森保監督が国歌斉唱で泣いてる理由とは?本人が語った涙の理由

試合前の君が代斉唱でカメラが森保監督の表情をとらえると、いつも目が潤んでいる。「また泣いてる」「毎回泣いてるよ森保監督」——テレビ中継を見ていて、思わずそう呟いた方は少なくないはずです。ある人は感動し、ある人は心配し、ある人はSNSに投稿する。子どもが「ママ、なんであの人泣いてるの?」と聞いてくることもあります。この記事では、「森保監督が泣いてる」のはなぜなのか——その場面・本人が語った理由・背景にある人生の物語まで、確認できる情報をもとに徹底的に解説します。


森保監督の「泣いてる」を見た場面はいつ?——主な涙の瞬間まとめ

森保一監督の涙が話題になった場面には、大きく分けて2種類があります。試合前の君が代斉唱での涙と、選手の言葉に感極まった場面での涙です。

森保監督の涙が話題になった主な場面(確認済み)

2021年10月12日
W杯最終予選 vs オーストラリア
1勝2敗と後がない状況。埼玉スタジアムで君が代が流れると森保監督の目に涙が光った。「プレッシャーと責任感がえぐい」「泣いてる場合じゃない」などSNSで大きな反響
2022年12月6日
カタールW杯クロアチア戦翌日
フジテレビ特番出演
PK戦で敗れ、涙を流した三笘薫の映像や、吉田麻也主将が「いろんな監督とやってきたけど間違いなく一番尊敬できる監督。もう一個、監督を上に連れて行ってあげたかった」と涙ながらに語る映像が流れ、スタジオで見ていた森保監督が目元を拭い涙する場面があった。「選手の話を聞けば聞くほど、自分が足りなかったなと思います」と声を震わせた
2023年10月10日
国際親善試合 vs パラグアイ
パナソニックスタジアム吹田。君が代斉唱で森保監督が右目から一筋の涙をこぼした。「うるうるじゃなくて号泣じゃん!」とSNSで話題に
2023年11月13日(豊田ス)
国際親善試合 vs ガーナ
君が代斉唱で夜空を見上げるように歌いながら目を真っ赤にした。「毎回泣ける森保監督は凄い」「目薬をさしているのか」などの声がSNSに寄せられた
2025年3月20日
W杯最終予選 vs バーレーン
W杯出場最速決定がかかる試合。震えながら国歌を歌い大号泣。「毎度毎度グッとくる」「国を背負う覚悟や想い」と海外メディアも一面ドアップで報道。「試合前に泣いた」と見出しをつけたメディアも
2025年11月17日〜18日
前日会見(ボリビア戦前)
日本代表監督として史上初の100試合指揮を迎える前夜の会見で、長崎日大高校時代の恩師・下田規貴監督ら3人の訃報を明かし、涙で声を詰まらせた
2025年11月18日
100試合目 vs ボリビア
日本史上初の代表監督通算100試合目。国立競技場で君が代大合唱を耳にしながら目を潤ませた。「安定の涙 100試合目おめでとうございます」などの声がX(旧Twitter)に

※複数の報道メディアで確認できた情報をもとに作成。最も有名な場面を中心に掲載

君が代斉唱での涙は、2021年のW杯最終予選のあたりから毎試合のように話題になり、もはや「定番」と認識されるほどになりました。「安定の涙」「毎回泣ける」という言葉がSNSで使われるようになったほど、森保監督の涙はファンの間で愛されるシーンとして定着しています。


「なぜ泣くのか」——本人が語った涙の理由

なぜ森保監督は君が代で毎回泣いてしまうのか。本人がDAZN「やべっちスタジアム」での矢部浩之さんとの対談、およびメディアのインタビューで自ら語っています。

森保監督が自ら語った「涙の理由」(本人発言・複数のメディアより確認)

「日本代表として戦える喜びと誇りがこみ上げてきますね。日の丸の旗を見たら、いまでも涙が出そうに…(笑)幸福感が溢れ出てくるみたいな感じですね。喜びと誇りが溢れ出てくる感じですね」

「僕は1992年のキリンカップが選手としての代表デビューだったんですが、そのとき、国歌が全く違うものに感じられたんです。日本人である誇りと喜びが込み上げてくると言うのかな。それからは代表戦のたびに同じような感覚に襲われます」

