- 小川航基の出身高校はどこ?桐光学園ではどんな成績だった?
- 高校選手権でPKを外した試合って、どんな内容だったの?
- 小学校・中学(大豆戸FC)時代から、W杯・町田までの経歴や「規律違反」の中身を知りたい
小川航基の出身高校は、神奈川県川崎市にある私立の桐光学園高校です。3年生でキャプテンを務め、第94回全国高校サッカー選手権では2試合で4得点を挙げましたが、3回戦の青森山田戦で試合中のPKとPK戦の2本を外し、大会を去りました。
この記事では、JFAの公式記録、クラブの公式発表、本人が語ったインタビューをもとに、幼少期から桐光学園、プロ入り後の「規律違反」による謹慎、W杯とFC町田ゼルビアへの移籍までを順に整理します。
小川航基の高校は桐光学園:3年間の成績まとめ
高校サッカー公式チャンネル「【W杯代表】小川航基(桐光学園)|高校時代プレー集」(2026年6月公開)。選手権での小川のプレーをまとめた映像です。
小川航基は2013年4月に桐光学園へ入学し、2016年にジュビロ磐田でプロになりました。桐光学園は中村俊輔も出た神奈川の名門で、小川の入学と同じ年に鈴木勝大監督が就任しています。
3年間の成績を表にすると、全国の舞台に立てたのは1年と3年の選手権、3年のインターハイの3回だけでした。2年の選手権は神奈川県予選で敗れ、この年の神奈川代表は日大藤沢でした。
| 学年(年度) | インターハイ | 高校選手権 | 小川の主な出来事 |
|---|---|---|---|
| 1年(2013年度) | 県予選で敗退 | 全国3回戦(第92回) | 1年から出場。選手権は2試合で無得点 |
| 2年(2014年度) | 県予選で敗退 | 県予選で敗退 | 右足の半月板を痛めて手術。冬にU-18代表へ初招集 |
| 3年(2015年度) | 全国1回戦 | 全国3回戦=ベスト16(第94回) | キャプテン。選手権で4得点 |
※大会成績は桐光学園サッカー部後援会の戦績、JFAの公式記録、サッカーダイジェストWebのインタビュー(2019年4月)をもとに作成。
1年からレギュラー、2年は半月板のけがで1年を棒に振る
小川は入学直後から途中出場で使われ、インターハイ県予選の最初の試合でゴールを決めました。1年の選手権は2回戦で高知商に1-0で勝ち、3回戦で四日市中央工に0-1で敗れています。本人は、0-1の終盤に大きなチャンスでシュートを外し「3年生を引退させてしまったあのシーンが、今でも悔しい」と振り返っています(スポーツナビ、2018年12月)。
2年生の1年間は、けがとの戦いでした。右足の半月板を痛め、復帰と離脱を4回ほど繰り返したすえに手術を決めたと、本人が語っています。それでも2015年1月には、U-18日本代表のロシア遠征に初めて呼ばれました。国体やトレセンにも選ばれたことがなかった小川にとって、「本当に急でした」という招集でした(サッカーダイジェストWeb、2019年4月)。
3年でキャプテンに。監督に叱られ、始発で謝りに行った
3年生になると、小川はキャプテンに指名されました。副キャプテンは、のちに横浜FCでもチームメートになるイサカ・ゼインです。本人は「キャラでもなかった」と言い、代表に選ばれてから「上手く見せないといけない」とプレーが変わってしまった時期もあったと明かしています。
練習試合のあとのミーティングで舌打ちをして、合宿地から実家に帰された話も、本人がインタビューで語ったものです。翌日は始発で合宿地へ戻り、監督に謝って試合に出してもらいました。夏のインターハイで初戦敗退したあとにも、監督とぶつかってチームを外され、数日後に監督の家まで謝りに行っています。
3年のインターハイは、神奈川県予選を勝ち抜いて全国に出ました。ただ、1回戦の久御山戦は小川の2ゴールで2点を先行しながら追いつかれ、PK戦で敗れています。2点差を守れずPK戦で負ける展開は、冬の選手権でもくり返されることになります。
小川航基の高校選手権のPK:青森山田戦で2本外した日
