三笘薫の高校は橘高校!プロを断り筑波大学へ進んだ理由と卒論・経歴

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こんな疑問を持つ方へ
  • 三笘薫の出身高校はどこ?偏差値は?高校サッカー部だったの?
  • なぜ川崎フロンターレのトップ昇格を断って筑波大学に行ったの?推薦入学?
  • ドリブルの卒業論文や教員免許、「頭いい」と言われる理由、大分出身の話は本当?

三笘薫の出身高校は、神奈川県川崎市の公立高校「川崎市立橘(たちばな)高校」です。サッカーは高校の部活ではなく、川崎フロンターレのユースチーム(U-18)でプレーしていました。

高校3年の夏にはトップチーム昇格を打診されましたが、「プロでやっていく自信がなかった」として断り、推薦で筑波大学の体育専門学群に進みました。この記事では、川崎フロンターレの公式プロフィールや本人のインタビューをもとに、学歴、大学を選んだ理由、ドリブルを研究した卒業論文、大分生まれ・川崎育ちの出身と経歴を順にまとめます。

三笘薫の高校は川崎市立橘高校!川崎フロンターレU-18と両立

三笘薫の学歴と所属チーム時期通った学校サッカーの所属小学校川崎市立鷺沼小学校さぎぬまSC→川崎U-10・U-12中学校川崎市立有馬中学校川崎フロンターレU-13・U-15高校川崎市立橘高校川崎フロンターレU-18(2013〜15年)大学筑波大学体育専門学群筑波大学蹴球部(2016〜19年)プロ大学を卒業川崎フロンターレ(2020年〜)幼いころは東京ヴェルディのスクールにも通っていた
三笘薫の学歴と所属チーム(川崎フロンターレ公式「選手プロフィール2021」の所属チーム経歴をもとにフットボール戦士が作図)

川崎フロンターレ公式サイトの選手プロフィール(2021年)には、所属チームの経歴とあわせて通った学校が書かれています。小学校は川崎市立鷺沼小学校、中学校は川崎市立有馬中学校、高校は川崎市立橘高校で、小学校から高校までずっと川崎市内の公立校です。

川崎市立橘高校の同窓会も、2021年に東京五輪の日本代表に選ばれた際に「高校68期・三笘薫さん」として紹介しています。高校の3年間(2013〜2015年)、サッカーは川崎フロンターレU-18でプレーしました。

Jクラブのユースに入っている選手は、学校の部活ではなくクラブでサッカーをします。そのため、三笘薫は高校サッカー選手権には出ていません。出ていたのはJユースカップなどクラブユースの大会で、本人はプロフィールで「サッカー人生で一番悔しかった試合」に、高校3年のJユースでのセレッソ大阪戦を挙げています。

ちなみに、1学年下の田中碧とは同じ小学校の出身で、さぎぬまSCと川崎フロンターレのアカデミーでも一緒にプレーしました(TBS NEWS DIG 2022年12月4日)。2人は同じ道を歩いてきた幼なじみですが、高校卒業後の進路はここで分かれます(次の章)。

橘高校の偏差値は?三笘薫の学科は公表されていない

川崎市立橘高校には、普通科・国際科・スポーツ科の3つの学科があります。偏差値は学科で大きく違い、受験情報サイトによっても数字が変わります。

学科偏差値(みんなの高校情報 2026年度版)
普通科58
国際科54
スポーツ科44

※偏差値は模試の会社や算出の時期で変わります。別の受験情報サイトでは普通科を52〜60(合格可能性による幅)としているなど、サイトごとに数字が違うため目安としてご覧ください。

三笘薫がどの学科に通っていたかは、本人やクラブからは公表されていません。口コミサイトなどに「普通科だった」という書き込みはありますが、確かな出典は見つかりませんでした。そのため、「三笘薫の高校の偏差値は◯◯」と1つの数字で言い切ることはできません。

三笘薫はなぜ大学へ?川崎のトップ昇格を断った理由

JFATV(日本サッカー協会公式チャンネル)「天皇杯アンバサダー三笘薫 スペシャル対談」(2024年6月公開)。筑波大学蹴球部の小井土正亮監督と大学時代を振り返っています。

三笘薫は、高校3年の8月に川崎フロンターレからトップチームへの昇格を伝えられました。Number Web(2018年5月28日)によると、クラブの強化部とU-18の監督が本人と両親に面談し、昇格を伝えたそうです。それでも本人の答えは「筑波大に行って、大学サッカーの4年間でもう一度自分を鍛え直したい」でした。

理由について、本人は同じ記事でこう話しています。

本人の言葉:「はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。1学年上の三好(康児)選手や板倉(滉)選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった」(Number Web 2018年5月28日)

