ヴェルディ川崎の黄金期メンバーとは?1993〜94年Jリーグ2連覇を彩ったスター軍団の全貌

「昔のヴェルディって誰がいたっけ?」「カズやラモスのほかにも凄い選手がたくさんいた気がする」「あの時代のJリーグって本当に熱かったよな……」——そんな懐かしい気持ちを持ってこの記事を開いてくれた方のために、確認できるデータをもとに当時のメンバーを徹底解説します。

1993年のJリーグ開幕を彩った「ヴェルディ川崎」——三浦知良・ラモス瑠偉・北澤豪・武田修宏・柱谷哲二・ビスマルク・ペレイラ。これほど豪華な顔ぶれを一つのクラブに集めたチームは、日本サッカー史においてほかに類を見ません。Jリーグを2年連続で制した「黄金期ヴェルディ川崎」のメンバーを、ポジション別・役割別に徹底的に解説します。


黄金期の実績——何が凄かったのか

まず黄金期ヴェルディ川崎がどれほどの実績を残したのかを整理します。

ヴェルディ川崎 黄金期の主要タイトル(確認済み)

1992年 Jリーグカップ優勝 Jリーグ開幕前のプレ大会。初代王者に
1993年 Jリーグ年間優勝 36試合で28勝という圧倒的な成績。2ndステージ優勝後、チャンピオンシップで鹿島アントラーズを下して初代年間王者に。三浦知良がMVP
1993年 Jリーグカップ2連覇 リーグカップも制覇し二冠達成
1994年 Jリーグ年間優勝 2年連続のリーグ制覇。チャンピオンシップではサンフレッチェ広島を下す。ペレイラがMVP(DFとしての受賞は異例)
1994年 Jリーグカップ3連覇 第1回(1992年)から3連覇という偉業

Jリーグ初年度にあたる1993年シーズン、ヴェルディ川崎は全36試合中28勝という圧倒的な数字でシーズンを駆け抜けました。翌1994年も年間優勝を達成し、Jリーグ史に「2連覇」という金字塔を打ち立てた——それが黄金期ヴェルディ川崎の姿です。


1993年 Jリーグ開幕時の公式メンバーリスト

Jリーグ公式サイトと開幕戦の記録をもとに確認できる1993年当時のメンバーを整理します。

1993年ヴェルディ川崎 主なメンバー(Jリーグ公式発表より)

ポジション 選手名 特徴・受賞歴
GK 菊池新吉 正GK。1994年・1995年ベストイレブン選出。J1通算199試合出場
GK 藤川孝幸 控えGK。J1通算26試合出場
DF 都並敏史 元日本代表左サイドバック。JSL時代から読売クラブを支えたベテラン。J1通算61試合出場(ヴェルディ在籍分)
DF ペレイラ ブラジル人センターバック。1993年・1994年ベストイレブン、1994年MVP受賞。DFとしてのMVPは異例。J1通算136試合9得点
DF 加藤久 元日本代表DF。J1・28試合出場。開幕時は在籍したが同年移籍
DF 中村忠 右サイドバック。J1通算257試合4得点という豊富な出場記録
DF 河本充弘 チャンピオンシップ布陣に名を連ねたDF
DF 石川康 チャンピオンシップ布陣に名を連ねたDF
MF 柱谷哲二 キャプテン。「闘将」と称された守備的MF。1993年・1994年・1995年ベストイレブン選出3回。J1通算183試合13得点。後に東京ヴェルディ監督も務める
MF ラモス瑠偉 司令塔。ブラジル出身・1989年帰化。1990年・1991年日本年間最優秀選手賞受賞。1993年・1994年ベストイレブン選出。J1通算147試合9得点
MF 北澤豪 豊富な運動量を誇る中盤の要。1994年ベストイレブン選出。J1通算265試合41得点
MF ビスマルク ブラジル代表(1990年W杯出場)。1993年途中に加入。1994年はリーグ戦14得点で連覇に貢献。1994年・1995年ベストイレブン選出。J通算283試合69得点
MF 永井秀樹 1993年は控えながら成長。J1通算191試合32得点。ヴェルディ黄金期からJ2低迷期までクラブを支えた
FW 三浦知良(カズ) 「キング・カズ」。1993年にシーズン通算20ゴールを挙げてMVP受賞。1993年・1995年・1996年ベストイレブン。J1通算321試合139得点
FW 武田修宏 カズとの2トップを組んだゴールハンター。1994年ベストイレブン選出。J1通算237試合94得点