「アジア最終予選やW杯はカメラが近づいてくるので、すごくテンパっているように受け取られがちですけど、『日本を代表して戦わせてもらえる。これほどの喜びはないな』と感じながら歌っていますね」

※DAZN「やべっちスタジアム」ほか複数のメディアインタビューで確認できる本人の発言

重要なのは、森保監督の涙はネガティブな感情ではなく、「喜び・誇り・幸福感」から来るポジティブな涙だという点です。矢部さんに「ポジティブで幸せな感情?」と聞かれると「あぁ、そうです!そうです!」と即答したという逸話も伝わっています。悲しんで泣いているのではなく、日本代表として戦えることへの喜びと誇りが抑えきれずにあふれ出てしまう——それが森保監督の涙の正体です。


1992年——涙の原点は突然の代表初招集

森保監督が最初に君が代で感極まるようになったきっかけは、1992年5月の日本代表初出場にあります。

森保一という人物のルーツ——代表デビューという原体験

出身 静岡県掛川市生まれ、長崎市育ち。父が造船関係者で幼少期は各地を転々とした
代表初招集のきっかけ 1992年4月、オフト監督就任とともに突然招集される。チームメイトから「誰?」と思われたほどの無名選手の大抜擢だった。代表の常連だった井原正巳にすら「どこのポジションをやってるの?」と聞かれた
初出場の衝撃 1992年5月31日、アルゼンチン戦でいきなり先発出場。アルゼンチン代表のカニーヒアらが「日本にいいボランチがいる」と評価するほどの出来。招集の電話を受けた際は「冗談はいいから、何の要件なんですか?」と聞き返したという
君が代への感覚 「そのとき、国歌が全く違うものに感じられた。それからは代表戦のたびに同じような感覚に襲われる」と本人が語る

無名の選手として突然大舞台に立ち、君が代を歌ったあの瞬間の感動が、30年以上経っても変わらず森保監督の身体の中に生きています。普段は「喜怒哀楽があんまりなくて、淡々・コツコツというタイプ」と本人が語るだけに、君が代の場面での感情の高ぶりがいかに特別なものかがわかります。


ドーハの悲劇——泣かなかったその夜が、今の涙を作った

森保監督の涙の背景を理解するうえで外せないのが、1993年10月28日——「ドーハの悲劇」です。

ドーハの悲劇と森保監督

何が起きたか 1993年10月28日、W杯アジア最終予選最終戦。日本はイラクに対し試合終了直前まで2-1でリードしていたが、ロスタイムにショートコーナーから同点ゴールを決められた。日本は初のW杯出場を逃した
森保監督の立場 フルタイム出場。直接プレーに関わっていた。ショートコーナーへの対応について「意表を突かれた。僕も含め皆の気持ちが受け身になっていた。あの時、僕が何か声をかけていれば……」と今も悔いている
ロッカールームでの光景 キャプテンの柱谷哲二いわく「ロッカールームは地獄絵図そのもの。すすり泣いているヤツがいれば、声を出して号泣しているヤツもいる。それでも、皆で泣きながらロッカールームを掃除した」
教訓として得たもの 「チャレンジしなかったことに対する代償」と後に語る。この経験が「絶対に諦めない」というメンタリティの源泉となり、監督としての采配哲学にも影響している

「ドーハの悲劇」という日本サッカー史最大の痛恨事の渦中にいた人物が、30年後にドーハ(カタールW杯)で日本代表を指揮した——この因縁は、森保監督自身も深く感じていたと伝えられています。カタールW杯でドイツ・スペインへの歴史的勝利を成し遂げた時、その舞台がドーハ(ライヤーン)近郊だったことは、単なる偶然以上の意味を持っていました。


「普段は淡々としている人が、なぜ泣くのか」——森保監督の二面性

「国歌斉唱で号泣したり、選手を激しく鼓舞したりするのに、普段は穏やかで礼儀正しい……」という印象を持つ人は多いでしょう。本人はこの矛盾をどう説明しているのでしょうか。

森保監督本人が語る「普段の自分」と「試合中の自分」の違い

普段の森保監督

「実は普段の自分は喜怒哀楽があんまりなくて、『淡々』『コツコツ』といったタイプ」「自ら取材者のところに歩み寄って挨拶するような礼儀正しい人物」「愚痴を言うこともない。特別なストレス発散方法もない」

試合中の森保監督

「君が代では自然と高ぶってしまう。日本を代表して戦わせてもらえるこれほどの喜びはない」密着映像での興奮は「本当に1000分の1とか1万分の1」の場面だが、その感情の激しさは「凄まじい」