三好康児と板倉滉は、三笘と同じ川崎のユース育ちで、高校卒業と同時にトップチームに上がった1学年上の先輩です。本人はさらに「多少回り道でも高卒からプロではなく、当時は大学進学がベターだと思った」「長期的なビジョンでも自分やサッカーを見つめたかった」とも話しています。

筑波大学を選んだ決め手は「パスと技術」と「勉強」

筑波大学を選んだきっかけは、高校3年の春に見た試合でした。当時の筑波大は関東大学リーグ2部でしたが、パス主体で個々の技術を大切にしている点にひかれ、U-18の監督に頼んで練習に参加したそうです。

練習の質や環境の良さに加え、本人は「4年間勉強ができる」ことも挙げています。「サッカー選手としての現役時代はそんなに長くないですし、その先の方が長い。人間的な成長も視野に入れて考えると、“ここしかないのでは”と思っていました」という言葉からは、引退後まで見すえた選択だったことが分かります。

なお、1学年下の田中碧は2017年にU-18からトップチームへ昇格しました。同じクラブで育った幼なじみが、高卒プロと大学進学という別々の道を選んだことになります。2人は三笘が大学を卒業した2020年に、川崎で再びチームメイトになりました。

筑波大学には推薦で入学!体育専門学群の推薦入試とは

筑波大学 体育専門学群の推薦入試2027年度入試の募集要項(2026年9月公表)から90名募集人員1校4名推薦できる数2名まで同じ種目の上限出願できる人(どれか1つ)1国際大会などで日本代表に選ばれた2全国的な大会で16位以内に入った3上の2つと同じくらいの水準+学校長の推薦と、大学で学べる十分な力試験の中身小論文スポーツの文章問題600字程度の論述面接スポーツへの考え方特技の種目の取り組み実技サッカーなどから1種目を選んで受ける大学入学共通テストは課さない。三笘が受けた2016年度入試と細かい条件が同じとは限らない
筑波大学体育専門学群の推薦入試の仕組み(筑波大学「令和9年度(2027年度)推薦入試 学生募集要項」をもとにフットボール戦士が作図)

三笘薫は、スポーツ推薦で筑波大学の体育専門学群に進みました(PRESIDENT Online)。Number Webも、2016年に三笘たち4人がJクラブのアカデミーから「推薦枠で入学した」と伝えています。同じ年に入ったのは、ヴィッセル神戸U-18の山川哲史、北海道コンサドーレ札幌U-18の高嶺朋樹、アルビレックス新潟U-18の阿部航斗です。

筑波大学の推薦入試は、出身学校長の推薦にもとづいて、書類・小論文・面接・実技などで合格者を決めます。2026年9月に公表された2027年度入試の募集要項では、体育専門学群の募集人員は90名です。出願できるのは「一つの運動種目に抜群の技能」があり、大学で学ぶ力も備えた人で、国際大会の日本代表や全国大会16位以内などの実績が目安になっています。

試験は書類のほか、スポーツに関する文章問題(600字程度の論述を含む)、面接、実技です。大学入学共通テストは課されません。ただし、三笘が受けたのは2016年度入試で、細かい条件が今と同じとは限りません。本人がどの要件で出願したかも公表されていません。

筑波大学での4年間:天皇杯の独走ゴールから川崎内定まで

JFATV(日本サッカー協会公式チャンネル)「第97回天皇杯2回戦 ベガルタ仙台 vs 筑波大学 ダイジェスト」(2017年7月公開)。大学2年の三笘薫がJ1の仙台から2得点を挙げた試合です。

三笘薫が筑波大学に入った2016年、チームは全日本大学選手権(インカレ)で優勝しました。ただ、恩師の小井土正亮監督によると、入学当初から主力だったわけではありません。小井土監督は「上手さだけを見たら、多分あいつが一番だった」としつつ、2年生の途中まではあまり起用しなかったと振り返っています(PRESIDENT Online)。

名前が一気に知られたのは、大学2年の2017年6月21日です。天皇杯2回戦でJ1のベガルタ仙台と対戦し、自陣からのドリブルで独走したゴールを含む2得点で勝利しました。本人も後に、この試合を「人生が変わった」転機に挙げています(Number Web 2021年2月24日)。

同じ2017年には、ユニバーシアード日本代表として金メダルを獲得し、9月には川崎フロンターレの特別指定選手になりました。大学3年の2018年7月13日、2020年シーズンからの川崎加入内定が発表されています。