※Jリーグ公式サイト、J SPORTSのメンバーリスト記事、各選手の公式記録をもとに作成


黄金期を作ったスター選手6人——詳細プロフィール

三浦知良(カズ)——Jリーグを体現した「キング」

ポジション FW
ヴェルディ在籍期間 読売クラブ時代を含む。J開幕〜1998年
受賞歴(J時代) 1993年MVP・1993年/1995年/1996年ベストイレブン・1996年得点王
J1通算成績 321試合139得点

「キング・カズ」こと三浦知良は、Jリーグ黄金期ヴェルディ川崎の絶対的エースです。ブラジルで修業を積んで帰国し、Jリーグ開幕の前年から読売クラブに復帰。1993年シーズンにシーズン通算20ゴールを挙げてJリーグ初代MVPを受賞しました。チャンピオンシップでも鹿島アントラーズ戦でゴールを決め、初代王者決定に貢献しました。カズのプレースタイルは単なる得点力だけでなく、パフォーマンス(ゴールセレブレーション)や個人のカリスマ性も含めてJリーグの顔として機能しました。

ラモス瑠偉——攻撃の司令塔・スルーパスの名手

ポジション MF(攻撃的MF・司令塔)
出身 ブラジル出身。1977年に読売クラブ加入。1989年に日本に帰化
受賞歴(J時代) 1993年・1994年ベストイレブン選出。1990年・1991年日本年間最優秀選手賞
J1通算成績 147試合9得点

20歳で読売クラブに加入し、日本サッカー界の最前線を走り続けたラモス瑠偉。1993年シーズンは30試合に出場して4ゴールを挙げ、その存在感でJリーグブームを巻き起こした中心人物のひとりです。確かな技術で攻撃のタクトをふるい、必殺のスルーパスで三浦知良や武田修宏にゴールチャンスを供給し続けました。「30センチパスがずれたらラモスさんは受けてくれなかった」(北澤豪の言葉として伝わる)というエピソードが、チームの技術水準の高さを物語っています。

柱谷哲二——「闘将」と称されたキャプテン

ポジション MF(守備的MF)・チームキャプテン
受賞歴(J時代) 1993年・1994年・1995年ベストイレブン選出(3年連続)
J1通算成績 183試合13得点
引退後 東京ヴェルディ1969監督を務めた

「闘将」と称された柱谷哲二は、ヴェルディ黄金期のキャプテンとして不動の地位を築きました。守備的MFとして鉄壁の中盤守備を担い、ドーハの悲劇(1993年)では日本代表のキャプテンも務めていた選手です。ベストイレブンに3年連続で選出されたのは、長期にわたる貢献度の高さを証明しています。

ペレイラ——DFながらMVPを獲得した守備の大黒柱

ポジション DF(センターバック)
在籍期間 1992〜1995年
受賞歴(J時代) 1993年・1994年ベストイレブン選出。1994年Jリーグ最優秀選手賞(MVP)受賞——DFとしての受賞は史上初の異例
J1通算成績 136試合9得点(ヴェルディ分)

ペレイラはブラジル出身のセンターバックで、「この男がいなければヴェルディ川崎のJリーグ2連覇はあり得なかった」と言われるほどの存在です。優れたカバーリング能力と統率力でスター軍団の守備を統括し、左足のフリーキックでも直接ゴールを決める能力を持っていました。1994年にはラモス瑠偉・ビスマルク・武田修宏などの攻撃的スター選手を押しのけて、DFとして史上初のMVPを受賞。チームの守備がいかに高い評価を受けていたかがわかります。

ビスマルク——元ブラジル代表の技術で2連覇に貢献

ポジション MF
経歴 ブラジル代表として1990年イタリアW杯出場。1993年途中にヴェルディ川崎加入
受賞歴(J時代) 1994年・1995年ベストイレブン選出
J通算成績 283試合69得点(ヴェルディ・鹿島・ヴィッセル神戸通算)

1990年イタリアW杯にブラジル代表として出場した本物のワールドクラスプレーヤーがビスマルクです。1993年の2ndステージから加入し、初代王者獲得に貢献。翌1994年はリーグ戦だけで14得点を挙げ2連覇の立役者となりました。ヴェルディには4年間在籍し、2連覇のみならず1994・1995年にJリーグベストイレブンも獲得しています。