「小川航基 高校 PK」で調べられているのは、2016年1月3日、ニッパツ三ツ沢球技場での青森山田戦です。小川は32分と43分に2ゴールを決め、桐光学園が2-0でリードしました。2回戦の長崎南山戦(3-0)でも2点を取っていたので、これで大会4得点です。
後半の半ば、小川は自ら倒されてPKを得ます。決まればハットトリックでしたが、蹴ったボールはバーの上を越えました。すると、アディショナルタイムに青森山田が2点を返して2-2。PK戦では、先攻・桐光学園の5人目として蹴った小川のシュートを、GK廣末陸が止めました。桐光学園はPK4-5で敗れています。
廣末は、U-18日本代表で小川のチームメートでした。試合後、小川は「気持ちの部分がまだ未熟だったと思う」と話し、「必ず日本一のストライカーになります」とプロでの目標を口にしました(ゲキサカ、2016年1月3日)。この大会の得点王は5得点の村上光樹(帝京第三)で、小川は1点届きませんでした。
プロでPKを決め直した:2018年のJ1参入プレーオフ
Jリーグ公式チャンネル「【公式】ゴール動画:小川 航基(磐田)41分」(2018年12月8日公開)。J1残留がかかった試合で、小川が自ら得たPKを決めた場面です。
高校最後のPKの続きは、プロ3年目の2018年12月8日にありました。J1参入プレーオフ決定戦の東京ヴェルディ戦で、小川は41分に相手GKに倒されてPKを得て、自分で決めました。磐田は2-0で勝ち、J1に残っています。
この月に公開されたスポーツナビのインタビューの見出しは「ようやく“あのPK”から解放された」でした。2026年のW杯前には「プロに入ってからまだ外したことは多分なくて、練習も含めて」と話し、PKは「運じゃなくて実力」だと語っています(サッカーダイジェストWeb、2026年6月)。
小川航基の幼少期・小学校・中学:無名だった大豆戸FC時代
小川航基は、神奈川県横浜市の出身です。サッカーを始めたのは幼稚園の年中のころで、3つ上の兄が地元のクラブでプレーしていたのがきっかけでした。小学生年代は横浜港北SCでプレーし、4年生ごろからは横浜FCのスクールにも通っていたと本人が話しています。
中学時代は地元の公立中学に通っていたと、スポーツナビの記事が紹介しています。学校名は本人やクラブの発表では明かされていません。サッカーは、学校の部活ではなくクラブチームで続けました。
小学校:セレクションに落ち、トレセンにも選ばれなかった
小学生のころの小川は、選抜チームとは無縁でした。市のトレセンに選ばれず、6年生で受けた横浜FCジュニアユースのセレクションは「余裕で落とされました」と振り返っています(横浜FC公式インタビュー)。
サッカーダイジェストWebのインタビューでは、仲間5、6人と一緒に強豪クラブのテストを受け、中盤として受けた自分だけが1次試験で落ちたと話しています。「小学校の時は挫折ばっかりでしたね」という言葉が残っています。
中学:大豆戸FCで「ぽっちゃりした子」から伸びた
中学で入ったのは、横浜市港北区の街クラブ、大豆戸(まめど)FCのジュニアユースです。FRaU(2026年6月)によると、入団テストに来た小川は体形がぽっちゃりしていましたが、末本亮太代表らコーチ陣は「中学でぽっちゃりした子はあとで身長が伸びる」と考えて合格させました。
中学でもトレセンの選考会には呼ばれず、本人は「自分はまだまだだな」と感じながらプレーしていたそうです。それでも桐光学園から声がかかり、「すぐに行きます」と返事をしました。ユースより高校サッカーを選んだのは、選手権に憧れ、国立競技場にも見に行っていたからだと語っています。
同じ大豆戸FCからは、2026年のW杯メンバーに鈴木唯人も選ばれました。FRaUは、1つの街クラブから2人が同時に選ばれたことを取り上げています。
小川航基の規律違反とは:2020年のジュビロ磐田での謹慎処分