森保監督の日常は「淡々・コツコツ」という言葉で代表されるほど落ち着いた人物です。その人物が日本代表として日の丸を背負う場面になると、感情のスイッチが完全に入る。この落差が、見る人に強い印象を与えるのでしょう。「情緒不安定に見えますね(笑)」と自分で笑い飛ばせる豊かな人間性も、サポーターに愛される理由のひとつです。


クロアチア戦後の「自分が足りなかった」——もうひとつの涙の場面

「森保監督が泣いてる」場面として、君が代と並んで広く知られているのが、2022年カタールW杯クロアチア戦翌日のテレビ特番での涙です。

カタールW杯クロアチア戦後の涙——2022年12月6日

状況 カタールW杯決勝トーナメント1回戦でクロアチアにPK戦で敗れた翌日、フジテレビ系特番に生出演
流れたVTRの内容 PK戦で失敗し涙した三笘薫、チームを支えた長友佑都らのコメント、そして吉田麻也主将が「いろんな監督とやってきたけど、間違いなく一番尊敬できる監督。もう一個、監督を上に連れて行ってあげたかった」と涙ながらに語る映像
森保監督の涙 VTRを見守る中で目元を拭う様子が映し出された。VTR後に「選手の話を聞けば聞くほど、自分が足りなかったなと思います」「もっと想いを強く持ってW杯に臨んで、選手たちを勝たせてあげたかったなと思います」と声を震わせた
涙の意味 自分への悔恨と、選手への深い感謝と申し訳なさが入り混じった涙。君が代の「喜びの涙」とは異なる、「責任感の涙」とも言える場面

吉田麻也主将の「間違いなく一番尊敬できる監督」という言葉は、当時多くの批判を浴びながらも選手との信頼関係を築いてきた森保監督への最上級の評価でした。そんな選手たちの言葉を聞いて涙する姿は、「監督として背負った責任の重さ」と「選手への深い愛情」の両方を体現していました。


SNSでの反応——「泣いてる場合じゃない」vs「泣いてるの好き」

森保監督の涙に対するSNS上の反応は、試合の状況や試合結果によって大きく二分されています。

心配・批判的な声

「泣いてる場合じゃないっすよ森保監督」
「試合前の指揮官がこのメンタル状況で適切な采配ができるのか物凄く不安だ」
「なんとなく勝っても負けてもラストゲームなんじゃないか?(進退問題)」
「君が代前に目薬をさしているのかw」(半ば冗談)

共感・応援の声

「森保監督!泣いてる ワイも感動!!涙が止まらん」
「色々言われてるけど国歌斉唱で毎回泣ける森保監督は凄いと思う」
「国歌斉唱で泣く森保監督好きやで」
「プレッシャーとか責任感えぐいんだろうな」「こちらも貰ってしまう 頑張れニッポン」

SNSでの反応を見ると、チームが苦しい状況にある試合前に涙する場面では「采配への不安」という批判的な声が出ますが、そうでない場面や好結果が続く時期は「愛されるキャラクター」として受け入れられています。試合結果がSNSの論調を大きく左右する——これはある意味、森保監督の涙がそれほどファンの目に映っている証拠でもあります。


涙の森保監督の歩み——泣いてきた場所と実績

森保監督の涙を語るとき、その「涙の重さ」を知るためにも、彼が歩んできたサッカー人生と残してきた実績を知ることが重要です。

森保一監督 主なキャリアと実績(確認済み)

時期 出来事
1992年5月 選手として日本代表初出場(アルゼンチン戦)。この時から君が代が違って聞こえるようになる
1993年10月 ドーハの悲劇を経験。「チャレンジしなかったことへの代償」として今も心に刻む
2012〜2017年 サンフレッチェ広島監督として4年間でJリーグ3冠。「ドーハで学んだ絶対に諦めないメンタリティ」が花開く
2018年7月〜 日本代表監督就任。以来、君が代での涙が毎試合の「定番」となる
2021年 W杯最終予選で序盤1勝2敗から6連勝でカタール本大会出場権獲得。逆境からの復活劇
2022年カタールW杯 ドイツ・スペインを撃破し2大会連続ベスト16。クロアチア戦後の涙が話題に。続投決定
2025年3月 2026年W杯アジア最終予選を首位通過。バーレーン戦での号泣が海外メディアにも報道される
2025年11月18日 日本代表監督として史上初の通算100試合指揮(ボリビア戦)。100試合目も君が代で涙

選手として「ドーハの悲劇」を経験し、サンフレッチェ広島でJリーグ3冠を成し遂げ、代表監督として21冠を誇る日本サッカー界をより強くしてきた。そのすべての場面で、君が代のたびに涙を見せ続けてきた——これほどの一貫性を持つ監督は、世界を見渡しても珍しい存在です。


Q&A——「森保監督が泣いてる」についてよくある疑問

Q1. 森保監督はなぜ試合前に泣いているのですか?