北澤豪——運動量と闘志でチームを支えた中盤の心臓

ポジション MF
受賞歴(J時代) 1994年ベストイレブン選出
J1通算成績 265試合41得点

北澤豪は豊富な運動量と精力的なプレーでラモス・ビスマルクら技術系の選手を支えた中盤の要です。1993年シーズンは控えとして出場機会を得ながら存在感を示し、1994年にはベストイレブンに選出されるまでの選手に成長しました。引退後はサッカー解説者・タレントとしても幅広く活躍しています。


黄金期の戦術——どんなサッカーをしていたのか

華やかなメンバーが揃ったヴェルディ川崎ですが、単なるスター軍団ではなく「どう戦うか」というコンセプトも明確でした。

1993年チャンピオンシップ時の基本布陣(Sportiva掲載の情報をもとに)

GK:菊池新吉
DF:石川康 ペレイラ 柱谷哲二 河本充弘
MF:パウロ
MF:ラモス瑠偉   北澤豪
MF:ビスマルク
FW:三浦知良  武田修宏
監督:松木安太郎

※1993年チャンピオンシップ時のフォーメーション(Sportiva掲載情報より)

ヴェルディ川崎のサッカーの根幹は、読売クラブ時代から脈々と受け継がれてきた「ブラジル流の個人技を生かしたスタイル」にあります。ラモス・ビスマルク・パウロら多くのブラジル人選手を手本に、技術レベルの高い日本人選手たちが育ちました。スウィーパーのペレイラを軸とした安定した守備を土台に、ラモスの司令塔プレーとビスマルクの推進力、そして三浦・武田の決定力が組み合わさったチームでした。

1993年の第1ステージは欧州スタイルの導入を試みて苦戦しましたが、第2ステージからブラジルに倣った個人技重視のサッカーに戻し、チャンピオンシップで鹿島アントラーズを下しました。「自分たちの哲学に回帰することで本来の強さを取り戻した」という点も、このチームの特徴として語り継がれています。


監督・松木安太郎——36歳の若き初代優勝監督

選手だけでなく、指揮官にも光を当てなければなりません。黄金期ヴェルディを率いた松木安太郎監督は、当時わずか36歳でJリーグ初代の年間優勝監督となりました。

監督名 松木安太郎(まつきやすたろう)
就任時の年齢 1993年Jリーグ開幕時36歳(J1:128試合78勝50敗)
成績 1993年・1994年Jリーグ年間優勝監督。Jリーグカップは1994年まで3連覇(第1回から)を達成
引退後 サッカー解説者として活躍。独特の解説スタイルで人気を博している

松木監督はスター選手が並ぶ個性の強いチームをまとめあげ、2年連続でリーグ制覇を達成しました。前述の永井秀樹の引退試合でのエピソードとして「試合前にメンバーを発表するとラモスさん・カズさん・北澤さんが意見をぶつけ、昔と全く同じ雰囲気だった。これだから強かった」という言葉が残っており、選手たちが高い自主性と要求水準を持っていたことがうかがえます。


黄金期ヴェルディと他クラブの比較——なぜこれほど強かったのか

黄金期ヴェルディ川崎の強さの源泉

強さの要因 詳細
読売グループの資金力 読売新聞社・よみうりランド・日本テレビという大手メディアグループの全面支援。年間20〜30億円の赤字も補填できる強力な財政基盤が世界級の選手獲得を可能にした
読売クラブ時代からの蓄積 1969年の創部からブラジル人選手を手本にした「プロを目指すクラブ文化」を醸成。技術を重視する育成方針がJリーグ発足時には実を結んでいた
ブラジル人選手のクオリティ ペレイラ(ブラジル出身CB)・ビスマルク(元ブラジル代表、1990年W杯出場)というJリーグトップクラスの外国人選手を擁した
日本代表級の選手の集中 三浦知良・ラモス瑠偉・北澤豪・柱谷哲二・武田修宏・都並敏史・菊池新吉と、日本代表メンバーが1クラブに集中していた。これは他クラブには真似できない圧倒的な選手層
育成組織の先進性 早くから育成部門を整備し、永井秀樹・中澤佑二(後に加入)ら若手選手の育成にも力を入れていた

Q&A——「ヴェルディ川崎 黄金期 メンバー」についてよくある疑問

Q1. ヴェルディ川崎の黄金期はいつですか?