「小川航基 規律違反」で調べると出てくるのは、2020年11月のジュビロ磐田の処分です。磐田は2020年11月18日、小川とDF舩木翔の2人に、1週間の謹慎と罰金の処分を科したと発表しました。
報道によると、2人は10月25日に知人と接触し、その知人がのちに新型コロナウイルスの陽性と分かりました。2人も11月4日にPCR検査を受け、5日に陽性と判明しています。クラブは事情を聞いたうえで「クラブが定めていた行動規律に違反した」と判断しましたが、違反の具体的な中身は公表していません。
罰金は慈善団体に寄付するとされ、12月には静岡県、浜松市、磐田市立病院への寄付が発表されました。小川は処分の時点でJ2の29試合で9得点を挙げていました。9試合を欠場したあと、12月13日の北九州戦で途中出場して戻り、「迷惑をかけた分、結果で示せるように頑張ります」とコメントしています。
※高校時代に監督に叱られて合宿地から帰された話は、本人がインタビューで語ったエピソードで、公式の処分ではありません。2026年9月時点で、ほかにクラブや代表が処分を発表した例は見当たりませんでした。
小川航基の経歴:ジュビロ磐田からW杯、町田ゼルビアまで
高校卒業後の小川は、けがと出場機会の少なさに苦しみながら、移籍をくり返して力をつけてきました。「高校ナンバーワンストライカー」と呼ばれた評価どおりにはいかない時期が長かったのも、小川の経歴の特徴です。
磐田・水戸時代:出番がなく、自ら移籍を選んだ
磐田では、前田遼一が着けていた背番号18を受け継ぎました。複数のJクラブが興味を示すなか、磐田を選んだ決め手は名波浩監督の存在だったと本人は話しています。ところが、1年目はリーグ戦の出場0、2年目は5試合0得点でした。2017年5月にはU-20W杯のウルグアイ戦で左ひざの前十字じん帯を断裂し、全治6か月の大けがを負います。
2019年7月には、出場機会を求めてJ2の水戸ホーリーホックへ期限付き移籍しました。半年で17試合7得点を挙げ、この年の12月14日、E-1選手権の香港戦で日本代表デビューを果たします。この試合で決めたハットトリックは、日本代表のデビュー戦では史上3人目の記録でした。
横浜FC・NEC時代:J2得点王からオランダへ
2020年に磐田へ戻って背番号9を着けましたが、2021年はポジション争いに敗れ、東京五輪のメンバーからも外れました。2022年に地元・横浜の横浜FCへ完全移籍すると、J2で26得点を挙げて得点王とMVPに輝き、チームのJ1昇格に貢献しています。
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2023年7月には、オランダ1部のNECナイメヘンへ期限付き移籍し、のちに完全移籍しました。NECでは3年間で公式戦92試合33得点を記録しています。
W杯と町田ゼルビア:「W杯に一番近いクラブ」へ
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2026年5月15日、小川は北中米W杯の日本代表メンバーに選ばれ、本大会では3試合に出場しました。グループステージ初戦のオランダ戦では、コーナーキックからのヘディングが鎌田大地に当たって同点ゴールになっています(記録は鎌田のゴール)。
W杯後の2026年8月24日、FC町田ゼルビアがNECからの完全移籍での加入を発表しました。3年ぶりのJリーグ復帰で、町田を選んだ理由を小川は「自分の選択肢のなかで、W杯に一番近いクラブを選びました」と話しています(フットボールチャンネル、2026年8月)。9月2日の川崎フロンターレ戦では途中出場から2ゴールを決め、移籍後初ゴールで逆転勝利に導きました。
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小川航基のプロフィール:身長・年齢・背番号(2026年9月時点)
小川航基の身長と、日本代表FW経験者124人の身長の分布(オレンジがその選手の位置。身長はWikidataの記載値。出典: フットボール戦士「サッカー日本代表 選手データベース」)