三笘薫の卒論はドリブルの研究!題名と中身

三笘薫の卒業論文(筑波大学)サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究問いドリブルが上手な人とそうでない人は、何を見ているかが違うのでは?方法頭に小型カメラ(GoPro)をつけて1対1でドリブルし、映像を分析検証上手な人とそうでない人の差を統計で確かめた結果上手な人は相手との間合いとスペースをつかみ、視線をまっすぐ保っていた指導は筑波大学蹴球部の小井土正亮監督(サッカーコーチング論研究室)
三笘薫の卒業論文の流れ(FOOTBALL ZONE 2023年3月4日の小井土正亮監督へのインタビューとNumber Web 2020年10月14日をもとにフットボール戦士が作図)

三笘薫の卒業論文の題名は「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」です。FOOTBALL ZONEの取材で、論文を指導した小井土正亮監督が紹介しています。

中身は、ドリブルが上手な人とそうでない人では「何を見ているか」が違うのではないか、という仮説の検証です。頭に小型カメラ「GoPro」をつけてボールを持って相手に向かい、撮った映像を分析しました。結果は、上手な人ほど相手との間合いやスペースをつかむことを重視し、視線をまっすぐ保ってドリブルしていた、というものでした。

本人は、最初は「ドリブルとパーソナルスペースの関係」を調べようとしたものの、方法が難しくてやめ、「ドリブルからの目線」をテーマにしたと話しています(Number Web 2021年2月24日)。小井土監督は、実験をしてデータを取る仮説検証型の卒論は「極めて稀なケース」で、失敗の可能性も分かったうえで取り組んだ点を評価しています。

三笘薫の卒論は読める?

卒業論文そのものが、インターネットなどで一般に公開されているのは確認できませんでした。Number Web(2020年10月14日)によると、論文は筑波大学の研究室に保管され、後輩たちに受け継がれているそうです。FOOTBALL ZONEは、ほかの大学の学生からも「参考論文に使いたい」という問い合わせが相次いだと伝えています。

三笘薫は教員免許を持っている?

三笘薫本人が教員免許を取ったという確かな情報は、本人の発言や大学・クラブの発表、大手の報道では見つかりませんでした。現時点では「取得したかどうかは公表されていない」が正確です。

「三笘薫 教員免許」で出てくる話には、別の人の話が混ざっています。筑波大学時代の同級生対談(Number Web 2021年2月24日)で「教員免許の勉強もあった」と話したのは、バスケットボールの増田啓介選手です。また「筑波大で中学・高校の教員免許を取得」と報じられたのは、同じ筑波大学出身でサッカーの角田涼太朗選手でした。

よく見かける話実際に話していた人出典
筑波大で「教員免許の勉強もあった」増田啓介(バスケットボール・筑波大の同級生)Number Web 2021年2月24日
筑波大で中学・高校の教員免許を取得角田涼太朗(サッカー・筑波大出身)Qoly(テレビ番組での発言を紹介)
三笘薫が教員免許を取った本人・大学・クラブの発表は見つからない―

「頭いい」と言われる理由

三笘薫が「頭がいい」と言われるのは、テストの成績が公表されているからではありません。国立の筑波大学に進んで4年間で卒業し、実験型の卒業論文を仕上げたこと、そして自分のプレーを言葉で説明できることが理由です。

2023年6月には、初めての著書『VISION 夢を叶える逆算思考』(双葉社)を出版しました。目標から逆算して準備する考え方をまとめた本で、2025年には文庫版も出ています。

三笘薫は大分出身?生まれは大分県、育ちは川崎市

三笘薫の出身:生まれは大分、育ちは川崎生まれ大分県本人が「大分県で生まれ」と話している育ち神奈川県川崎市小学校・中学校・高校とも川崎市大学茨城県つくば市筑波大学(2016〜2019年)今イングランドブライトン(2022年夏から)
三笘薫の生まれと育ち(ゲキサカ 2024年10月19日、川崎フロンターレ公式プロフィールをもとにフットボール戦士が作図)

三笘薫は大分県生まれで、神奈川県川崎市で育ちました。2024年10月にプレミアリーグ公式が公開したインタビューで、本人が「大分県で生まれて神奈川県の川崎市で育ちました」と話しています(ゲキサカ 2024年10月19日)。

一方、川崎フロンターレの公式プロフィールでは、出身地は「神奈川県川崎市」です。「出身地=育った場所」として書かれているためで、どちらも間違いではありません。大分県のどの市で生まれたかは、本人やクラブからは公表されていません(インターネット上では日田市・大分市など説が分かれています)。

2025年6月29日には、生まれた地である大分で初めてのサッカー教室を開きました。本人は「最初にやるのは、自分らしさも含めて生まれた地・大分がいいかなと思って」と話しています(スポーツブル 2025年7月4日)。

