- 板倉滉はなぜマンチェスター・シティに移籍できたの?シティで試合に出たの?
- オランダにはいつから?なぜアヤックスに移って、1年でボルシアMGに戻ったの?
- 板倉滉とハーランドにはどんな関係があるの?
板倉滉がマンチェスター・シティ(マンC)に移籍したのは、2018年の年代別代表の国際大会で評価され、シティ側から声がかかったからです。ただ、当時はA代表歴がなくイングランドの労働許可が下りなかったため、シティでは公式戦に1試合も出ないまま、オランダとドイツへの期限付き移籍を重ねました。そして2022年7月、シティからボルシアMGへ完全移籍しています。
その後も、2025年にチャンピオンズリーグ(CL)を求めてアヤックスへ、2026年にボルシアMGへ復帰と、移籍のたびに「なぜ?」と話題になってきました。この記事では、クラブの発表と報道で確かめられる事実だけを使って、移籍の理由と経緯を順番に整理します。
板倉滉はなぜマンチェスター・シティに?2019年1月、21歳での完全移籍
板倉滉のマンチェスター・シティ移籍が発表されたのは、2019年1月15日です。川崎フロンターレからの完全移籍で、当時21歳でした。シティに加わった日本人選手は、板倉が初めてです(Number、2019年6月)。
きっかけは、2018年の年代別代表での活躍でした。本人のインタビューによると、シティからの話を代理人から聞いたのは、2018年夏のトゥーロン国際大会のころ。最初は「そんなわけない」と思ったものの、話はそこから一気に進んだそうです(Yahoo!ニュース エキスパート、2019年4月)。同じ2018年のアジア大会では、U-21日本代表の準優勝にも貢献しています。
シティは「すぐ使う選手」として獲ったのではない
では、シティはなぜ板倉を獲得したのでしょうか。サッカーダイジェストWeb(2019年1月)で現地記者は、シティは英語版・日本語版の公式SNSで獲得を発表しておらず、地元紙の扱いも小さかったと伝えています。そのうえで、今回の獲得はシティの親会社「シティ・フットボール・グループ」が主導したものと見ていました。
シティは世界中から若い選手を集め、他クラブに貸し出して経験を積ませています。スポルティーバ(2019年1月)は移籍金を約100万ポンド(約1億4,000万円)と伝えており、大きな投資ではありませんでした。大柄で、センターバックとボランチをこなせる若手を、先を見込んで確保した移籍だったと言えます。
本人は当時、海外でやりたい気持ちはあったが、絶対に行きたいという強い思いがあったわけではない、と振り返っています。それでも、話が来たときには「断らないだろう」と思っていたそうです。
シティで公式戦に出なかったのはなぜ?労働許可と期限付き移籍の3年半
板倉滉は、マンチェスター・シティのトップチームで公式戦に1試合も出ていません。いちばん大きな理由は、イングランドでプレーするための労働許可です。当時のイングランドでは、日本のような欧州外の選手がプレーするには、原則としてA代表での出場実績が求められました。
2019年1月の板倉は、まだA代表でプレーしたことがありませんでした。そのため、加入と同時にオランダのフローニンゲンへ期限付き移籍しています。A代表デビューは、フローニンゲンにいた2019年6月21日のコパ・アメリカ、ウルグアイ戦でした。
2021年はシャルケへ。買い取りは実現しなかった
フローニンゲンで2年半を過ごしたあと、2021年8月19日にはドイツ2部のシャルケへ、買い取りオプション付きの期限付き移籍をしました。リーグ戦31試合4得点で2部優勝と1部昇格に貢献しましたが、シャルケは財政面の理由で買い取りを断念しています。オプションの額は報道で550万〜600万ユーロとされていました。
同じような道をたどったのが、2019年8月にガンバ大阪からシティへ移った食野亮太郎です。食野もシティでは試合に出ず、スコットランドやポルトガルのクラブに貸し出されたあと、2022年7月にガンバ大阪へ完全移籍で戻りました。シティが若い日本人選手を「貸し出して育てる」形で持っていたことが分かります。
2022年7月、シティからボルシアMGへ完全移籍
シャルケでの活躍で、板倉には複数のクラブが関心を示しました。DAZN(2022年6月)によると、ボルシアMGの提示額に対してシティはそれ以上を求め、交渉には時間がかかりましたが、本人はボルシアMG行きを最優先に考えていたそうです。
移籍は2022年7月2日に発表されました。契約は2026年6月までの4年、背番号は3。移籍金は、ドイツのスカイの報道で500万ユーロほどとされています(サッカーキング)。シティから見ると、約100万ポンドで獲得した選手を、1試合も使わずに数倍の額で売った形です。板倉のシティ時代は、この移籍で終わりました。