小川航基のプロフィールを、FC町田ゼルビアの発表(2026年8月24日)をもとにまとめます。身長は町田・横浜FCの公式ともに186cmです。磐田入団が決まった2015年11月の発表では183cm・70kgだったので、高校卒業のころから3cm伸び、体重も8kg増えた計算です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 小川 航基(おがわ こうき) |
| 生年月日・年齢 | 1997年8月8日・29歳 |
| 出身 | 神奈川県横浜市 |
| 身長・体重 | 186cm・78kg |
| ポジション | FW |
| 所属 | FC町田ゼルビア(2026年8月24日に加入) |
| 背番号 | 町田では9、2026年W杯の日本代表では19 |
| 出身校・チーム | 横浜港北SC→大豆戸FCジュニアユース→桐光学園高 |
| 日本代表 | 国際Aマッチ18試合11得点(2026年8月24日時点) |
※FC町田ゼルビアの公式発表(2026年8月24日・27日)をもとに作成。W杯の背番号はスポーツナビ・Jリーグ公式の名鑑によります。
フットボール戦士の集計(Wikidataの記載をもとにした、2026年9月時点の数字)では、FWの日本代表経験者124人の平均身長は176.6cmで、小川航基は高いほうから9番目です。代表経験者全体でも、身長が分かる557人のうち高いほうから42番目にあたります。また、小川と同じ神奈川県生まれの日本代表経験者は52人で、都道府県別では3位(698人中)でした。
よくある質問
A. 神奈川県川崎市の私立、桐光学園高校です。2013年に入学し、3年生ではキャプテンを務めました。卒業後の2016年にジュビロ磐田に入団しています。
A. 1年生の第92回大会は3回戦で敗退し、2試合で無得点でした。2年生は神奈川県予選で敗れています。3年生の第94回大会は3回戦(ベスト16)まで進み、2試合で4得点を挙げました。
A. 2016年1月3日の青森山田戦で、2-0の後半に自ら得たPKをバーの上に外しました。2-2で入ったPK戦でも、5人目としてGK廣末陸に止められ、桐光学園はPK4-5で敗れました。
A. 2020年11月、ジュビロ磐田が「クラブの行動規律に違反した」として、1週間の謹慎と罰金を科した処分です。知人との接触後に新型コロナの陽性が分かった件で、違反の具体的な中身は公表されていません。
A. 小学生年代は横浜港北SC、中学は大豆戸FCジュニアユースです。中学は地元の公立中学に通っていたと報じられていますが、学校名は本人やクラブからは公表されていません。
まとめ:小川航基は桐光学園でPKの悔しさを知り、W杯まで這い上がった
- 出身高校は神奈川県の桐光学園。1年からレギュラー、3年でキャプテン
- 高校選手権は1年で3回戦、3年でベスト16。3年の大会で4得点
- 2016年1月の青森山田戦で、試合中のPKとPK戦の2本を外して敗退
- 小学生は横浜港北SC、中学は大豆戸FC。横浜FCジュニアユースのセレクションには落ちていた
- 2020年に磐田で規律違反による1週間の謹慎。2026年はW杯で3試合に出場し、8月に町田へ
小川航基は、小学生でも中学生でも選抜に選ばれず、高校最後の選手権はPKで終わりました。そこからプロでPKを決め直し、落ちたセレクションのクラブだった横浜FCで得点王になり、W杯のピッチに立っています。高校時代の挫折を知ると、町田での「得点王を取りますよ」という言葉の重みも違って聞こえます。
※この記事の情報は2026年9月29日時点のものです。大会成績はJFAの公式記録と桐光学園サッカー部後援会の戦績、プロフィールはFC町田ゼルビアの公式発表、エピソードは本人のインタビュー記事にもとづきます。
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