年生はCチーム、慶應でも一度はBチームに落ちました。大学に籍を残したまま海外へ渡った21歳が、この先どんな道を選ぶのかにも注目です。
※この記事の情報は2026年10月1日時点のものです。大学の在籍状況は報道で確認できた2026年6月時点の内容です。
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