板倉滉のオランダはいつから?最初は2019年1月のフローニンゲン
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板倉滉がオランダでプレーし始めたのは、2019年1月のフローニンゲンからです。上は、フローニンゲンに加わって間もない22歳の誕生日に、本人が投稿したものです。今年から海外でのプレーで楽しくやれている、英語をもっと話せるようになりたい、とつづっています。
フローニンゲンには、2017年から堂安律が在籍していました。スポルティーバは、日本人の先輩がいることで言葉やクラブになじみやすい点を「好材料」と書いています。堂安は2019年夏にPSVへ移ったため、同じチームでプレーしたのは半年ほどでした。
期限付き移籍は2020年夏までの予定でしたが、2020年7月23日に1年延長が発表されました。2020-21シーズンはセンターバックの主力として出場を重ね、2021年1月15日にオランダでの初ゴール。シーズン後にはクラブの年間最優秀選手に選ばれています。2年半で公式戦59試合に出場しました(ゲキサカ)。
オランダでのプレーは、2025-26シーズンのアヤックスが2回目です。つまり「板倉滉 オランダ いつから」の答えは、1回目が2019年1月〜2021年夏、2回目が2025年8月〜2026年8月になります。
なぜアヤックスに移籍した?理由はチャンピオンズリーグ(2025年8月)
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板倉滉がボルシアMGからアヤックスへ移ったいちばんの理由は、チャンピオンズリーグに出るためです。上は、3クラブの合意をアヤックスが伝えた2025年8月の公式投稿です。ボルシアMGのローランド・フィルクス取締役も、CLで力を示したいという本人の希望を尊重したと話しています(ブンデスリーガ公式サイト)。
本人も、CLは移籍の一番大きな理由の一つだと語っています。ほかにも、重圧の中で勝利を求められるチームでプレーしたかったこと、クラブの幹部が大阪まで会いに来てくれたこと、アヤックスで初めての日本人選手になれることを理由に挙げました。PSVやフェイエノールトも関心を示していたと伝えられています(GOAL、2025年8月)。
契約は2029年6月までの4年(1年の延長オプション付き)で、背番号は代表と同じ4。移籍金は、スカイの記者の報道で1050万ユーロ、出来高を含めると最大1250万ユーロ(約21億円)とされました(サッカーダイジェストWeb)。ボルシアMGは、シティから買った額の2倍ほどで売ったことになります。
アヤックスでレギュラーだった?前半は主力、後半は出番が減った
アヤックスで板倉がレギュラーだったのは、シーズンの前半までです。加入直後から主にセンターバックで起用され、9月17日のインテル戦でCLデビュー。CLには6試合に出ました。
流れが変わったのは、2025年11月6日にヨン・ハイティンハ監督が解任されてからです。チームはCLで開幕4連敗、リーグ戦も4位と苦しんでいました(サッカーキング)。暫定監督のもとで板倉は守備的MFでも使われ、2026年2月には2試合続けて出番がありませんでした(Qoly、2026年2月)。さらに2月ごろから腰の怪我で約2か月離れ、シーズン全体では公式戦26試合、リーグ戦は全34試合中18試合にとどまりました。
なぜ1年でボルシアMGに戻った?2026年8月の復帰の経緯
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板倉滉は2026年8月20日、アヤックスからボルシアMGに1年ぶりに復帰しました。上は「Koが家に帰ってきた」と伝えたボルシアMGの公式投稿です。契約は2030年までの4年で、背番号は6。本人は、クラブがとても恋しかった、家に帰ってきたような気持ちだと話しています(ブンデスリーガ公式サイト)。
アヤックスが手放した理由
アヤックス側の事情としては、給料の高さが報じられています。Qoly(2026年8月)によると、板倉はこの1年でアヤックスが獲得した選手の中で最も給料が高く、クラブは新しい選手を獲るために人件費の枠を空けたかったといいます。オランダのメディアは、本職のセンターバックではなく守備的MFで使われることに、板倉が不満を持っていたとも伝えていました(Football Tribe Japan、2026年7月)。
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上は、オランダのサッカー誌フットバル・インターナショナルの投稿です。前年に1000万ユーロ以上を払ったアヤックスが、スカイの報道で350万ユーロ(出来高込みで最大400万ユーロ)で手放すと伝え、「アムステルダムにはもう未来がなかった」と書いています。