A. Jリーグが開幕した1993年から1994年にかけてが、2連覇を達成した黄金期の中心です。ただし読売クラブ時代のJSL(日本サッカーリーグ)でも多くのタイトルを獲得しており、広い意味では1980年代後半から1990年代中頃まで「黄金期」と捉えることができます。1995年も2ndステージ優勝とNICOSシリーズ制覇を達成したものの、チャンピオンシップで横浜マリノスに敗れ年間優勝を逃し、1996年以降は徐々に力が落ちていきました。

Q2. 三浦知良はヴェルディ川崎に何年いましたか?

A. 三浦知良は読売クラブ(前身)時代を経て、Jリーグでは1998年まで在籍しました。Jリーグ通算ではJ1で321試合139得点という記録を残しています。1993年のJ1初代MVPを受賞し、1996年には得点王にも輝きました。1998年末に読売新聞社が経営から撤退する前後に退団し、イタリアのジェノアへの移籍も経験しています。

Q3. ラモス瑠偉はブラジル人ですか?

A. ラモス瑠偉はブラジル出身ですが、1989年に日本に帰化した日本国籍保有者です。1977年に20歳で来日して読売クラブ(ヴェルディの前身)に加入。帰化後は日本代表でもプレーしました。1990年・1991年には日本年間最優秀選手賞を受賞しています。

Q4. ビスマルクはいつヴェルディ川崎に加入しましたか?

A. ビスマルクは1993年の2ndステージから加入しました。そのため、1993年5月15日の歴史的なJリーグ開幕戦(vs横浜マリノス)にはまだ在籍していませんでした。加入後は即座に存在感を示し、初代王者獲得に貢献。1994年はリーグ戦14得点を記録して2連覇の立役者となりました。ヴェルディには1996年まで4年間在籍し、その後は鹿島アントラーズに移籍しています。

Q5. 黄金期のヴェルディ川崎はなぜ弱くなったのですか?

A. 主な理由は2つです。①1998年末に読売新聞社・よみうりランドが経営から撤退し、年間20〜30億円の赤字補填がなくなったことで、高額年俸の選手(三浦知良・柱谷哲二・ラモスら)が退団せざるを得なくなりました。②2001年に川崎市から東京都に本拠地を移転しましたが、東京にはすでにFC東京が地域密着で根付いており、新たなファン基盤を確立できませんでした。読売グループの経営が最終的に2009年に完全撤退すると、翌2010年には営業収入が前年比78%減という壊滅的な状況に陥り、Jリーグが緊急融資・経営介入する事態となりました。


まとめ——黄金期ヴェルディ川崎が残したもの

この記事のポイントまとめ

黄金期の時期 1993〜1994年が2連覇達成の中心。読売クラブ時代を含めると1980年代後半〜1990年代半ばまで
攻撃の核 三浦知良(1993年MVP)、武田修宏(1994年ベストイレブン)の2トップ。ビスマルク(1994年14得点)が支援
中盤の核 ラモス瑠偉(司令塔)、柱谷哲二(キャプテン・闘将)、北澤豪(運動量)、ビスマルク(推進力)
守備の核 ペレイラ(1994年MVP・DF初の受賞)が2連覇の守備を統率。菊池新吉(94・95年ベストイレブン)が正GK
監督 松木安太郎。36歳の若さでJ初代優勝監督に。スター軍団をまとめ2連覇を達成した
強さの源泉 読売グループの圧倒的な資金力+読売クラブ時代からのブラジル流サッカーの蓄積+日本代表級選手の集中

ヴェルディ川崎の黄金期は、カズ・ラモス・北澤・武田・柱谷・ペレイラ・ビスマルクといった名前を並べるだけで、当時をリアルタイムで見ていた人の記憶に鮮やかに蘇る——それほどの輝きを持つチームでした。読売グループの巨大な資金力と、30年近くにわたって培われたブラジル流サッカーの文化が合わさり、1993〜1994年に頂点に達したのが黄金期のヴェルディ川崎です。その後クラブが長い低迷を経て2024年にJ1に復帰した時、かつての輝きを知る人たちが感慨深く緑のユニフォームを迎えたのも、この黄金期の記憶があるからこそでしょう。