A. 本人の言葉では「日本代表として戦える喜びと誇りがこみ上げてくる」「幸福感が溢れ出てくる」という理由です。悲しいからではなく、日本を代表して戦わせてもらえることへのポジティブな感情が抑えきれずにあふれ出るのです。1992年に初めて君が代を日本代表として歌った瞬間から、この感覚は変わっていないと本人が語っています。

Q2. 毎回泣いているのですか?

A. 「W杯カタール大会のアジア予選からの慣例」という報道もあり、近年はほぼ毎試合、君が代斉唱の場面で目を潤ませることが確認されています。「安定の涙」「毎回泣ける」とファンに認識されるほどで、2023年のガーナ戦後には「また目を潤ませた」というニュースの書き出しになるほどになっています。

Q3. 泣きながら采配は大丈夫なのですか?

A. 本人は「普段の自分は喜怒哀楽があんまりなくて淡々としたタイプ」と語っています。君が代の場面での感情の高ぶりが采配に影響するとは限らず、実際カタールW杯でドイツ・スペインを撃破するという歴史的采配を見せています。ただしSNSでは「泣いてる場合じゃない」という声も出るほど、特に苦境の試合前は注目を集める場面になっています。

Q4. 森保監督はドーハの悲劇を経験しているのですか?

A. はい、フルタイム出場していました。1993年10月28日のイラク戦で、日本は試合終了直前まで2-1でリードしながらロスタイムに同点に追いつかれ、W杯出場を逃しました。「あの時、僕が何か声をかけていれば……」と今でも悔やんでいると語っています。そのドーハで、監督として「ドーハの歓喜」とも呼ばれる勝利を収めたことは、特別な意味を持ちます。

Q5. 選手の言葉で泣いた場面はありますか?

A. 2022年カタールW杯クロアチア戦の翌日、フジテレビ系特番に出演した際、吉田麻也主将が「間違いなく一番尊敬できる監督。もう一個、監督を上に連れて行ってあげたかった」と涙ながらに語る映像を見て、森保監督も目元を拭いました。その後「選手の話を聞けば聞くほど、自分が足りなかったなと思います」と声を震わせた場面が広く知られています。


まとめ——森保監督が泣いてる理由のすべて

この記事のポイントまとめ

涙の種類①(最も有名) 試合前の君が代斉唱での涙。「日本代表として戦える喜びと誇りがこみ上げてくる」ポジティブな感情の涙
涙の種類② 選手の声や恩師への想いで感極まる涙(カタールW杯翌日特番、恩師訃報の報告など)。「責任感・選手への愛情」から来る涙
涙の原点 1992年の代表初出場で「国歌が全く違って感じられた」体験。30年以上経っても変わらない日本代表への特別な想い
背景にある歴史 ドーハの悲劇(1993年)を経験した選手が、30年後に「ドーハの歓喜」を監督として実現させた因縁
SNSでの反応 「毎回泣ける」「安定の涙」と愛される声と、苦境の試合前には「泣いてる場合じゃない」という声が二分して出る
普段の森保監督 本人曰く「喜怒哀楽があんまりない淡々としたタイプ」。試合の感情的な場面は「1万分の1」のレアなシーン

「森保監督が泣いてる」という現象は、単なる感情的な人物の話ではありません。無名の選手として突然大舞台に立ち、「日本人として日の丸の下で戦う」という感動を初めて体験した1992年から始まった物語。ドーハの悲劇の痛みを胸に刻みながら、選手・指導者・監督として日本サッカーを支え続けた30年以上の歩み。その全てが、君が代が流れた瞬間に凝縮されて目から溢れ出てくる——それが森保監督の涙の正体です。次にテレビで森保監督が泣いている場面を見た時、その涙の向こう側にあるものが少し見えてくるはずです。