ボルシアMGは冬から呼び戻しを考えていた
ボルシアMGのスポーツ部門トップ、ルーヴェン・シュレーダーは、冬の時点ですでに板倉の復帰を考えていたと明かしました。ニコ・エルヴェディが抜けたあとに求めていた経験と質があり、クラブをよく知っているので慣れる時間もほとんど要らない、という評価です(ブンデスリーガ公式サイト)。1050万ユーロで売った選手を、その3分の1ほどで買い戻したことになります。
復帰したボルシアMGには、町野修斗、宇野禅斗、橋岡大樹もいて、日本人4人のチームになりました(サッカーキング)。ただチームは2026-27シーズンの開幕から負けが続き、9月には監督が解任されました(サッカーキング)。
フットボール戦士が毎日記録している所属データでは、2026年9月26日時点で、現役の日本代表経験者213人のうち71人が海外のクラブにいます。国別ではドイツが17人で最も多く、イングランドの15人が続きます。板倉が戻ったのは、日本代表経験者がいちばん多く集まる国でした。1年を過ごしたオランダは4人です。
板倉滉とハーランドの関係は?シティで入れ違い、対戦もなし
板倉滉とハーランドは、同じマンチェスター・シティに籍を置いた時期がほぼ重なりません。ハーランドのシティ加入が発表されたのは2022年6月13日で、正式な加入は7月1日。板倉のボルシアMG移籍が発表されたのは、その翌日の7月2日でした。チームメートとして一緒にプレーしたことはありません。
「板倉滉 ハーランド」で調べられる理由の一つは、2021年12月の報道です。東スポWEBは英紙の報道として、シティがドルトムントからハーランドを獲るための資金づくりに複数の選手を売る計画で、板倉もその一人として約500万ポンドでの売却を固めている、と伝えました。実際に板倉は翌年夏にシティを離れ、ハーランドが入れ替わるように加わっています。
試合で向き合ったこともありません。板倉がドイツ1部でプレーし始めた2022-23シーズンには、ハーランドはすでにドルトムントを離れていました。2024-25シーズンに板倉がドルトムント戦でドリブルからゴールを決めたときも、相手にハーランドはいません。
代表でも同じです。フットボール戦士の集計では、日本代表とノルウェー代表の対戦は2002年5月の親善試合1試合(0-3)だけで、板倉のA代表デビュー後は一度も対戦していません。
よくある質問
A. 公式戦には1試合も出ていません。2019年1月の加入時にA代表歴がなく、イングランドの労働許可が下りなかったため、フローニンゲンとシャルケへの期限付き移籍を続け、2022年7月にボルシアMGへ完全移籍しました。
A. 理由は移籍ごとに違います。シティ時代の2回は労働許可の問題による期限付き移籍、2022年はシティからの完全移籍、2025年はCL出場を求めてのアヤックス行き、2026年はアヤックスで出番が減ったことと、ボルシアMGからの呼び戻しによる復帰です。
A. シーズン前半はセンターバックの主力で、CLにも6試合出ました。2025年11月の監督交代と、2026年2月ごろからの腰の怪我で出番が減り、リーグ戦の出場は全34試合中18試合でした。
A. 最初は2019年1月、シティからの期限付き移籍で加わったフローニンゲンです。2021年夏まで在籍しました。2回目は2025年8月から2026年8月までのアヤックスです。
A. 2022年7月にシティからボルシアMGへ完全移籍したので、シティとの契約はもうありません。2026年9月時点では、2030年までの契約でボルシアMGに所属しています。
まとめ:板倉滉のマンチェスター・シティ移籍は「先を見込んだ獲得」だった
- 2019年1月、2018年の年代別代表での活躍が評価され、川崎からシティへ完全移籍。シティ初の日本人選手だった
- A代表歴がなく労働許可が下りず、シティでは公式戦0試合。フローニンゲンとシャルケへ期限付き移籍した
- オランダは2019年1月のフローニンゲンから。2020-21シーズンはクラブの年間最優秀選手に
- 2022年7月にシティからボルシアMGへ完全移籍。2025年8月にはCLを求めてアヤックスへ移った
- アヤックスでは前半こそ主力だったが出番が減り、2026年8月にボルシアMGへ復帰。ハーランドとはシティで入れ違いだった
板倉滉のシティ移籍は、すぐに使うためではなく、若い才能を先に確保して貸し出しで育てる形でした。シティでは試合に出られなかったものの、オランダとドイツで出場を重ね、W杯の主力になるまで成長しています。古巣ボルシアMGでもう一度、本来の力を取り戻せるかに注目です。
※この記事の情報は2026年9月27日時点のものです。移籍の日付と契約は各クラブの発表、移籍金はクラブが公表していないため報道にもとづく額です。
フットボール戦士 