三笘薫の経歴:川崎→ユニオンSG→ブライトン

三笘薫の経歴(大学からブライトンまで)2016年4月筑波大学に入学2017年6月天皇杯でJ1仙台から2得点2018年7月川崎フロンターレ加入内定2020年川崎に加入、J1で13得点2021年8月ブライトンへ完全移籍2021-22年ユニオンSG(ベルギー)へ2021年11月日本代表に初めて選ばれる2022年夏ブライトンに戻る2022年11月W杯カタール大会に出場2025年1月プレミアの日本人最多得点に2026年5月太もも裏を負傷し手術、W杯外れる
三笘薫の大学入学からの経歴(川崎フロンターレ・JFAの発表、ゲキサカ・サッカーキングなどの報道をもとにフットボール戦士が作図)

大学を卒業した2020年、三笘薫は川崎フロンターレに加入しました。1年目からJ1で30試合13得点を挙げ、チームのJ1優勝に貢献してJリーグのベストイレブンにも選ばれています。

2021年8月10日、イングランド・プレミアリーグのブライトンへ完全移籍しました。ただし、当時はA代表の経験がなくイギリスの労働許可が下りなかったため、まずベルギー1部のユニオンSGへ期限付きで移籍しています。ユニオンSGでリーグ戦27試合7得点を挙げ、2022年夏にブライトンへ戻りました。

ブライトンでの活躍と2026年10月の状況

ブライトン公式チャンネル「Kaoru Mitoma | Top 5 Premier League Goals」(2026年1月公開)。プレミアリーグ100試合出場を記念した、ブライトンでのゴール集です。

ブライトンでは2022-23シーズンからプレミアリーグで出場を重ね、2025年1月にはプレミアリーグでの日本人最多得点(当時15点)を記録しました。日本代表としては2022年のW杯カタール大会に出場しています。

2026年は、5月9日のウルヴァーハンプトン戦で左ハムストリング(太もも裏)を負傷し、W杯2026のメンバーから外れました。5月25日には手術を受けたことが発表され、10月11日時点の報道では、まだ公式戦に戻らずリハビリを続けています(サッカーキング)。

プロフィールも整理しておきます。生年月日は1997年5月20日で、早生まれではありません。身長は178cm(川崎フロンターレ公式プロフィールなど)です。フットボール戦士の集計(Wikidataの記載をもとにした日本代表選手データベース)では、MFの日本代表経験者208人の平均は174.7cmで、三笘薫は高いほうから39番目でした。

よくある質問

Q1. 三笘薫の出身高校はどこですか?

A. 神奈川県の川崎市立橘高校です。サッカーは高校の部活ではなく、川崎フロンターレU-18でプレーしていました。

Q2. 三笘薫は高校サッカー選手権に出ましたか?

A. 出ていません。Jクラブのユース所属だったため、出ていたのはJユースカップなどクラブユースの大会です。

Q3. なぜプロにならずに筑波大学へ行ったのですか?

A. 本人は「当時はプロでやっていく自信がなかった」と話しています。1学年上の先輩の姿を見て今はまだ早いと考え、4年間で自分を鍛え直し、勉強もできる筑波大学を選びました。

Q4. 三笘薫は推薦で筑波大学に入ったのですか?

A. はい。スポーツ推薦で体育専門学群に入学したと報じられています。筑波大学の推薦入試は、競技の実績に加えて小論文・面接・実技で選ばれます。

Q5. 三笘薫の卒論のテーマは何ですか?

A. 「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」です。頭にカメラをつけてドリブルし、上手な人が何を見ているかを調べました。

まとめ:三笘薫の高校は橘高校、大学は筑波大学

  • 高校は川崎市立橘高校。サッカーは川崎フロンターレU-18で、高校サッカー選手権には出ていない
  • 偏差値は学科によって違い、本人の学科は公表されていない
  • 高校3年でトップ昇格を打診されたが「プロでやる自信がなかった」として断り、推薦で筑波大学体育専門学群へ
  • 卒業論文は「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」。教員免許の取得は公表されていない
  • 大分県生まれ・川崎市育ち。2020年に川崎へ加入し、ユニオンSGを経てブライトンへ

三笘薫の学歴は、トップ昇格を自分で断り、大学で4年間かけて力をつけた「回り道」の選択が出発点です。大学で書いたドリブルの卒業論文は、そのまま今のプレーにつながっています。2026年10月時点ではけがからの復帰を目指しており、ピッチに戻る日が待たれます。

※この記事の情報は2026年10月15日時点のものです。高校の偏差値や入試の条件は年度によって変わるため、最新の情報は各学校・大学の公式発表をご確認ください。